第10話 +α 回帰 3 酒向 佐都子(大人編)
きたきたきた!
十分間隔の陣痛。
陣痛の痛みも四度目ともなれば慣れたもの……ってなわけあるかい!
夫は新幹線に乗るころか。
呼び戻そうと思えば、ぎりぎりいける。
いやいや、それはダメだろう。
佐都子は、陣痛の合間に長男の
中学三年生の翔は父親似で体が大きい。翔が小学四年生になる前、佐都子は息子に背を抜かれた。
「お母さんは、これから赤ちゃんを産んできます。翔は、酒向のおばあちゃんを呼んで。あとは野となれ山となれ作戦よ。OK?」
「かなり家の中はごちゃごちゃだけど、OK?」
「もう、かまいませんよ、OK?」
佐都子は病院に電話を入れると、のそのそと用意してあった入院グッスを玄関まで運んだ。二階から、翔の年子の弟である次男の
「哲(てつ)を寝かしつけたけど、あれれ、母さん、芋虫みたいだな」
「芋虫ですって? これから母は一大事業を行うというのに、あんたは、ほんとデリカシーがない」
「父さんがいないからって、ぼくに当たらないで」
望は、佐都子似のふわふわのくせ毛を揺らしながら、表にタクシーを呼びに行った。
「おばあちゃん、すぐに来るって」
翔が佐都子の入院バッグをひょいと掴む。覚(まなぶ)の家は、ここから歩いて五分の場所にあるのだ。
佐都子と覚には三人の息子がいる。
近々ご対面の四人目ちゃんの性別は聞いていない。
野球小僧の翔は、佐都子や覚の母校である高校を受験予定だ。その高校では、佐都子の兄が野球部の監督をしていた。
次男の望は、小学生の頃こそ野球をしていたが、中学入るとすっぱりと止めた。
三男の哲は、覚を父というよりは大きな岩というか、オブジェのように思っている節があり、まとわりついたり、体に登ったりと大忙しだ。
三人三様。
彼らがこの先、どんな道を進んでいくのか、佐都子は楽しみだ。
覚は佐都子が思いもよらない道を進んだ。覚と佐都子は同じ中学、高校に通っていた。大学についても、覚は当然地元にある野球の強いどこかに進むのだと思っていたし、佐都子も覚にくっついて同じ大学に進もうと考えていた。
ところが、覚が選んだのは地方の大学だった。しかも、推薦で進学すると知り、佐都子は焦った。どうして、焦ったのか今となれば分かるのだけれど、あの当時は、なぜ自分がそんな気持ちになるのか、分からなかった。
分からない佐都子は、その答えを探そうと、覚には言わずに同じ大学を受験した。
おそらく、人生で一番というほど勉強をした。覚は意外と頭がいいので、大変だったのだ。
佐都子が同じ大学に進学すると知ったときの、覚の顔は見ものだった。してやったり、と思った佐都子だったが、すぐにそれを後悔した。
覚の目つきが怖かった。佐都子は、罠にかかったウサギにでもなった気持ちになった。
たしかに、大学入学して間もなく、佐都子は覚に食べられてしまったわけだけれど。その生々しい話は、とてもじゃないけど、息子たちには話せない。
覚について、文句を言い出せばきりがない。
デリカシーがないだとか、口が悪いとか、ご飯を食べるのが早いとか、独占力が強いとか。
けれど、そんな諸々を吹き飛ばすくらいの素晴らしい長所を彼は持っている。
覚は努力家だ。
努力ができるのも才能だと聞いたことがあるが、覚はまさにその才能がある。
覚の友人で佐都子の同級生でもある綿貫 篤志も、もちろん努力家であるが、彼の場合はそれ以前に、なにか天分のようなものがあったと思う。
同じ高校出身ということで、時折、覚と綿貫は、成績やライフスタイルなどが比較された。
大学を卒業後プロ入りし、同級生である佐都子と結婚して三人の息子を持つ覚は、球界ではマイホームパパで通っている。四年前には「最も素敵なパパさん賞」をもらった。
綿貫には女の影がない。あんなにいい感じだった
佐都子は覚のそばで、プロとして野球をし続けることが、いかに大変かを身をもって知った。佐都子は、できるサポートはすべてすると誓い、覚のそばにいた。
一方、綿貫は、実和子だけでなく、家族とも距離を置いていると聞いた。もちろん彼の周りには、綿貫選手をサポートするスタッフがいるのだろう。それを彼は選んだのだと思うし、四十歳を過ぎてもプレイできたのは、彼のスタイルが成功したことを意味しているのだと思う。
ただ、それは、佐都子のあたりまえから見ると、寂しいものだ。自分の価値観で、一流選手にケチをつけるなんて、何様かと思う。
けれど、覚と結婚して、彼の成績をともに喜び、怪我にはともに悩み。子どもの誕生や成長を喜び。そんな日々を過ごすときに、ふと、同級生だった明るい綿貫君を思うのだ。
彼は寂しくないのか。
この感情は、同情なのか?
彼が手に入れたものと、手にしなかったもの。
そんなことを、柄にもなく考えてしまうのだ。
玄関が開いた。家の前にタクシーが止まっている。佐都子の前には望がいた。そして横には、入院バックを持った翔がいた。
「産んだら連絡するから。それまで、お父さんには何も言わないで。OK?」
息子二人が、指でOKサインを出す。
いい子たちだ。頼もしい。大好きだぞ。
よし、行くのだ。
大きなおなかに手を置くと、佐都子は一人タクシーへと乗り込んだ。
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