第20話 南海の漂流民
大海を漂う流木のようにも見えた小舟の一群は、あっというまに近づいてきて、ヒラクたちの船を取り囲んだ。
浅黒い肌に黒髪の人々が、人なつこい笑顔で白い歯を見せる。
数十にもなる小舟は、舟の上に小屋を建てたような不思議な作りだった。
他にも果実を実らせた樹木を生えさせている舟や魚を干して加工する仕事場となっている舟もある。一部の舟が食料生産の場で一部の舟が修理や作業の場といった感じで、老人が憩い、子どもが遊ぶために作られた舟もある。
すべての舟が板を渡して行き交うことができるようになっていて、小舟が集合することで一つの町のようになっていた。
「どうぞこちらへおいでください」
「新鮮な食物はいかがですか?」
舟の人々はさきがけ号を見上げて叫んだ。その言葉は神語だ。
「おい、ヒラク、何て言ってるんだ?」
世界語しか話せないキッドがヒラクに尋ねた。
「舟に来いって。食べ物もあるって」
「どうする?」リクはキッドに聞いた。
これまでの流れから考えると何が起こるかはわからない。
キッドは思案した。
ところがヒラクは何の躊躇もなく舟に下りて行こうとする。
「おれ行ってくる」
ヒラクがそう言うと、ジークも後についていこうとした。
「ヒラク様が行くならば私も」
その様子を見たキッドも後に続こうとしたが、ユピがこれを止めた。
「言葉のわからない者が行ってもしかたない。僕が行くよ」
キッドはユピをにらみつけた。
ヒラクの影のようなユピ、そしてユピに従うヒラク。どちらもキッドは気に入らなかった。
しかしユピはそんな敵意を意にも介さず、青い瞳で冷ややかにキッドを見る。
そして見せつけるかのようにヒラクに甘い声で言う。
「ヒラクも僕が行くことを望んでいる。そうだよね?」
ユピに言われてヒラクは困ったような顔をしてうなずいた。
キッドは舌打ちする。
「わかったよ。勝手にしろ」
「じゃ、俺も勝手にさせてもらうぜ。神語がわかるなら行ってもいいってことになるんだろ?」
そう言って、ハンスはユピを見てニヤリと笑い、一緒に舟に下りていった。
ヒラクがユピの影響を受けすぎていることは、ハンスもとっくに気づいている。
ヒラクとユピの間に割って入ったハンスを見て、キッドは少しほっとした。
そして、ヒラク、ユピ、ジーク、ハンスの四人は小舟の集団に迎え入れられた。
ヒラクたちは舟の上の小屋の一つに案内された。
人のよさそうな夫婦がヒラクたちを迎える。
床には木のテーブルが固定されていた。
生活用具はすべて壁に吊り下げられ、天井からぶらさがるハンモックや吊りランプと一緒に大きく揺れている。
ヒラクたち四人は小屋の中で肩を寄せ合って座った。
そこでは様々な新鮮な野菜が提供された。
土を敷きつめた一部の舟が畑となっているらしい。
「あんたたち、大陸から来たのかい?」
浅黒い肌に赤い頬をした男がつぶらな瞳を輝かせてヒラクに聞いた。
「めずらしいことだねぇ」
善良そうな男の妻は、素朴であけすけな態度で、ヒラクたちをじろじろと見た。
ジークは不快そうに眉間にしわを寄せながら、相手にも同じ態度を求めるかのようにかしこまった口調で言う。
「私はジーク・ベルモントと申します。あなたたちはこの海域にお住まいの方々ですか。差し支えなければ、あなたたちのことをお聞かせ願えますか」
「あたしらのことって何をだい?」
ぽかんとする妻の態度に苛立ちながらジークが言う。
「たとえば名前、それから出自、生業などです」
それでも理解できないといった顔の妻に代わって男が答える。
「俺はダイクでこっちが妻のナジャ。俺たちは自分たちのことを海の民と呼んでいる。陸には一度も上がったことがない」
「陸に上がったことないってどういうこと?」ヒラクはダイクに尋ねた。
「俺たちは舟の上で生まれ、舟で育つ。大人になると、舟の上で育った木を使って新しい舟を作る。そして老いたら、棺となる舟で陸を目指す。そこで魂の衣を脱ぎ捨てて、裸となった魂は再び海に戻ってくるんだ!」
「陸に上がれば本来の世界をあたしたちは忘れちまうからね」
ナジャは無邪気に笑いながら、いたずらっ子のような目でジークを見る。
「ガチガチ頭になっちまえば、自分たちが作り出した世界にがんじがらめになっちまうんだよ」
「ここではあんたたちの住む世界じゃ考えられないことが起こるんだ!」
ダイクがそう言うと、ハンスも先程のことを思い出して言う。
「そりゃもうしっかり体験ずみさ。岩場の美女に誘われたかと思えば怪物があらわれるわ、幽霊船にでくわしたと思えば死人どもと大乱闘になるわ、何が起きてもおかしくねえ」
「そりゃ誰かの想像で創造されたもんだろうな」ダイクはあっさりと言った。
「すべては意識によって生み出される。形あるものが最初から形があったわけじゃないのさ」ナジャも言った。
「望んだからそうなった……予期したからそうなる……」
そうつぶやきながら、ヒラクは思わずユピを見た。
なぜユピはそのことを知っていたのか……。
「誰があんな巨大な岩の怪物を望んだり予測するってんでさぁ」
ハンスはうんざり顔でそう言った。
「巨大な岩の怪物? ああそれは、破壊神の残影だろうよ」
そう言ったダイクの言葉にヒラクは驚いた。
「あれが破壊神? おれが見た破壊神はあんなんじゃなかったよ」
「破壊神を見たことがあるのかい?」ナジャがヒラクに尋ねた。
「うん。呪術師の島で。でもあれは過去の記録だ」ヒラクは言った。
「過去の記録とはどういことです?」ジークが聞き返した。
ヒラクはしまったという顔をしてユピを見た。
ヒラクの特殊な能力について、ほかの人には言うなとユピには言われている。
しかし、ヒラクが口を滑らせても、ユピはそれを咎めるでもなく、青い瞳を伏せたまま、聞いているかどうかすらわからない。
ヒラクはユピを気にしながらも話を続ける。
海の民なら自分の能力を理解できるかもしれないという期待がそこにはあった。
「おれ、水に記録された過去を見ることができるんだ」ヒラクは言った。
「実際に起きたことだけじゃない。誰かの頭にあるものが形になって記録されたものも見える。それは神と呼ばれる存在だったりもする。だけどそれは人が生み出したまやかしだ」
「まやかしとも言い切れないねぇ」ナジャは言った。
「もしもそれがまやかしなら、あたしたちの存在もまやかしさ。始めに何かの意志があり、形が生まれたのだとしたら、すべてが神の一滴さ」
「神のひとしずく?」
ヒラクが聞き返すと、今度はダイクが答える。
「俺たち海の民はこの大海原を神のふところと思っている。人間の体の七割は水でできてるんだ。俺たちは神の一滴。神から生まれ、神に還る」
「水に記録されたものを見るってのも、神の一滴があんたの内にあるからかもしれないよ」ナジャもにこにこして言った。
「じゃあ、おれ以外の人でも水の記録は見えるの?」ヒラクは聞いた。
「ここでは誰もが意識で作り出したものを見ることができるんだよ」
ダイクはあたりまえだというように言った。
「ここ以外の場所ではどうしてそれができないの?」ヒラクが聞くと、
「陸に上がると人間は、自分が作り出した世界にとらわれてしまうからさ」
とナジャはまたジークをちらりと見て言った。
「人は魚から進化したっていうが、あんたらの言ってるのはまったく逆だな」
そうハンスが言うと、ダイクは人のいい笑顔を向ける。
「陸に上がった魚が人間の始まりだとしたら、きっとその魚は海に飽いて陸に上がることを望み、この海に陸地を作りあげたんだろう。そして陸に築き上げた世界が失われることのないように一定の決まりごとを作って、そこからはずれることのないようにしたんだ」
「自分たちが信じる世界以外はありえないってね」ナジャも笑顔でそう言った。
「我々メーザの人間が頑迷で無知だとでも言いたいのか」
ジークは不快そうに言うが、ナジャはきょとんとつぶらな目をジークに向けた。
「人間なんて皆同じさ。陸の世界に住もうが海の上にいようがね。ただ自分たちが神の意識によって作られたものだというのを理解できるかどうかのちがいさ」
「あなたたちの言う神って何? 神の意識ってどういうこと?」ヒラクが聞くと、
「そんなの深く考えたことないよねぇ」と、ナジャはダイクを見て言った。
「神がどういうものかなんて考えたら、その意識が神の姿を作ってしまうじゃないか」
ダイクは冗談でも言うように明るく笑って言った。
ナジャも隣で朗らかに笑い、ヒラクに言う。
「あんたの見た破壊神の残影だって、誰かが伝え聞いた破壊神の姿を想像してできたものだろうね」
「あんな神がたくさんできちゃ、俺たちも迷惑だよなぁ」
そう言いながらも、ダイクは明るく笑っていた。
彼らは肌で水を感じ、大海を漂い、漠然と神の大きさをとらえている。
大海の一滴で海の大きさは測れないように、神を知ることは自分たちの意識では到底無理だと考えていた。
「とにかく、この世界全体が神の意識だってことさ。俺たちも神の意識の一部だから創造の力がある。そしてその創造を否定することで創造が働かない世界を築くこともできるってわけさ」ダイクは言った。
「先ほどからわけのわからないことを言う。私たちが神と同じ力を持つなどと畏れ多いことだ。メーザでは、世界は偉大なる太陽神が創られたといわれている」
ジークは憤然として言った。
「そのような世界が陸地に築き上げられてても別に不思議じゃないね。少なくともあんたの意識がとらえる世界はそうなんだろう」ナジャは言った。
ナジャの言葉はことごとくジークの癇に障る。
「太陽神が唯一絶対の神だ。あなたたちは何もわかってはいない」
ジークはナジャに言い返した。
「まるで自分に言い聞かせているようですね」
それまで黙っていたユピが急に口を開いた。
「どういう意味だ」ジークはユピをにらみつけた。
ユピはただ静かにジークをみつめている。
「あなたの神は神王であるかもしれないのに」
ヒラクはぎくりとした顔でユピを見た。
「馬鹿なことを言うな」
ジークが勢いよく立ち上がったことでさらに大きく舟が揺れ、テーブルの上の果物が床に転げ落ちた。
「何むきになってるんだよ、ジーク。俺たちはネコナータの民なんだから、そう思われたって仕方ねぇってもんさ」
ハンスはジークの腕をつかんで座らせた。
ジークは気まずそうにヒラクを見た。
「申し訳ありません、ヒラク様。ですが、私のあなたへの忠誠を疑われるのは心外です。私はあなたが見出す神を信じます。あなたは太陽神を再びメーザへ導くお方です」
ヒラクは困ったように目をそらした。
もしも自分の前世が神王だったとしたら、ジークは自分のことをどう思うのだろうか。勾玉を失ったと知ればどう思うのだろうか……。
ヒラクはジークに悟られまいとするように話題を変えて夫婦に鏡のことを尋ねた。
「ところで、ある鏡を探しにここまできたんだけど、何か知らない?」
「鏡?」
夫婦は同じような顔つきでぽかんとした。
「メーザでは、神を見出す鏡だって言われてるんだ」
ヒラクは説明するが、夫婦からは何も期待するような言葉は聞けなかった。
そしてユピが重ねるように尋ねた。
「では、剣はどうですか? 破壊神が持っていたという剣です」
「ああ、それならわかるよ」ナジャはあっさりと答えた。
「ここから南南東の方角にある島では破壊神が信仰されている。今いる神が当時の神と同じかどうかは知らないが、剣の手がかりはみつかるだろうよ」
ユピはヒラクをじっと見た。
冷たく静かで有無を言わせない強く鋭いまなざしだ。
「……とにかく行ってみよう」ヒラクはぼそりとつぶやいた。
「ヒラク様、我らの目的は鏡をみつけだすことではないのですか。破壊の神やら剣やら、私には何のことやらわかりません」
ジークの言葉にヒラクは困った顔をする。
「でも、鏡の場所もわからないし……」
「勾玉は鏡のありかを示してねぇんですかい?」ハンスは聞いた。
ヒラクが勾玉の光を失っていることをハンスは知らない。
言葉につまるヒラクを助けるようにユピが言う。
「勾玉主の意志は勾玉の光にも勝る。ヒラクが行きたいと思う以上、そこに何かがあるはずです」
けれどもヒラクは自分がそこに行きたいのかどうかもよくわからなかった。
ヒラクは不安げな表情でかたわらのユピを見た。
「だいじょうぶ、心配しないで、ヒラク」
そう言って、ユピは青い瞳を細めて笑う。
ユピが微笑みうなずくことで、ヒラクは自分の選択の正しさを知ったような気になり安堵した。
それこそが洗脳であることも知らずに。
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【登場人物】
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。最初の勾玉主である黄金王が手に入れたという神の証とされる鏡を求めて、勾玉の光が示す南を目指すが、赤い勾玉主である神王は剣を求めていたことを知り混乱する。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。母と共に神帝国を追放ヒラクと共にアノイの村で育つ。ヒラクが目指す鏡は神帝国では神託の鏡と呼ばれていることを知っているがヒラクには告げない。言葉でヒラクを支配し依存させようとしている。
ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。かつて神王の民と言われたネコナータ人だが、ルミネスキ女王に仕え、神王の再来とされる神帝を討つことを命じられている。
ハンス……神帝を討つために組織された希求兵の一人。ジークに匹敵する戦闘能力をもつ。お調子者といった印象だが、洞察力があり、任務遂行のためには冷酷にもなる一面もある。
キッド……海賊島の女統領グレイシャの一人息子。三年前呪術師の島に来た時から髪が四季のように変色し最後には抜け落ちるようになった。その呪いを解くためにヒラクたちに便乗して船出した。ヒラクには友情を感じている。
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