第49話
双葉は、私に気がつかず、熱心に絵本を読んでいた。
私は、双葉の隣の席に座った。
ふっと双葉がこっちを見たので、やぁと右手を上げて挨拶をすると、双葉が目をまん丸くした。
驚いている。
驚きたいのは、こっち。
「国府田君に、驚かれる筋合いはないよ。ここ、うちの近所の図書館だし」と、小声で言う。
「三矢さんは、遅い時間には来ないって言ってたから」
あのとき、雑談のなかで、そんなことも言ったかもしれない。
「うん。こんな時間に来たのは初めてだよ」
若者臭い青い匂いがするよ、と顔をしかめたら、一番青いのは三矢さんだろ、なんて言われた。
青くて悪かったな。
「……元気、なの?」
私は親戚のおばさんか、と思いながら聞くと、「三矢さんこそ」なんて生意気な返しが来た。
「国府田君は、アホだなぁ」
岡村さんの「アホ」が、私の言葉となり出てきた。
ほんと、アホ。
アホ、アホ。
そして私は、双葉が読んでいた本を取りあげた。
本は、アンデルセンの「雪の女王」だ。
雪の女王に攫われた、幼なじみのカイ少年を助けるために旅をする、少女ゲルダの物語だ。
「これ、読んだなぁと思って」
「暗記したの?」と聞くと、双葉は笑った。
なんだか、涙が出そうだ。
「戻っておいでよ」
あの時、引きとめられなかった後悔が、ずっとあった。
自分にはそんな資格はないとか思わずに、「抜けるなんて、アホな事を言わないの」と言えば良かったと。
双葉は椅子の上で体を少しずらすと、「そうもいかないでしょ」と言った。
この、カッコつけが。
「なんでよ」
「三矢さん、わかってて聞くところがよろしくないね」
「わからんわいっ!」
わかっているかもしれないけど、多分、なんとなく、わかるけど。
でも、ここで頷いたら、せっかく会えた意味がない。
「……明日さ。私、岡村さんの家に行くんだよねぇ」
当日のプログラムを決めるんだぁ、と言って双葉の顔を見る。
「あぁ、以知子の家ね。入りくんだ道を行くから、迷子にならないようにね」
「え、そうなの?」
それは困った。
「明日、暇な人いないかなぁ」
「どっかには、いるんじゃない?」
「ええと、駅からどうやって行けば」
「地図を書いてあげるよ」
双葉が何か書くものを出してと言ったので、私は日本史のノートを出した。
「……どのページに、書けと」
「そうね、じゃあ、最後のページで」
やれやれと言いながら、双葉が地図を書く。
書きながら「ここの角を曲がって」とか、「このタバコ屋の斜めの道を行って」とか、双葉が説明をする。
確かにこれは聞かないと、行けそうにない家だった。
「あぁ、助かった。ありがとう」
じゃあ明日、頑張ってね、と双葉が席を立ったので、思わず服を掴んでしまった。
「……明日、行かないよ」
双葉に見下ろされる。
「わ、わかった。だったら、ほら、国府田君お勧めの絵本とか、あったらそれを教えてよ」
とにかく少しでも双葉を引きとめて、そしてなんとかサークルに戻るように説得しなくちゃ。
双葉は絵本と聞くと、少し気持ちが動いたようで、スタスタと本棚に向い歩き出した。
急いであとをついていく。
「朗読できない本もあるけど」
そう言いながら、双葉は本棚をぐるりと回り、三冊の本を取って私に渡した。
「あ、『にじいろの さかな』、好き好き。 おお!『やこうれっしゃ』に、『三びきのやぎのがらがらどん』!」
どれもこれも、読んだことがある本ばかりだ。
はたと気がつく。
そういえば、この双葉は、伍代君のために絵本を暗記した男。
今更ながらに気がつく事実。
……もしかして、双葉とは、すごく趣味が合うかも。
いや、いや。
双葉は、絵本が好きで、読んでいたわけじゃなかったっけ。
全ては、伍代君のため。
そう考えると、岡村さんが伍代君に言っていた、「双葉もいい迷惑よね」という言葉が実感できた。
ふと思った。
双葉は、伍代君のお見舞に行ったり、夢に出たからと私を誘いに来たり、そんなお世話ばかりをしている。
私だって、双葉にお世話になった。
双葉は、世話焼き体質なんだ。
でも、この世話焼き体質の世話は、誰がしてくれるのだろう。
こんな風に、一人で図書館にいる双葉を見ていると、まるでミチカが涙の筋をつけて眠っていたことと同じレベルで、守ってあげたいと思ってしまう。
「……そっか。国府田君、弟になりなよ」
私がそう言うと双葉は「へ? ぼくが? 誰の?」と、素っ頓狂な声を出した。
しーっ、と、人差し指を唇にあてる。
「私の弟に決まっているでしょ。私ね、いとこもたくさんいるし、その中に男の子だってたくさんいるから、全然平気」と、自信を持って言うと、「全然平気じゃない」と双葉は、覇気のない声でぼそりと言った。
「元気ないなぁ。これからは、国府田君の面倒は私が見るから。困ったことがあったら、もう、絶対すぐに助けに行くから」
頼りにして、と胸をはる。
双葉はじろっと私を見た後、「別に困ってもないし、助けなんかいらないけど、こういった場合は、逆らわないほうがいいんだろうなぁ」と言うので、「よくわかってるじゃない」と背中をたたいた。
明日は、この三冊を持って岡村さんの家に行こうなんて思っていたら。
「じゃあ」と、双葉に逃げられてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます