第6話 海賊島の頭領
海賊島の朝は遅い。
昼近くになってから、人々はやっと目を覚ます。
日が暮れるのが遅いせいか、夜更けまで眠らないことが多いのだ。
働き者のセーラでさえ、午前中はまだ寝ていた。
朝、ヒラクが目を覚ますと、すでにユピは起きていた。
ヒラクは、グレイシャに会えることになったとうれしそうに伝えたが、ユピは不安げな顔をする。
「海賊の頭領に一人で会いに行くなんて危ないよ」ユピは言った。
「大丈夫だよ。アニーも一緒だし」ヒラクは平気そうに言う。
「でも……」
ユピは少し考え込むと、何かを決意したように改めてヒラクを見た。
「僕も一緒に行く」
「えっ、いいよ。まだ具合悪いんでしょう?」
ヒラクはユピを気遣うが、ユピは明るく笑ってみせる。
「もう大丈夫だよ。それよりヒラクが心配だ。一人でなんて行かせられないよ」
「わかった。じゃあ一緒に行こう」
そう言って、ヒラクもユピに笑いかけた。
ヒラクはアニーが前日用意してくれた服に着替えた。
それはキッドが普段着ている服で、丈の短めの幅の太いズボンにだぶだぶの丸首の麻のシャツ、頭に巻く布まであった。ヒラクはその布を頭には巻かず、胸の前でゆるく結んだ。
午後になり、やっとアニーは起き出して、ヒラクは島の北部に向かうことになった。
海賊島は、小さく硬い葉を持つ低木に覆われており、丘陵地には見事なブドウ畑が広がっている。
ほとんどの海賊たちは海沿いに住み着いていた。
中でもエルオーロに面した島の北部の沿岸には大きな港があり、多くの船が行き交っている。市も立つので人の往来が多く、島で最も活気ある場所となっている。
アニーの住む東部の沿岸から北部の港までは、歩くには遠い距離だったが、アニーには特別な移動手段があった。
「じゃ~ん! カプレーゴちゃんでぇす」
庭先でヒラクがアニーに見せられたのは、弧を描くように後方に伸びた二本の大きな角を持つ首の長い動物だった。爪先が二つに割れていて、体全体は赤茶色だが、顔とあごひげと前掛けのような胸の模様は黒かった。
「何これ?」ヒラクはアニーに尋ねた。
「内陸の岩山に生息する野生動物よぉ。島ではカプレーゴって呼ばれてるわぁ。臆病で用心深いから滅多に姿を見せないのぉ。食べてもまずいし、捕まえる人間もいないけどねぇ」
「じゃあ、どうして捕まえたの?」
「乗って移動するためよぉ。グレイシャのところまで歩くと遠いしさぁ」
カプレーゴは体の小さな馬ぐらいの大きさである。ヒラクはさっそく乗ろうとしてみたが、カプレーゴは嫌がってなかなか乗せてくれない。
「無理無理。あたしじゃなきゃさぁ」
そう言って、アニーは手綱を引き寄せ、さっと飛び乗り両手でしっかり角をつかんだ。
「さあ、乗ってぇ」
アニーは片手を差し出して、自分の体の前にヒラクを乗り上げさせようとするが、ヒラクは手を取ろうとしない。
「ダメだよ、ユピも一緒じゃなきゃ」
「えぇ? その子も行くのぉ?」
アニーはヒラクの隣にいるユピを見た。
「お願いします。僕も連れて行ってください」
ユピが言うと、アニーはカプレーゴの背に乗ったまま、何も言わずにどこかに行ってしまった。
「……置いて行っちゃったのかな?」
ヒラクが呆気に取られていると、少ししてからアニーはもう一匹カプレーゴを伴って戻ってきた。
「じゃ~ん! カプレーゴちゃん二号でぇす」
アニーは家の中にいる息子たちを呼びつけると、ユピをもう一匹の背に乗せてついてくるようにと指示した。
赤黄青の布を頭にそれぞれ巻いた三兄弟の押し付け合いの末、結局、赤布のカイがその役を引き受けた。
アニーはヒラクを乗せ、カイはユピを乗せて、飛び跳ねるように走るカプレーゴで岩山を移動した。
ユピはひざに力を入れてしがみついているのが精一杯だったが、ヒラクは上下する動きをおもしろがりながら、岩山に生える不思議な形の低い木々を眺めたり、薄紫の花が咲く茂みの強い芳香を思い切り吸い込む余裕もあった。
内陸の岩山を移動して数時間もすると北側の丘陵が見えてきた。
ブドウ畑の近くには民家も見られる。
「ここからは人も多くなるからねぇ」
そう言って、アニーはカプレーゴから降りた。
放たれた二頭は一目散に岩山に引き返していった。
アニーはヒラクたちを連れて歩き出した。
成り行き上カイも同行した。
ユピはすっかり疲れ果て、ヒラクも足に疲労を感じていた。カプレーゴに乗ることに慣れていなかったため、移動は足腰に負担をかけていた。特に坂道は疲れを強く感じさせる。
それでも広々とした丘陵から見下ろす海の眺めは壮大で、まぶしい日差しとさわやかな風が気持ちを明るくしてくれた。
やがて太陽が傾き、日差しも弱まってくると、海沿いの断崖の上に石積みの塔のような建物が見えてきた。
「この時間になると港の船の出入りを見るからぁ、たいていグレイシャはここにいるのぉ」
そう言って、アニーは塔に近づいていく。
入り口前には目つきの鋭い男が二人、腕組みして立っていた。
「グレイシャのお客さんよぉ」
アニーがそう言っても、男たちはヒラクとユピをにらみつけたままだ。
「初対面で威嚇するのが海賊たちの礼儀なのぉ」
アニーは茶化すように言って中へと入っていくが、その言葉を真に受けたヒラクは、男たちをにらみ返すと、腕組みをしてふんぞりかえり、肩で風を切るようにして歩いてみせた。
ヒラクのこけおどしの振る舞いに、カイは笑いをかみ殺しながら、男たちの横を通り過ぎた。
石積みの塔の中に入ると、中はがらんとして薄暗く、ひんやりとしていた。
螺旋階段を上ると、壁の一部を大きくくりぬいた窓があり、そこから光が差し込み、海風が中に吹き込んでいた。
窓の外は港を描いた美しい絵画のようで、茜色に染まる海の色が鮮やかだ。
その絵画を眺めるように、窓の縁に座る女が一人、暗橙色の長い髪を風になびかせていた。
「グレイシャ~」
アニーは窓のそばに駆け寄り女に抱きついた。
「あんたの足音はすぐわかる。キッドたちを連れてきたのかい?」
そう言って女は立ち上がり、ヒラクたちを見た。
「誰だい?」
女はヒラクを見て眉をひそめる。
そして顔を確かめようと近づいてきた。
女は背が高く大柄で肩幅もがっしりとして、全体の骨格がしっかりしている。
服装も男のようで、幅のある麻のズボンをはいて、シャツの上から太いベルトをし、腰に携えた舶刀を丈の長いベストの下に隠していた。
頭に巻いていた布は、今は首に巻きつけてある。
女は長い髪を無造作にかき上げて、腰をかがめてヒラクの顔をのぞきこんだ。
赤褐色の瞳は捕食動物を見る猛禽類のように鋭く、一度見ると目をそらせない迫力と凄みがあった。
「やっぱりグレイシャはだませないわぁ~。つまんなぁい」
アニーが言うと、それまでの緊迫感が一気に消えうせた。
カイは、ほっと息をついたのも束の間、ヒラクの言葉にぎょっとさせられた。
「おばさんがグレイシャって人?」
ヒラクは物怖じしない目でまっすぐに目の前の女を見る。
女はかすかに口をゆがめて笑った。
「確かにキッドとはちがう。ずいぶん度胸があるようだ。で? 肝心のキッドはどこだい?」
グレイシャはアニーに尋ねた。
「それがねぇ、帰ってきたのはうちの三馬鹿兄弟だけなのぉ。
キッドはルミネスキに置いてきちゃったみたい。ね? カイ」
アニーが言うと、カイはびくっと体を硬直させ、直立不動の姿勢になった。
「確かにキッドは港に置き去りです。なりゆき上、勾玉主は連れてきてしまいましたが、俺たちが連れてきたくて連れてきたってわけじゃないです!」
カイは額に汗をにじませながら、グレイシャに必死に言い訳した。
グレイシャは鋭い目でカイを見たが、かすかに表情をゆるめた。
「ふん、わかっているさ。どうせあの子が言い出したことだろう。で? この緑の髪の子とネコナータ人のどっちが『勾玉主』ってやつなんだい?」
「おれだよ」ヒラクはグレイシャに言った。
「こっちはユピっていうんだ」
ヒラクが言うと、ユピは軽く会釈した。
窓から差し込む日はかげり、ユピの表情はよく見えない。
グレイシャはユピからヒラクに目を移す。
「あんたが勾玉主ってのはわかったよ。で、その緑の髪は生まれつきかい?」
「そうだよ。おれの母さんも叔母さんも緑の髪だ」
「へぇ」
グレイシャは興味深げにヒラクの髪をじっと見た。
「キッドは勾玉主の髪の色まで知っていたのかい?」
「いえ、それはないです」
カイがすかさず答えた。
「特徴はわからなかったんで、人違いをしてしまったわけで……まちがえて船に乗せたら勾玉主もたまたまついてきたってだけで……」
カイの笑顔がひきつる。
グレイシャにじっと見られて、ヘビににらまれたカエルのように固まっていた。
「人違いで連れてきたってのがこのネコナータ人っていうわけかい?」
グレイシャはユピに目をやった。
室内はもう薄暗く、四方から闇がにじみだすようだった。
ユピはグレイシャにささやきかけるように言う。
「夕闇が迫るようですね。この島の鮮やかな色彩も失われていく。白い鳥たちはどこへ行くのでしょう。闇に紛れる黒い鳥たちは悪い知らせを運ぶといいますが」
グレイシャはユピを見据える。
そしてそのまま独り言のようにつぶやいた。
「闇に紛れた黒い鳥は、朝になればどうなるか」
「血のように赤く昇る太陽に向かって飛びつづけるでしょう」
そう言って、ユピは微かに笑った。
窓から吹き込む海風に、グレイシャの髪が乱れる。
グレイシャは首に巻いていた布を頭にしっかりと巻きつけてアニーに言った。
「今夜は館に泊まるといい。珍しい客人たちをもてなしてやってくれ」
「それはいいけどぉ、どうしたのぉ急に」
「何でもないよ。先に行きな」
グレイシャの目はアニーに言葉以上の意味を感じさせる。
アニーはヒラクとカイの手をそれぞれつかんで引っぱった。
「さてと、行こっかぁ」
「えっ、ユピは?」
ヒラクはアニーに引きずられながら後ろを振り向く。
「だってぇ、手は二本だしぃ、それ以上は連れていけないもぉん」
「……だったら俺の手を放してくれよ。俺、勝手に帰るしさ」
緊張から解放されたカイはくたびれたように笑って言った。
三人がいなくなったのを確かめると、グレイシャはユピに確認するように言った。
「おまえが『黒い鳥の伝書』っていうわけかい」
ユピは肯定を示すかのように微笑んだ。
「ずいぶんと落ち着いているねぇ。伝書の役目を終えて夜が明ける前に死ぬ覚悟はあるのかい?」
「赤い血を流すのは僕ではありません。それを伝えにきたのです」
ユピは意味ありげに言った。
「ほう。聞かせてもらおうか」
夜風が吹き込み、ひんやりとした空気が漂う中、二人は密談し始めた。
ヒラクの知らないところで、何かが動き始めていた。
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