第12話 出港前夜

 出港前夜、北の港で一番大きな酒場では、アニーや島の海賊たちによるキッドたちのはなむけの宴が開かれた。

 宴には、さきがけ号に乗り込む者たちのほとんどが参加していた。

 片目のゲンやゲンを慕う海賊たちは威勢のいい若者たちとは対照的に神妙な面持ちでしみじみと酒を飲んでいたが、蛇腹屋はテーブルの上から上へと跳ね回り、手風琴を鳴らして陽気に歌っていた。


 グレイシャはもちろん、廃船の館の海賊たちはその場にはいなかった。

 そしてユピもまた宴には参加していない。

 ヒラクはさびしいようなほっとしたような複雑な気持ちでいた。


 宴もたけなわといったところで、ジークはおもむろにアニーに近づいて声を掛けた。


「こちらにいる間は何かと世話をかけた」


 ジークはこれまで野宿をして過ごしていたが、アニーやセーラに食事や洗濯などの世話をされることもあった。


「いいのよぉ。大したことしてないわよぅ」


 アニーは明るく笑って言うが、ジークは表情を和らげることもなく、真顔で何かを差し出した。


「そういうわけにはいかない。世話になった分の支払いは済ませておきたい。受け取ってくれ」


 ジークは数枚の銀貨をアニーに見せた。

 だがアニーはやんわりと断る。


「本当にいいってばぁ。あたしがしたくてしたことだしぃ」


「そうはいかない。受け取ってくれ」


 ジークは頑なな態度をくずさない。

 それを見ていたリクが言う。


「いいって言ってんだからさ、もうそれはひっこめなよ」


「そうそう、うちの母ちゃんはそんなにケチな女じゃないぜ」


 カイも横から口を出し、ジークの肩をぽんと叩いた。

 するとジークはその手を振り払い、鋭い声で言った。


「海賊などの世話になったとあれば末代までの恥。これですべて帳消しにしてくれ」


 その場は一瞬で緊迫した空気に包まれた。

 カイは肩を怒らせてうつむくと、次の瞬間にはジークの胸倉をつかんで壁におしつけた。


「てめぇ、一体どういうつもりだ。うちの母ちゃんに世話になったことがそんなに気にくわねぇっていうのか」


「やめろ、カイ」


 リクが間に入って止めた。


「やらせろよ、母ちゃんを侮辱する奴は俺も許せねぇ」


 クウは割って入ったリクの体を引き戻す。

 すると普段は穏やかなリクが珍しく声を荒げた。


「いいかげんにしろ。これじゃ母ちゃんが開いてくれた宴会も台無しだ」


「あんたたちぃ……」


 三兄弟が振り返ると、アニーがぼろぼろと涙をこぼしていた。


「なぁんて母ちゃん想いのいい子たちなのぉ。あたし感激しちゃったぁ。感激ついでに歌っちゃう。あんたたちによく歌った子守唄よぉ」


 アニーは蛇腹屋に演奏させて、下手くそな歌を歌い始めた。

 その場の雰囲気は一変し、周囲は再び笑いに包まれた。


「……ほんと、かなわねぇなぁ、母ちゃんには」


 リクがほっとしたように笑った。


「俺、この歌覚えてる」


 アニーの歌を聞きながらカイがつぶやくと、からかうようにクウが言う。


「もしかしてカイ、ちょっと泣いてる?」


「泣いてねぇよ」


 三兄弟もいつもの調子に戻っていた。


「あーあ、こりゃ朝まで続きそうだな」


 キッドが困ったように言っているのを聞きながら、ヒラクは店から出て行くジークの背中をみつめていた。


「ほんとあいつは空気読まねぇ奴でさぁ。せっかくの宴会がぶち壊しになるところだ」


 いつのまにかヒラクの隣に来ていたハンスが言った。


「ねえ、なんでジークはあんなこと言うの? アニーのことが嫌いなの?」


 ヒラクが尋ねると、ハンスは眉を上げて吐息した。


「あいつが嫌いなのは海賊でさぁ。ネコナータの民は、奴隷として売買されていたことがあるんです。その奴隷貿易を積極的にやっていたのが海賊だったってわけ。ネコナータの民の血を引くあいつとしては、そんな歴史がどうしても許せないんでさぁ」


 ハンスは淡々と言うが、ハンス自身もネコナータの民である。


「ハンスは海賊のこと嫌いじゃないの?」


「おいらは別に。その時々で自分の得になるものを選ぶ主義でさぁ。明日出港ってときに、これから船に一緒に押し込まれる連中と気まずくなるような真似はしませんよ」


 地元の海賊たちと見分けがつかないぐらいすっかり馴染んでいるハンスに比べ、ルミネスキからの服も着替えず騎士然とした態度を貫きとおしていたジークは、それでなくとも周囲から浮いていた。

 そんなジークの頑なさにハンスはあきれながらも、自分の要領のよさを良しともしていない。


「まあ、でもねぇ……」ハンスはヒラクに言った。「おいらみてぇな薄汚ねぇ野郎よりゃ、一本気で実直なあいつの方が、なんぼかましってもんですぜ。めんどくせぇ奴だが、その辺のところはわかってほしいもんでさぁ」


 ヒラクは軽くうなずくと、何も言わずに外に出て行った。


 ハンスはかたわらのキッドに手を差し出す。


「まあ、そんなわけで、ジークともどもよろしく頼みますよ、船長さん」


 キッドは、渋々うなずいて、ハンスとしっかり握手した。



 ヒラクが外に出ると、店の前にジークが所在なげに立っていた。

 本当ならこの場にいたくはないのだが、それでもヒラクのそばは離れられないという気持ちが強い。

 ジークはヒラクを見るなり決まり悪そうに頭を下げた。


「申し訳ございません。もう少しで勾玉主様の立場まで悪くしてしまうところでした」


「そんなことは別にいいよ」


 そう言って、ヒラクは背の高いジークをじっと見上げる。


「ノルドを出てからもうずいぶん経つのに、おれ、ジークのこと何も知らなかったよね」


「私のことなど……。私はあなたが気にかけるような身分の者ではございません」


 ジークは恥じ入るように言うが、ヒラクはまっすぐにジークの目を見て言う。


「身分とかそんなの関係ないよ。おれ、ジークのことがもっと知りたいよ。おれ以外の人が何を考えているのかが知りたい。何をどういうふうに感じているのか、大事なものは何か。何に喜び、何に悲しんだりするのか」


 アノイにいた頃、ヒラクはそのように考えたこともなかった。

 漠然とではあるが、自分が好むものが他人も好むもので、自分の考え方が一番正しいものだと思うところがあった。

 だが、アノイを出て、世界の広さを知り、あらゆる場所であらゆる人々と接するうちに、人の数だけ考え方や生き方のちがいがあると感じるようになっていた。


「……ずいぶんと、世界語がお上手になりましたね」


 ジークは薄い緑の瞳を細めて言った。

 ヒラクはジークにほめられてうれしくなった。


「ジークや女王のしゃべり方は難しくてよくわからなかったけど、こっちに来てからはわかりやすくて、特にキッドとはよくしゃべるから、自然に覚えていったんだ」


「……あまり、感心できることではありませんね」


 ジークは険のある顔つきで言った。


「海賊たちの世界語は、がさつで品がない。ずいぶんと崩した使い方をする。勾玉主様にはふさわしくないものです」


 とげのある言い方にヒラクは傷ついたような顔をした。


「リクもカイもクウも海賊だけどいい奴だよ。それにキッドはおれの親友だ。友情の誓いだってしたんだ。ひどい海賊もいるかもしれないけれど、みんながみんな一緒じゃないよ」


「海賊と友情の誓いですか……嘆かわしいことです」


 ジークは取り付く島もないといった様子で、顔を背けて大げさにため息を吐いた。


「ジークが海賊を嫌いなのは、自分がネコナータ人だから?」


 ヒラクはジークにはっきり聞いた。

 ジークは一瞬不快そうな顔をしたが、すぐにいつものかしこまった顔つきに戻った。


「そのとおりです。私はネコナータの血を引く者として、海賊たちが犯した卑劣な行為を許すわけにはいかないのです」


「でも、たとえば、ジークは前世でもネコナータ人だったわけじゃないかもしれないじゃないか。卑劣な行為をする側にだってなったことがあるかもしれない。それなのに、されたことばかりを恨むの? 自分はこれからもそういうことを絶対しないって言い切れるの?」


 ヒラクは、人は前世で生きていたのとはちがう国に立場や性別を変えて生まれ変わることがあるということを知っている。

 ルミネスキの信仰者同士の対立を通して、迫害された側の人間が生まれ変わって迫害する側に立場を変えたという事実を知ったからだ。

 前世は幾重にも重なり、その都度、記憶を封じていく。

 本人の自覚もないままに繰り広げられた悲劇をヒラクは垣間見た。

 だからこそ、過去の自分が今と同じ選択をしたのか、未来の自分が今と同じ選択をするのかというのは、必ずしもそうだと言い切れないのだと感じている。


「あなたのおっしゃることは私にはよくわかりません」


 ジークは困ったように言った。

 ヒラクもジークに説明するのは難しいと思った。

 それでも何かを伝えたいという思いがある。


「ジークはおれが勾玉主だから特別に思ってくれるんだよね」ヒラクは言った。


「勾玉主という存在は尊きものですから」


 ジークはあたりまえのことだというように言った。


「じゃあ、おれが勾玉主じゃなくなれば、もうどうでもいいってことだね」


「それは……」ジークは言葉をつまらせた。


「おれは、勾玉主じゃなくたって、神さまを探しに行きたいって気持ちは変わらない。だから探しに行く。でもおれが勾玉主じゃなければジークはついてくることもないんでしょう?」


「そんなことは……」


「どっちでもジークは選ぶことができるんだ。立場なんて関係ないよ」


 そう言ったヒラクの琥珀色の瞳が酒場からもれる灯りで輝く。

 その目そのものに強い光が宿っているかのようだ。


「過去も未来も関係なく、今の選択は今の自分が自由にできるものなんだ」


 ヒラクの言葉はジークの胸の奥にある何かを揺さぶった。


「勾玉主様……私は……」


「ヒラク」


 ヒラクは口を大きく動かして言った。


「おれにはヒラクって名前がちゃんとあるんだ」


「はあ……」


 そうはいってもなんと呼びかけていいものかジークは戸惑った。


「……私は、あなたをお守りするのが私の使命と思っているのです」


「それは、おれが勾玉主だから?」


「……わかりません。わからなくなりました。ですが、あなたについて行きたいと思う気持ちは本当です。ヒラク……様」


 ジークは口ごもりながらヒラクの名前を呼んだ。

 それを聞いてヒラクはうれしそうに笑った。

 それは、ジークが始めてヒラクを勾玉主としてではなく、一人の人間として見た瞬間だった。




 そして出港の朝がきた。


 空は雲ひとつない快晴だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【登場人物】

ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。かつて黄金王が手に入れたという神の証とされる鏡を求めて、勾玉の光が示す南を目指す。


ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。ヒラクが目指す鏡は神帝国では神託の鏡と呼ばれていることを知っているがヒラクには告げない。


ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。ヒラクに忠誠を誓うが、ユピに対して強い警戒心を抱いている。


ハンス……ジークと同じ希求兵の一人。もともと港の人夫として神帝国に潜入していたことと調子の良さで海賊たちとは打ち解けやすい。


キッド……ヒラクと同じ緑の髪をした少年。海賊島の女統領グレイシャの一人息子。呪いにより髪の色が四季のように変化し最後はすべての毛を失う。


リク……三兄弟の長男。バンダナの色は黄色。温厚で面倒見がよい。


カイ……三兄弟の次男。バンダナの色は赤。気が荒くけんかっ早い。


クウ……三兄弟の三男。バンダナの色は青。クールで人のことに興味がない。


アニー……・三兄弟の母。島の連絡手段である白羽鳥の管理者。酒飲みで昼夜問わず酔っ払っている。五人の子供の父親はそれぞれ誰かはっきりしない。


グレイシャ……海賊島の統領。ルミネスキ女王からも一目置かれた存在。


ゲン……・刀傷で片目が塞がった白髪交じりの初老の海賊。他の海賊たちからの信望も厚く、グレイシャにも頼りにされている。


蛇腹屋……誰とも群れない謎の海賊。手風琴を演奏する音楽家だが剣士でもあり腕が立つ。



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