第2話 マダム・ヤンの店
ジークはすぐに途中停泊したがる海賊たちを休ませず、先へと急がせた。
風向きもよく、追い風にうまく乗れたことで、小船は夜になる前に河口にたどりつくことができた。
疲れ切った様子の海賊たちは再び
船着場には大型の船から小型のものまで、様々な形の帆船が繋ぎ止められていた。
ずらりと並ぶ帆船の中には、この地に近づきすぎて海賊たちの餌食となった他国の船も多かった。市場では、この地の海賊の猛威を象徴するかのように、略奪された品々が多く取引きされていた。
港近くには、漆喰の荒壁の建物が立ち並んでいる。
二階建ての木骨造の建物の一階部分は店になっていて、海賊たちが夜通し騒ぐ酒場が軒を連ねていた。
ハンスは船から降りてそのまま海賊たちに酒場へと連れて行かれた。
もともとヒラクの持つ金貨をあてにしていたハンスは、当然ヒラクも道連れにする。
ジークはヒラクを引き止めるが、海賊たちからもらったビスケットしか食べていなかったヒラクは、ハンスの「ごちそうが出る」という言葉につられて喜んでついていった。
ジークとユピはしかたなくヒラクにつきあうことにした。
海賊たちに連れて行かれた酒場は、マダム・ヤンと呼ばれる恰幅のいい女性が取り仕切る店で、彼女の三人の娘たちが海賊たちの相手をしている。
海賊たちはハンスとがっちり肩を組み、木製の扉を蹴破るように威勢よく店に入った。
「マダム・ヤン、今日はこちらのだんなのおごりだ。じゃんじゃん酒持ってきな!」
ランプの灯りに照らされた薄暗い店の中には大きな木の丸テーブルが三つと奥のカウンター席がある。
カウンターの向こうの調理場から出てきた中年女がハンスをじろりと見た。
「見慣れない顔さね、誰だい?」
マダム・ヤンは酒焼けした声で言った。
「言っただろう? 城の客をここまで運ぶ仕事があるって。その客だよ」
海賊の一人が言うと、ハンスが隣で付け足した。
「正確にいうと俺はそのお客の従者ってとこだけどな」
そしてハンスはヒラクを呼んだ。
海賊たちの中に埋もれていたヒラクはハンスのそばにきて、自分よりもずいぶん体の大きなマダム・ヤンを見上げて元気に言う。
「おばさん、おれヒラク。腹へってんだ。なんか食べさせてよ」
マダム・ヤンは大きな石のついた指輪がくいこむ太い指で煙草を挟み、煙をくゆらせながら、ヒラクの緑の髪をじっと見た。
「あんたも呪われてるのかい?」
「呪い? なんのこと?」
ヒラクは尋ねるが、マダム・ヤンは肉付きのいい顔にしわを寄せて意味ありげに笑うだけだった。
「まあ、何にしても珍しい毛色だ。女王からグレイシャ様への贈り物ってとこだろうさね」
マダム・ヤンがそう言うと、ジークがヒラクのそばに来て、鋭い目で一睨みする。
「失礼なことを言うな。この方は、女王陛下にも重んじられている尊き方。無礼を控えよ」
そしてジークは気遣わしげにヒラクを見る。
「大丈夫ですか、勾玉主様」
ジークの言葉に海賊たちは反応する。
「曲がった、ヌシ様?」
「タマタマヌシ?」
「玉なら俺らも持ってるぜぇ」
海賊たちがふざけて言うと、周囲はどっと笑いに沸いた。
「貴様ら……」
ジークは殺気立ち、剣の柄に手をかけた。
一気に緊張が走ったところで、マダム・ヤンの娘の一人がジークの手にそっと手を重ねた。
「ここでは喧嘩は素手って決まってるの」
「そうそう物騒なものは預からせてもらうわね」
すかさずもう一人の娘が剣を取り上げようとする。
「よせ、何をする……」
ジークは体を退けて、剣に触らせまいとする。
二人の娘が目配せすると、残りの娘も心得顔でうなずいた。
「よく見たらこちらいい男。私がお相手するわ」
残りの娘がジークにしなだれかかると、他の二人の娘も両腕にそれぞれ絡みつき、そのままジークを空いたテーブルまで連れて行った。
娘たちの見事な連携にマダム・ヤンは満足顔でうなずく。
「よくできた娘たちさね」
「ここはそういうのありなわけかい? 酒の相手以上のことも……」
ハンスが鼻の下を伸ばすと、マダム・ヤンはぴしゃりと言う。
「あいにく、そういうお楽しみはないよ。うちだけじゃない。この港はグレイシャ様の監視の目が行き届いているからね。決まりを守れない人間は男も女もこの町にはいられないのさ」
「おばさん、おなかへったよ。何か食べさせてよ」
ヒラクは我慢しきれないといったように大声を上げた。
「待ってな、とびきりのやつ食わせてやるさね」
待たされている間に、すでにハンスは店の真ん中にあるテーブルで海賊たちと競うように酒を飲んでいた。
ジークは壁際のテーブルで娘たちに囲まれて憮然としている。
マダム・ヤンは料理ができると、ヒラクとユピをカウンターに呼んだ。
「こっちでゆっくり好きなだけお食べ」
出された料理にヒラクは目を輝かせた。
新鮮な魚介類を香草、ニンニク、タマネギ、ワインビネガー、オリーブオイルでマリネにしたものに固ゆで卵や小タマネギのピクルス、その他野菜や果物を豊富に盛りつけたサラダだ。
「マダム・ヤンの特性海賊サラダさ」
その量は大男が二人でわけあってもいいぐらいのものだった。
他にも香ばしい鶏の丸焼きやオリーブオイルでからりと揚げたイカのフライなどを乗せた大皿が次から次へと出てきた。
「あまったら連中に回すから食べたいだけ食べるといいさね」
そう言って、マダム・ヤンはカウンターにずらりと料理を並べる。
「それはそうと、あんたら金はあるのかい? 海賊たちにたかられたら最後だよ。まあ女王の客というなら請求はそっちにまわしてもいいけどね」
がつがつと夢中で食べるヒラクを見ながらマダム・ヤンが言った。
ほおばりすぎた食べ物を水で流し込むと、ヒラクは持っている袋の中から金貨を一枚取り出した。
「これで足りる?」
マダム・ヤンは目を見開いて金貨を凝視した。
「あんた……これ……」
「足りないの?」
「いや、十分すぎるほどさ。釣りなんて用意できないよ」
「足りてるならいいや。はい」
ヒラクはマダム・ヤンに金貨を渡すと、再び料理を食べ始めた。
マダム・ヤンは金貨をさっと懐にしまうと、ヒラクに顔を近づけて小声で言った。
「あんた、ここでは気をつけるんだね。持てる者から奪っても、ここでは罪にならないんだ。自分の身は自分で守ることさ。まあ海賊どもの餌食にされる前にとっととここを立ち去ることさね」
「言われなくてもすぐ行くよ。おれはこれから南に行くんだ。そのために海賊に船を出してもらうんだ」
「南だって?」
マダム・ヤンはヒラクの口のまわりについた油をナプキンで拭ってやりながら聞き返した。
「うん。南の多島海ってところに行かなくちゃならないんだ。そのために女王が海賊に船を出させるって言ったんだ」
「へぇ。女王陛下も無茶言うさね」
マダム・ヤンは非難がましく言った。
「ところで、あんな海賊も寄りつかないようなところに一体何しに行くんだい?」
「うん、あのね……」
「ヒラク」
隣にいたユピがヒラクのそでをひっぱって、それ以上言うなというように目配せした。
「……まあ、いいさね。色々事情があるんだろう」
そう言って、マダム・ヤンは改めてユピを見た。
「あんたネコナータ人だろう? しかも純血に近いさね。髪と肌の色の薄さにその瞳の深い青。ネコナータ人の美しさは値打ちものだ。欲しがる奴らも多いさね。こんなところでのんびりしてたら、うわさはすぐに広まるよ」
「じゃあすぐにでも船出してよ」
ヒラクが言うと、マダム・ヤンは首をすくめる。
「あたしにゃそんな権限はないさね」
「じゃあ誰に頼めばいいの? 南に行く船はここから出るんだろう?」
「こっちの質問には答えられないってのに、自分は次から次と図々しいこと。まあ、これだけのものをもらってるんだ。それぐらいのことは答えてやるさね」
マダム・ヤンは金貨をしまいこんだ胸元を軽く叩いた。
「ここらの海賊を取り仕切っているのはグレイシャ様さ。グレイシャ様の許可なく勝手なことは許されない」
「じゃあ、その『グレイシャ様』ってのに頼めばいいの?」
「まあ、そういうことになるさね。ルミネスキの女王が海賊を動かすと言ってるんなら、すでにグレイシャ様にも伝わってるんだろうさ」
「じゃあ、そのグレイシャって人に会ってくるよ。どこにいるの?」
ヒラクは今にも会いにいこうと、カウンターのイスから飛び降りた。
「ここにはいないよ」
「どこにいるの?」
「海賊島さ」
「何それ?」
ヒラクは再びイスに座って、もっとよく話を聞こうとマダム・ヤンに顔を近づけた。
店の中は海賊たちのバカ騒ぎでにぎわい、酔っ払い同士のケンカを盛り上げる野次が飛ぶ。
マダム・ヤンのしゃがれた低い声は、ヒラクには聞き取りにくいのだ。
「こんなうるさいところで声をはり上げて話すこともないさね。あんたら今夜はうちにお泊り。どうせ連中、朝まであの調子さ」
マダム・ヤンの言葉にヒラクが振り返って見ると、すっかりできあがった状態のハンスが、海賊たちと肩を組んで陽気に歌っていた。
ジークは娘たちに囲まれながら、腕組みをして固く目を閉じ、その場をやり過ごしている。
ヒラクとユピはマダム・ヤンと一緒に調理場の奥にある階段を上っていった。
店の上階はマダム・ヤンと三人の娘たちの住まいになっていた。
色とりどりの布で仕切られた娘たちの部屋には派手な服が脱ぎ散らかされ、きつい香水とたばこのにおいが部屋中に充満していた。
「ベッドは適当に使うといいさね。上にのっかってるものなんかは床に落としてしまっていいから」
ベッドの上には娘たちの下着や口紅や髪飾りなどが散乱していた。
ユピは遠慮がちにそれを床におろす。
「で、何が聞きたかったんだっけ?」
マダム・ヤンに言われてヒラクは思い出したように言った。
「グレイシャって人がいるっていう海賊島のことだよ」
「ああ、そうさね。エルオーロの場所はわかるかい?」
マダム・ヤンは床にある灰皿を拾いあげると、ユピが場所を整えたベッドの端に座って言った。
ヒラクもその隣に腰を下ろして答える。
「エルオーロなら行ったからわかるよ」
「そのエルオーロの半島の下に位置する島が海賊島さ。この中海から大洋に出る場所にある。ここらの海賊の拠点さね。グレイシャ様はその島の頭領で、ルミネスキ女王から多くの特権を得ている。グレイシャ様のおかげで海賊たちはのうのうと生きていられるのさ」
「ふうん、なんだかよくわからないけど、その海賊島に行けば南に行く船を出してもらえるんだね。じゃあ、とりあえずそこまで行く船に乗ればいいんだね」
ヒラクがうれしそうに言うと、マダム・ヤンはヒラクの頭に手を置いた。
「ああ、明日にでも調べてやるさね。グレイシャ様の命でここらを見回りに来ている連中もいるからね」
「すぐわかる?」
「ここに住みついている連中の顔なんて全部知ってるさ。見慣れない顔はすぐわかるさね」
「ありがとう、おばさん」
そう言いいながら、ヒラクは眠そうに目を瞬かせ、やがてゆっくりとベッドの上に倒れ込み、あっというまに眠りについた。
「ゆっくりおやすみ」
マダム・ヤンはヒラクを見て微笑んだ。
「……どうしてあなたはそこまでしてくれるのですか?」
ユピは警戒するようにマダム・ヤンを見た。
マダム・ヤンはヒラクの寝顔を見て目を細める。
「一度エサをやった猫には情がわくってもんさ。情をかけた猫が野良犬どもの餌食になるのは胸が痛むさねぇ。それにあたしゃこれでも人を見る目はあるんだよ。まっすぐで曇りのない目をした子だ。純真なたくましさすら感じるよ」
「ヒラクはまだ子どもなんです。人を疑うこともないから、こんなにも無防備だ」
ユピは困ったように言った。
「あんたのその目は心を映さない目だね。人が信じられないのかい?」
マダム・ヤンはユピの青い瞳を見て言った。
ユピは目を伏せてつぶやく。
「僕が信じられないのは僕自身です」
「同じことさね。自分を信じられない人間は、他人を信じることだってできやしないさ」
そのとき階下の店で物が崩れ落ちるような音がして、海賊たちの怒声や笑い声がさらに大きくなった。
「あいつら、あたしの店を壊す気じゃないだろうね」
マダム・ヤンは舌打ちして部屋を出て、階段を下りていった。
ユピは床にひざをつき、ヒラクの顔の横に自分の頭を置くようにしてベッドにもたれかかった。
ヒラクの寝顔を見ていると、ユピは平和な気持ちになった。
けれども瞳を閉じると、眠りの前の冷たい孤独がすぐにもユピを取り込んだ。
その孤独を救えるのはヒラクだけだとユピは思っていた。
しかし、翌日の予期せぬ出会いが、ヒラクとユピの関係に新たな波紋を投げかけることになる。
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