神ひらく物語ー南多島海編ー
銀波蒼
第1話 海賊の港へ
ルミネスキ城を出てからすでに数時間が経過した。
ヒラクとユピは、ジークとハンスに続いて馬車を降り、雪解けの春を迎えた森の中を歩き続けた。
故郷でも雪解けの山道も歩いてきたヒラクにとって、ジークやハンスの後についていくことはそれほど困難なことではなかったが、歩くことすら慣れないユピは何度も三人から遅れた。
城周辺の森は希求兵たちの訓練の場だった。
ジークとハンスにとっては庭のようなものだ。
ジークはユピを背負いながら歩きなれた様子で黙々と歩くが、ハンスはなつかしそうにヒラクに訓練兵時代のことを話して聞かせた。
子どもの頃は今のヒラクと同じく広大に見えた森も、半年もあれば端から端まで知り尽くすことができたこと、狩場がいくつかあること、危険な植物のことなどだ。
森を南に抜けると湖があるという。
それより先は希求兵たちの領域ではない。
下草がまばらに生えた細い道に入るとジークの顔は強ばり、ハンスも昔話をぴたりとやめた。
やがて森の木々は途切れ、目の前に湖が広がった。
帆をたたんである一本マストの小船を係留した桟橋の上に頭にぼろ布を巻きつけた男たちが座り込んでいる。
男たちはヒラクたちの姿を見ると、いっせいに酔っ払った目を向けて、遠慮なく上から下までじろじろと見た。
ヒラクもまた興味深く男たちを見たが、ジークの背中に視界を遮られた。
「だんなぁ、待ちくたびれましたぜ。すっかり体が冷えちまった」
酔っ払いの一人が両手をズボンの中につっこんで、前かがみでひょこひょこと桟橋の上を歩いてジークに近づいてきた。
「わざわざ迎えにきてやったってのに慰労の酒もなしですかい」
男が言うと、ジークは眉間にしわを寄せて目を細める。
「まるでうじ虫でも見るような目だなぁ。見たところ、あんたもルミネスキ兵の一人だろう? 仲良くやりましょうぜ。同じ女王の兵士としてさぁ」
「おまえたち海賊と一緒にするな」
ジークは肩に置かれた手を振り払った。
座り込んでいた男たちがゆらりと立ち上がる。
一触即発の空気の中、すかさずハンスが割って入った。
「まあまあ、まあまあ、慰労の酒は、おまえらの港に着いてから、存分にふるまってやらぁ」
それを聞いた海賊の一人が下卑た笑いを浮かべて言う。
「俺たちの酒は高くつくぜ」
「海賊に酒をおごるんだ。一晩で文無しになるのも覚悟の上さ」
ハンスの言葉に海賊たちは歓声を上げて沸き立つ。
「いいねぇ、あんたは俺たちと気が合いそうだ」
「そうと決まればそろそろ行くか。乗りな」
海賊は次々と船に乗り込んだ。
ジークはヒラクのそばにしっかりついて、眉間のしわを深くしたまま、しかたなく船に乗り込んだ。
最後にユピが乗り込むが、ユピを船に引き上げた海賊は、その手をつかんで離さない。
「払いはこいつでもいいぜ」
あっというまにユピは海賊たちに取り囲まれた。
ユピは粗い布でできたフードを深くかぶっていたが、その素朴な外観の下に隠された美しさは隠しようもなく、かえって目立ってしまうのだ。
「ほう、上玉だな」
「俺にもよく見せろよ」
海賊たちはかわるがわるユピの顔をのぞき込む。
「ユピに触るな」
ヒラクはユピを海賊から引き離し、男たちの前に出た。
「おうおう、ずいぶん威勢がいいな」
「こいつは売れねぇだろう」
「でもめずらしい毛色だぜ」
「まあ労働力ぐらいにはなるんじゃねぇか」
海賊たちは、緑の髪色のヒラクをじろじろと見た。
ヒラクを品定めする海賊たちをジークが威喝する。
「いいかげんにしろ。この方は女王陛下の大切な客人だ。おまえたちはこの方を港までお送りするのが役目。立場をわきまえろ」
剣の柄に手をかけるジークを見て海賊たちは殺気立ち、再び船上は険悪な空気に包まれた。
「まあまあ、とにかく港まで行こうぜ。一仕事終えたあとの酒はうまいぜぇ」
ハンスはなんとか海賊たちの機嫌を取り、船を出させようとした。海賊たちはそれぞれの持ち場につき、
ほっと胸をなでおろすハンスにジークはうなるように言う。
「あんな奴らの機嫌を取るような真似をしてよく恥ずかしくないな。俺たちは勾玉主のための戦士だぞ」
「だったらなおさら自分がするべきことを第一に考えな。こんなところでまごついてたってしょうがねぇ」
「だからといってあんな奴らに頭を下げることなど私にはできない」
「おまえは勾玉主の戦士である前にネコナータの民だって意識の方が強ぇのさ」
ハンスの言葉にジークは言い返すこともできず、不愉快そうに黙り込んだ。
海賊たちは湖から川に出た。
粗野で口の悪い海賊ではあったが、熟練した技術で、船は驚くほどスムーズに進んだ。
次第に川幅は広くなり、流れは静止しているように思える。
太陽が照り返し、水面がきらきらとまぶしい。
「ようし、ここから一気に行くぜ」
一人の掛け声を合図に、マストに横帆が張られた。
帆は風をふくみ、小船は速度を上げていく。頬にあたる風は冷たく、春とはいえまだ肌寒い。
ヒラクはチュニックの上にはおった腰丈のケープでしっかり体を包み込んだ。
両岸に森が広がっている。
人が住んでいる気配はないが、辺り一円の湖沼地帯はすべてルミネスキの領土である。
入り組んだ湖と川は、中海と呼ばれる海に通じている。
ルミネスキの傭兵となった海賊たちはこの海沿いに住みついていた。
領土の一部を海賊の地とすることで、女王は王都を守っている。
やがて日は沈み、冷たい風とともに夕闇が辺りを包み込もうとしていた。
海賊たちは船を川岸に寄せる。
「着いたの?」
ヒラクは海賊たちに聞いた。
「もう一日がかりってとこだな。それでも行きに比べりゃ早いもんだぜ」
「そうそう、何せ手漕ぎで川を遡ってきたんだ」
「俺たち選りすぐりの海賊にしかできねぇことさ」
そう言って、海賊たちは体を揺らして豪快に笑う。
彼らの言葉はメーザの共通言語ともいえる世界語のようだったが、独特の言い回しと癖がある。
始めは聞き取りにくかったが、単語を並べ立てただけのところがある彼らの世界語に、ヒラクは次第になじんでいった。
「選りすぐりというわりには到着が遅かったな。出発が決まってからずいぶんと城で待たされたのだぞ」
ジークが吐き捨てるように言うと、海賊たちは笑うのをぴたりと止めて、いっせいにジークをにらみつけた。
「よーし、とりあえず火でもおこすか。さあ、降りた降りた」
ハンスはジークを突き飛ばして船から降ろすと、海賊たちの気をそらすように言う。
「酒はねぇのか? 飲んでとっとと寝ちまおうぜ」
「積んできた酒はすっかり飲んじまったよ」
「休み休み一週間はかかったからなぁ」
「おかげですっかり燃料切れよぅ」
がなり声を上げて大笑いする海賊たちを横目で見ながらジークは苦々しい顔をした。
夜も更けて、海賊たちは大いびきで眠りについた。
火の番をしていたジークは、日が昇るとすぐに海賊たちをたたき起こし、船を出させた。
めざす中海の港まではまだまだ遠い道のりだった。
そこで大きな出会いが待っていることなど、ヒラクは思いもしなかった。
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