第8話 海賊島のキッド

 三本マストの帆船が北の港に入港した。

 船首楼に腕組みして立つ緑の髪の少年の姿を見てカイが叫ぶ。


「キッドだ!」


 三兄弟は船着場に立ち、それぞれ大きく手を振った。

 それに気づいたキッドは、船から降りてくるや鬼のような形相で三兄弟の前に走ってきた。


「よくも、よくも、よくもーっ!」


 キッドは三兄弟を前にすると、怒りで血の気の引いた顔でくちびるをぶるぶると奮わせた。


「よくも俺を置いていったな」


「戻ってこれたんだし、よかったじゃん」


 そう言うクウを、キッドは血走る目でぎろりとにらんだ。


「ふざけるなっ。取り残された俺がどんな思いだったか……おまえらにわかるか……おまえらに……」


 言いながら、それまで張り詰めていた緊張が一気に解けたかのようにキッドはぼろぼろと涙をこぼした。


「あーあ、おまえは、俺らの前だとすぐ泣くな」


 リクは頭に巻いていた黄色い布を取り、キッドの顔を拭いてやった。


「おれと同じ髪だ……」


 三兄弟と一緒にいたヒラクは、キッドの髪の色をじっと見た。

 キッドも涙を拭いながら、同じ緑の髪で自分と似た格好をしたヒラクを見て驚いている。


「何だ、おまえ、何で俺様の服を着てるんだよ」


「勾玉主様!」


 ヒラクとキッドの間にジークが割り込んできた。


「ジーク?」


 見ると、そばにはハンスの姿もある。

 二人はキッドと一緒の船で海賊島までやってきたのだ。


「勾玉主様、その者たちは?」


 ジークは鋭い目つきで三兄弟を見た。


「おれをこの島まで連れてきてくれた人たちだよ」


 ヒラクは明るく笑って言った。


「じゃあ、勾玉主様をさらった張本人ってわけですかい」


 ハンスはあきれたようにヒラクを見た。


「そういや、最初はそうだっけ? でも今は仲よくやってるよ」


「仲よくだぁ?」


 ヒラクの言葉にキッドが怒りをあらわにした。


「どういうことだよ。俺様がいない間におまえらは一体何やってるんだよ!」


 キッドは三兄弟につめよった。

 気づけばヒラクたちの周りには人だかりができていた。


「おい、あれ、キッドじゃねぇか?」


「呪われてるってうわさの?」


「似たようなのがもう一人いるな?」


「同じ髪の色だ」


 人々のざわめきが大きくなってくる。

 三兄弟はヒラクとキッドを連れてその場を離れることにした。


「あんたらも一緒に来なよ」


 カイはジークとハンスに声を掛けた。


「なんだよ、どこに連れて行く気だよ」


 クウに手を引かれるキッドが大声でわめく。


「頭領の館だよ」


「はあ? なんでだよ」


「もうとっくに全部ばれてるんだよ」


「げっ」


 リクの言葉にキッドは顔を引きつらせた。


「どのみち迎えの船で戻ってきてるんだから、頭領にはすぐ呼ばれるだろうよ。自分から謝りに行った方がいいって」クウは言った。


「おれ、あの人には会いたくないんだよ」


 キッドはクウに捕まれている手を振り払おうとしてじたばたともがく。


「会いたくないって何だよ。自分の母親だろう?」


 リクが言うと、キッドはもがくのをやめて、ぶすっとしたままおとなしくなった。


「何ふてくされてるんだよ。反抗期かぁ? 久しぶりに母親にあいさつして、今回のことは俺たちはつきあわされただけだって言ってくれよな」カイが言うと、


「そうそう、俺たちは巻き込まれただけだってさ」隣でクウがつけくわえた。


 兄弟たちが口々に言うのをヒラクは黙って聞いていた。

 一つだけはっきりわかったことがある。


「ねえ、グレイシャってキッドの母親なの?」


「ああ。キッドは頭領の一人息子さ」


 そう言うクウの隣で、キッドは居心地悪そうにうつむいていた。

          


 館となっている廃船まで戻ってくると、甲板上にはユピの姿があった。

 汚れた衣服を着替え、薄手のシャツに短いベストをはおり、裾のすぼまった七分丈のズボンをはいたすっきりとしたいでたちになっている。


 船に上がったヒラクにユピは言う。


「心配したよ。どこに行っていたの?」


「ごめん、港に行ってたんだ。そこでジークとハンスにも会ったよ」

 

 ユピは甲板上で海賊たちに囲まれているジークとハンスに目をやった。

 ヒラクの従者だと言っても、海賊たちはジークたちへの警戒を解かない。

 そんな中、グレイシャが姿を現した。


「またルミネスキからの客人が増えたのかい?」


 グレイシャは三兄弟のそばにいるキッドに声を掛けた。


「久しぶりだねぇ。無事戻ってきたようでよかった」


 キッドは何も言わず、ぷいっと顔を横に向けた。


「全員そろったのなら話は早い。客人たちを交えて話をしよう」


 気づけば、甲板上にはいかつい男たちがぞろぞろと集っていた。

 ヒラクたちが港に向かったときにはいなかった者たちもいる。

 同じ海賊と言っても、キッドや三兄弟の仲間の若者たちとはまったく様子がちがう。

 義足の者もいれば、厚い胸板の刀傷に黒い縫合の痕を残す者、顔中傷だらけの者もいる。彼らの暗い目の奥は鋭く、殺伐とした雰囲気が漂っていた。


 グレイシャより上の世代の海賊は、中海で略奪と殺戮の日々を過ごしてきた。

 しかし今の海賊たちは傭兵という立場にあり、ルミネスキからの報酬で生計を立てている。彼らは、明日が来ること当然のように受け入れて、平和を享受していた。


 一方で、キッドや三兄弟たちを含む十代の若者は、その状況に物足りなさを感じていた。そして海賊稼業に浪漫を求め、冒険や未知の世界を渇望するところがあった。

 そんな若者ののんきさを上の世代は苦々しく思っている。

 命のやりとりをせずに済む平和な時代だというのに、自ら危険に飛びこむなど愚かとしか言いようがない。かつて多くの仲間を若いうちに失った世代なのだ。


 そんな世代間の格差もあり、キッドと三兄弟たちは、上の世代の海賊たちを前に畏縮している。


 海賊たちは甲板の中心に立つグレイシャとヒラクとユピを取り囲む。

 ヒラクを警護するようにジークとハンスがそばにいる。


「みんな聞きな」グレイシャは低い声を張り上げた。


「女王からの命令だ。ここにいるルミネスキの客人を乗せて南海域に船を出し、無事に戻らなければならない。島を留守にするわけにもいかないし、あたし自ら船を出すわけにはいかない。代わりに誰か船を出せる者はいるか?」


 すぐに名乗りを上げようとする者は誰もいなかった。

 南は悪魔の海域だというのが海賊たちの常識だ。


「誰もいないなら別にいいよ」気楽な口調でヒラクが言った。「そのかわり船だけでも用意してよ。自分たちでなんとかするからさ」


 その言葉で海賊たちは殺気立つ。


「自分たちでなんとかだと?」


「できるもんならやってみな」


「海のこともろくに知らねぇくせによ」


「おやめ!」


 グレイシャが言うと、男たちはいっせいに口をつぐんだ。


「南は危険な海域だ。相当な航海術を持った者でなければ無理な話だ。だからこそ、女王はあたしらに命じているんだ。誰か船を出そうという者はいないのか?」


 グレイシャはもう一度言うが、海賊たちはしんと静まりかえる。

 無理もないとグレイシャが思ったそのとき、沈黙を破る声がした。


「俺が行く」


 そう言ったのはキッドだ。


「頭領、俺に行かせてくれ。もともとそのつもりでルミネスキの港に勾玉主をさらいに行ったんだ。俺はどうしても南に行かなければならないんだ」


 グレイシャはキッドをじっと見た。


「二度と行かないと誓ったのはどこの誰なんだ」


 グレイシャの目が鋭く光る。

 キッドは顔をこわばらせながらも、目をそらそうとはしなかった。


「呪いを解くために行くのかい?」


 グレイシャが問うと、キッドはしっかりうなずいた。


「誓いを破るだけの覚悟はある。命があって戻れたら、どう処罰されてもかまわない。だから頭領、お願いだ。俺をもう一度呪術師の島に行かせてくれ」


 キッドの目は真剣だった。

 しかしグレイシャは取り合おうとはしない。


「おまえが戻ってくる保証がどこにある。命があってもそのまま逃げ出すこともできるわけだろう?」


「逃げるもんか!」


 キッドはグレイシャをにらみつけた。

 グレイシャのような凄みはないが、キッドの眼光の鋭さは、人を従わせるだけの力を備えていた。その目は確かにキッドがグレイシャの息子であることを感じさせる。


「頭領、行かせてやったらどうですか」


 そう言ったのは、刀傷で片目がふさがった白髪交じりの男だ。


「あっしも一緒に行きますよ。死にぞこないの老いぼれだが、海の経験は小僧どもよりはある。坊ちゃんを無事に連れ帰ってきますよ。処罰はそれからでもいいでしょう」


「ゲンさんが行くなら俺も」


「俺も行く」


 ゲンと呼ばれた片目の男は信望があるらしく、他にも数人の海賊たちが名乗り出た。


「あちきも行かせてほしいでげす」


 細かく縮れて波打つ長髪に小さな丸い黒眼鏡を鼻に乗せた男が、見たこともない楽器を鳴らしながら出てきた。

 その格好も風変わりで、ピンクのスカーフを首に巻き、そでの膨らんだ絹のシャツを着て、細身のズボンをブーツの中に入れている。

 男はステップでも踏むような軽やかな足取りで、キッドとグレイシャのそばに近づいてくる。


「おじさん、その肩からぶらさげているやつ何?」


 ヒラクは、男が胸の前で鳴らす楽器に興味を示して近づいた。


「これは手風琴と呼ばれる楽器でげす。ほーら、こうやって、こうやって、蛇腹を伸ばして空気を送るでげす」


 男が左手で閉じたり開いたりすると、まるで呼吸をするように蛇腹が伸び縮みして、ハモニカを吹き重ねたような、耳に残る音がする。


「そして、こーして、こーして、音を鳴らすでげす」


 男は右手で、縦に並んだ小さなボタンの列を軽やかに叩いた。

 蛇腹の側にもボタンが縦に並んでいて、左手は和音を響かせ、右手はメロディを奏でる。

 ヒラクは、男の胸の前にある楽器が不思議な音を閉じ込めた魔法の箱のように思えた。

 陽気な音楽とヒラクの楽しげな様子にキッドは脱力する。


「蛇腹屋、そのうるさい演奏をおやめ」


 グレイシャが言うと、蛇腹屋と呼ばれたその男はぴたりと音を鳴らすのをやめた。そして切々と訴える。


「頭領、あちきも南に行かせてほしいでげす。南の鳥たちの歌声に、あちきの音色を重ねてみたいんでげす」


 とても海賊のようには見えないが、蛇腹屋が見た目に反して剣の腕は立つことをグレイシャはよく知っていた。


 グレイシャは改めてキッドを見た。

 キッドは背筋を伸ばして顔をこわばらせながらも、目をそらさずにグレイシャを見る。


 グレイシャは軽くため息をつき、低い声でキッドに言う。


「言っとくが、今回は勾玉主のために船を出すのが目的だ。無事に連れて帰ってこなけりゃならない。あんたにそれができるのかい?」


「できるさ。俺は南の呪術師の島まで行って戻ってきたんだぞ。俺以外に誰がいる? 絶対また帰ってきてみせるさ。そうだよな?」


 キッドは三兄弟に話を振った。


「どうせ巻き込まれるとは思ったけどな」黄布のリクはため息をつき、


「三年前の悪夢がよみがえるぜ」赤布のカイは苦笑いし、


「まあ、しょうがないんじゃない」青布のクウは淡々と言う。


  三兄弟はしかたなく覚悟を決めた。


「……わかった。南へ向かう許可を出そう。ただ一つ、これだけは約束しておくれ」


 グレイシャは前かがみでキッドの顔をのぞきこみ、その目の奥をじっと見た。


「死ぬんじゃないよ」


 グレイシャの言葉に、キッドは力強くうなずいた。


 ジークとハンスと合流したヒラクに、さらに新たな海賊の仲間たちができた。


 南多島海へ向けて、ヒラクの胸は高鳴った。

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