第11話 愛の形と友情の誓い

 すっかりキッドと仲よくなったヒラクは、再びアニーの家で暮らすことになった。


 どこにでも馴染むハンスはともかく、ジークは野宿を続けていた。


 ユピはヒラクと寝起きは共にしたが、グレイシャに呼び出されて舘に行くことも多かった。



 やがてキッドの髪が完全に鮮やかな赤に染まる頃、いよいよ出港の時がきた。


 キッドはグレイシャに港への出入りを許されてからは、ほとんど毎日港に通い、積荷の確認や船の整備に精を出していた。


 ヒラクはキッドと行動を共にすることが多かった。

 だがそのことが、ヒラクに罪悪感にも似た思いを抱かせる。


「おい! 聞いてるのか!」


 昼は閉めている港の酒場の一隅を借りて、仲間たちと共に船での役割分担について話していたキッドが大声でヒラクに言った。


 ひび割れた壁に沿って酒樽が並び、木の丸テーブルを囲んでキッドと三兄弟が座っている。

 入り口近くにはジークとハンスもいる。

 他にいた仲間たちはとっくに店を出ていなくなっていた。


「船の上ではぼんやりなんてしてられねーぞ。ましてや南の地では一瞬たりとも気が抜けねーんだから」キッドはヒラクを𠮟りつける。


「……うん、ごめん」


 元気のないヒラクの様子にキッドはそれ以上は何も言わず、立ち上がってヒラクの手を引いて外に連れ出した。


「こんな薄暗い陰気臭い店にいるから気も滅入るってんだ。浜辺に出ようぜ」


 キッドはヒラクと二人で外に出た。

 外は太陽がまぶしく、浜辺の白砂は目に痛いほどだった。


「知ってるか?ヒラク。人間って太陽の光を浴びると元気になるようになってるんだぜ。逆に夜には大したことじゃないことも大げさに悩んじまうのさ。だから夜は酒でも飲んで何も考えずに寝ちまうのがいいんだってさ」


 そう言って、キッドは両腕を振り上げて伸びをした。


「それってアニーの受け売りじゃない?」


 ヒラクはアニーが晩酌の言い訳に同じようなことをセーラに言っていたのを思い出した。

 そしてふと気になっていたことを口にした。


「キッドの母親ってグレイシャなんでしょう? なんでキッドはアニーたちと暮らしているの?」


「それは、あの人がこの島の頭領だからさ」


 キッドは水平線の向こうを見るような遠い目をして言った。


「海賊ってのは人に従おうとしない連中ばかりさ。上下関係だってねえ。気にくわなきゃすぐ他の奴が成り代わろうとする。そいつらを束ねていくんだ。生半可な気持ちじゃやってけねぇだろ? 母親なんてやってる暇はねぇんだよ」


 キッドは何度も自分にそう言い聞かせたかのように、すらすらとそう答えた。


「だからアニーが代わりに母親になったの?」ヒラクはキッドに聞いた。


「ああ、頭領がアニーに頼んだんだ」


「キッドはそれでよかったの?」


 ヒラクが問うと、キッドは少し黙り込み、言葉を探すように言う。


「そんなこと考えたこともないし……いや、考えようとも思わなかったな。物心ついた頃にはアニーが本当の母親じゃないってわかっていたけど、だからといって、頭領のことを母親だなんて思ったこともないし。向こうもそっけないもんだぜ。だから頭領の一人息子だなんて言われても、いまいちぴんとこないんだ」


「ふうん」


 ヒラクは、そんなものなのかと思いながら聞いていた。

 考え込むヒラクに、キッドはわざと明るく言う。


「でもまあ俺だけじゃないぜ。みんな色々事情はあるのさ。一番下のマリーナだってアニーの本当の子どもじゃない。捨てられてたのを拾われたんだよ。セーラはアニーが産んだらしいけど、リクたちとは父親がちがう。そういうところがだらしないってセーラはアニーに反感持ってて、マリーナはきちんとした女に育てるんだって、自分が母親のつもりでいる」


「セーラは、キッドに対しても母親みたいだよね」


 ヒラクはキッドに対するセーラの態度を思い出して言った。


「ほんとだぜ。年だって変わらないってのにほんと色々おせっかいでさ」


 キッドは照れくさそうに言った。


 ヒラクはなぜか従妹のピリカのことを思い出した。

 そして腰に巻きつけているひもをキッドに見せた。ひもの両端には布の切れ端で作った房のようなものがついている。


「おれにも妹みたいな女の子がいた。ピリカっていうんだ。アノイの地を旅立つときにこれをくれたんだ。お守りなんだって」


 それは、アノイ族の女が嫁ぐときから死ぬときまで身につける腰ひもである。

 だが、それがアノイの女の証であることをヒラクは知らない。


「ピリカはおれのお嫁さんになりたいって言ってた。でもおれがユピをお嫁さんにするって言ったら泣いた。おれ、ピリカのこと、いっぱい泣かせた……」


 ヒラクは急にアノイの地をなつかしく思い出した。

 それと同時に神帝国がアノイを滅ぼしたかもしれないということも思い出した。

 自分の目で見て確かめるまでは信じないと決めたヒラクだったが、神帝国への憎しみが胸の奥を熱く焦がした。


「おれはアノイの地を捨ててきたんだ。ユピと一緒にいることを選んだんだ。ユピも神帝国を捨ててくれた。だけどやっぱりおれはアノイのことを忘れないし、もしかしたらユピも……」


「……やっぱりな」


 キッドは大きく息を吐いてヒラクを見た。


「おまえの悩みはやっぱりユピか」


「……ちがう。そんなんじゃないよ」


 そうつぶやいて、ヒラクは暗い表情で海を眺めた。


「何がちがうだ。ほら、その顔! 今、ユピのことを考えただろう。最近おまえ、ユピと一緒にいるといつもそんな顔してるぜ」


 ヒラクは自分でも気づいていなかったことを指摘され、いつそんな顔をしていたかと考えながら、ユピとのやりとりを思い出していた。


 ある時、ヒラクはキッドと一緒に北の港のさきがけ号を見に行った。

 ユピもついてきたが、途中で気分を悪くして、廃船の館で休むことになった。

 キッドはグレイシャのいるところには近づこうとしない。

 ヒラクはユピのことが気になったが、キッドと行動することを選んだ。

 そして日暮れになり、ユピのところへ行くとユピは寂しそうに言った。


「君が楽しんでいるときは、僕のことなんて頭にないんだろうね」


 実際そのとおりだったので、ヒラクは何も言い返すことができなかった。

 そしてユピはさらにヒラクを困らせる言葉を投げかけた。


「南に行って鏡をみつけたらどうするつもり?」


「鏡をみつけたら次にどうすればいいかきっとわかるよ」


 ヒラクが明るく言うと、ユピは眉をひそめた。


「わからなかったらどうするの? 君は一体どうしたいの? 何も考えないで何かできると思っているの?」


 責められるような思いでいたたまれなくなったヒラクは、ただ困ったようにうつむくだけだった。

 するとユピは急に優しい声で言う。


「大丈夫。そのときは一緒に考えよう。だから鏡をみつけたらすぐに僕に言うんだよ」


 ユピが微笑むとヒラクは心底ほっとした。

 いつからか、ヒラクはユピの機嫌を損なわないよう気をつかうようになっていた。 

 たとえばキッドの話をすると途端にユピはそっけなくなってしまう。

 それでいて、何も話さずにいると、それはそれでユピの気に入らない。


「前は何でも話してくれたのに、最近は僕に秘密を作るようになったね」


「そんなことないよ。でもユピが聞いてもおもしろい話じゃないし……」


「キッドなら、おもしろがってくれる話? 僕じゃもう君の相手はつとまらないのかな」


「そんなことないよ」


 万事がその調子で、一緒にいる時間が重く苦痛になっていた。


「あーあ、キッドが相手なら何も考えないで言いたいこと言えて楽なのに」


 ヒラクが言うと、キッドはムッとした顔をした。


「何だよ、それは俺様が単純バカっていうことか? ちょっとは俺にも気をつかえよな」


 そうは言ってもキッドが本気で怒っているわけもなく、一緒にいる気楽さにヒラクは心地よさを覚えた。


「おれ、ユピのことが好きだし大事なんだ。だけど最近は一緒にいるとつらくなる。ユピはおれのこと嫌いになったのかな? なんでこんなふうになっちゃったんだろう」


 ユピのことを思い出すと、ヒラクの表情が途端に曇る。

 それを見てキッドが言う。


「……よくわかんねーけど、人が人を好きになるのって色んな形があるんだと思うぜ。好きとか嫌いとかそんな単純なことじゃなくてさ」


「色んな形か……」そう言って、ヒラクはため息をついた。


 ヒラクはアノイを出てから様々な愛の形を知った。

 いまだ理解できないことも多いが、キッドの言っていることはわからなくもないと思った。


「アニーはさ、頭領に会うまでは、恋多き女ってやつでさ、一人に落ち着くことなんてなかったっていうぜ。でも今は頭領一筋さ。最初は、女相手にへんなのって思ったけど、一人の人間に惚れこむのに男も女も関係ないんだってアニーが言ったんだ。俺、今ならそれがちょっとわかる気がする」


 そう言って、キッドは右手でこぶしを作ってヒラクの前に突き出した。


「何それ?」


 ヒラクが聞くと、キッドは少し照れたように笑った。


「こうやって、お互いのこぶしを合わせるんだ。友情の誓いってやつ。俺、おまえのこと、女だとか男だとか関係なく、心底信頼できる友だちだって思ってる。南でどんな危険なことがあっても、俺はおまえと生死を共にする覚悟だ」


 ヒラクはその言葉をうれしく思い、同じようにこぶしを突き出して、キッドの右こぶしにあてた。


「おれたち、ずっと友だちだよ」


 ヒラクの晴れやかな顔を見て、キッドも安心したように笑った。


          


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