第7話 廃船の館

 グレイシャの住む館というのは港近くの浜辺に引き上げられた大型帆船のことだった。船はかなり損傷していて、三本マストのうち一本は折れ、舷側には砲弾の痕が何ヶ所もあった。


 アニーは、マストの上の見張り座にいる男を見上げて手を振った。


「おーい、遊びにきたよぉ」


 男はアニーの姿を確認すると、甲板上の男たちに合図し、縄梯子をおろしてヒラクたちを船に上げた。


 アニーは甲板上のコックに料理を作らせ、男たちに船倉の酒樽を船尾楼の居室に運ばせた。


 居室にはテーブルや長イスがあり、くつろぐには十分な広さがあった。

 アニーは酒樽のワインをすでに飲んでいる。

 ヒラクはグレイシャと二人きりでいるユピのことが気になったが、コックが運んできた料理に関心を奪われた。

 粒こしょうをたっぷりまぶした豚のかたまり肉を香草とトマトで時間をかけて煮込んだ料理の香りがヒラクの空腹を刺激する。

 切り分けられた料理に飛びつき、ヒラクは夢中で食べ始めた。

 それにつられてカイも一緒に食べ始めるが、ヒラクのように食べ物で自分が置かれた状況をうやむやにすることはできない。


「母ちゃん、俺、これ食ったら帰るよ」


 カイは食べながらアニーに言った。


「何よぉ、あんた、三人一緒じゃなきゃ何もできないのぉ」


 アニーはからかうように言う。


「どうせなら他の二人も呼んじゃおうかぁ。母さんは、白羽鳥の世話があるから戻らなきゃいけないしぃ」


「あいつらは関係なく、俺が帰りたいってだけ」カイは言った。


「とりあえず、お裁きは迎えの船が戻ってきてからだしぃ、あんたたちが謝らなきゃないのはぁ、無駄足になった船にじゃなぁい?」


「でも何もここで待ってる必要はないだろ」


「ヒラクについていてあげてって言ってるのよぉ」アニーは語気を強めて言う。


「ヒラクに?」


 カイは隣で食べ続けているヒラクに目をやった。


「そうした方がいいんじゃないかなぁって思ってぇ。母ちゃん、な~んか胸騒ぎぃ。わかんないけどぉ、一人にしない方がいいかもぉ」


 アニーはすっかり酔っていたが、気まぐれでそう言っているわけではなかった。

 しかしカイは気楽に言う。


「胸騒ぎって? ヒラクは女王の客人だろう? だからここにも迎え入れられたわけだし、大丈夫じゃねーの?」


「う~ん、でも実際、この子は今あたしたちがいなきゃ一人じゃなぁい? お客ならもっと大事にしてもいいはずだけどぉ」


「頭領には頭領の考えがあるんだろう」カイはあっさり受け流す。


「まあねぇ。そりゃそうなんだろうけどぉ……あっ、そっちはだめよぉ」


 アニーは、ヒラクが奥の部屋の扉の丸窓から中をのぞきこもうとしているのを止めた。


「そこはねぇ、だぁれも入れない船長室なのぉ。グレイシャの寝室よぉ。あたしでも入れないんだからぁ」


 アニーは後ろからヒラクの両肩をつかんで扉の前から遠ざけた。


「この船はねぇ、伝説の海賊の船だったのよぉ。グレイシャの最愛の男。ほんの二十年前ぐらいまではこの中海はまだ無法地帯で海賊たちが暴れまわっていたのぉ。中でも恐れられたのがその男ってわけぇ。グレイシャもこの船の戦闘員だったのよぉ。二人の思い出の船で愛した男を想い続けるなんて浪漫でしょ~?」


「はあ……」


 ヒラクはよくわからないといった顔をする。

 アニーは酔いも回ってすっかり饒舌になっていた。


「あたしはねぇ、若い頃からそりゃもう男にだらしなくってぇ、リクたちの親だってはっきりしないぐらいだしぃ」


「え? どういうこと? みんな兄弟なんでしょう?」


 ヒラクはカイに聞いた。


「兄弟は兄弟だけど、誰と誰の父親が同じかはわかんねーんだ。俺たちの父親らしき男が、よく似た双子の船乗りで、片方が航海中でいないときには、もう片方が母ちゃんのところに通ってた。それで俺たちは、それぞれ順番に生まれてきたけど、これまた顔がそっくりだし、どっちの父親の子だかわからないってわけさ」


 カイは大したことではないというようにさらりと言った。


「でもねぇ、グレイシャに会って、初めて本当に人を好きになるってこういうことなんだぁってわかったのぉ。グレイシャってかわいいでしょぉ?」


 アニーは言うが、ヒラクは鷹のように鋭いグレイシャの目を思い出すととてもかわいいとは思えなかった。


「グレイシャはぁ、自分が理想とした男のようにふるまっているのよぉ。でもねぇ、本当はそんな男じゃなかったのよぉ。あたしの前では愚痴も言ったし弱音も吐いた。でもグレイシャにはそういうところは一切見せなかったのねぇ。グレイシャは自分がその男に求めた姿を自ら演じているのよぉ。そういうところが健気でぇ、かわいくてぇ、あたしは大好きなのぉ。今じゃグレイシャがあたしの最愛の人なのよぉ」


 そのうちアニーは酔っ払って寝てしまい、ヒラクもいつのまにか寝てしまった。


 目が覚めた時にはアニーの姿はなかった。

 カイだけが館に残り、結局ユピは一晩戻ってこなかった。


           


 翌日、午後になってリクとクウもやってきた。

 グレイシャと会うのを恐れていた二人だが、館にはいないことを知ってほっとしていた。

 ユピは一度ヒラクのところに来たが、グレイシャに呼ばれてすぐにどこかに行ってしまった。


「なあ、勾玉主っておまえなんだろう? なんで頭領はもう一人のネコナータ人ばかり相手にしてるんだ?」


 カイは、船室に運ばれてきた昼食のパンとチーズとハムをほおばりながらヒラクに尋ねた。


「ルミネスキのこととか、女王の様子とか色々聞かれてるみたいだよ。おれ、あんまり世界語わかんないし、ユピの方が上手だからさ」


「けっこうしゃべれてるじゃん。そんなもんで十分だよ」


 クウが言うと、ヒラクはうれしそうな顔をした。


「ほんと? でもルミネスキじゃ何言ってるかわからなかったんだ。今もあんまりだけど、カイたちの世界語はわかりやすいよ」


 ヒラクは三兄弟にすっかり打ち解けていた。


「ところで、おまえとあのネコナータ人、どこで知り合ったわけ?」


「なんで一緒に行動してるんだ?」


 カイとリクに聞かれてヒラクはあっさりと答える。


「ユピは神帝国人だけど、俺の村で一緒に育ったんだよ」


「神帝国人!」


 三人は驚いて同時に叫んだ。


「……ますますわからねぇな」カイが言うと、

「頭領は何考えてるんだか……」リクもうなずき、

「う~ん」クウも考え込んだ。


 昼食を食べ終えたヒラクは、急に気が向いたように船室から甲板に出て行ってしまった。

 リクたちがあわてて後を追う。


「おい、うろちょろするなって」とクウは舌打ちし、

「甲板には怖ぇ連中がいっぱいいるんだぞ」とカイはあわてる。


 しかし、ヒラクに続いて甲板に出た三兄弟は、男たちの数が減っていることに気がついた。


「おかしいな」


 リクは首をひねる。


「どういうことだ?」


 兄弟が顔を見合わせていたその時、見張り座から男が叫んだ。


「港に船が入るぞ。ルミネスキから戻ってきた船だ」


「まずい……」


「まずいな……」


「どうする?」


 うろたえる三兄弟にヒラクは明るく言う。


「見に行ってこよう!」


 ヒラクは船べりから縄梯子を下ろす男たちの中に割り込み、あっというまに船から降りて、港に向かって駆け出していってしまった。


「しょうがないなぁ」


 追いかけるリクの後にカイとクウも続いた。


 そしてヒラクは、呪われた緑の髪の少年を初めて目にすることになる。


           


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