第8話 +α 回帰 1 酒向 覚 (大人編)
玄関に入った途端に携帯電話が鳴った。
「久しぶり。どうした?」
「明日、甲子園まで来られるよね」
「唐突だな。甲子園って、綿貫の試合か」
「
「……なんでだ」
「目がね、よくないらしい」
覚は、甲子園球場にいた。はやる気持ちを抑えながら席を探す。午後九時十二分。十月半ばともなると、さすがに夜は冷える。
あわただしく席に着いた覚の視線の先には、友でありライバルだった、綿貫
そんな友の姿を、覚は懐かしくも眩しい思いで見つめた。
覚の隣の席には、山中がいた。
「間に合ってよかった。今、9回の裏、2アウト。綿貫のチームは1点差で負けている。ランナーは、1、2塁。バッターボックスに立ったのは、今季話題の大卒ルーキー」
山中が試合の様子をザックリと説明した。
「あの大卒、うまいこと綿貫につないでくれんかな」
「期待しよう」
「東京から来たんだぞ。綿貫のプレイを見ずして帰れるか。っていうかさ、おまえ、誘うの遅いよ。昨日の今日で『来い』なんて。いろいろとこっちも予定があってだな」
「
「明日だよ」
山中は一瞬動きを止めると「それは、悪かった」と謝ってきた。
歓声が上がる。初球、ルーキーが打った球がぎりぎりのラインでファールとなりスタンドへ飛び込んだ。
「うちの球団もあの大卒が欲しかったんだよな」
覚は思わず愚痴る。
「おまえのとこ、くじ引きで負けたもんな」
「そうなんだよ。うちの監督、くじ運悪くてさ。俺、ドラフト前に呼ばれて、くじの練習に付き合ったんだよ。監督さ、練習なのにことごとくハズレを引いてさ、ある意味、持ってるヒトなのよ。けどよ、人の人生がくじで決まるなんて、どう考えても恐ろしい話なんだ。だからこそ、うちのチームに来たそうな選手はなんとしても引いてあげたいんだけど」
「その点、酒向は単独指名でよかったな」
「そうだな。大学卒業と同時にプロになって、いろいろあったけど、いい野球人生だよ。現役を引退して三年。今は古巣のファームでバッテリーコーチやらせてもらっているわけだしね」
「すごく向いてるでしょう。選手を育てるの」
「悔しいけど、向いていると思う」
山中がふっと笑う。
「ピッチャーとして俺は、酒向に育ててもらったようなものだから、よくわかるよ」
山中からの思いがけない言葉に、覚は言葉に詰まった。場所(ここ)が
山中は変わった。高校卒業後も野球を続けた覚や綿貫と違い、彼は野球とは関わりのない人生を歩んでいる。
そしてなにより、高校時代と比べると、頑なさや孤独といった影が失せ、とても生きやすいような印象を受けた。
山中 朔が、大学卒業後すぐに綿貫の双子の妹の
式にも呼ばれたが、美男美女のカップルは突っ込みどころさえなかった。そんな妹と友人の結婚を一番喜んでいたのが、綿貫だった。
聞くところによると、ヤツが二人の縁を取り持ったのそうだ。
たしかに、あのころの辺りまで綿貫は、そんな奴だった。誰にでも親切で、明るくて、気さくで、そしておせっかいだった。
山中が変わったように、綿貫も変わった。
プロに入り、三年目あたりからだろうか。ありていな言葉で言えばストイックさに磨きがかかったのだ。
覚が両手両足を広げて、強欲なまでに得られるすべてを手にしようと足掻きまくったのに対し、綿貫は野球だけを選んだ。
あんなにべた惚れで、家族にも紹介していた
「篤志は、私たちの結婚式が終わると、家族とはしばらく縁を切ると言い出したの。親不孝だと分かっているけど、野球をやれるところまで、ひとりでやらせてほしいって宣言してきたの」
「で、坂井も切ろうとしたわけ?」
「篤志は切ろうとしたけれど。……結果から言えば、かろうじて縁は切れなかった。篤志、高校生の時に、自分がプロになったら、坂井さんの勉強を金銭面でサポートするって言ってたんですって。だから、その約束守ってもらうって、坂井さんが言い出したの」
「坂井が綿貫に金を要求したってことか?」
覚が知る坂井のイメージからすれば、金を出せという彼女はどうにも想像ができないのだ。
「そんな言い方しないで。そんなんじゃないの。ニュアンスが少し違うのよ」
彩はそこでいったん切ると、言葉を探すように目を彷徨わせた。
「私たち家族のふがいなさから、彼女に悪役を引き受けさせてしまった。ダメな家族だと思われるかもしれないけど、幼いころから野球に魅入られていた篤志を両親も私も知っているだけに、兄の決断を尊重せざるをえなかった。そんな、圧を篤志から受けたの。でも、坂井さんはそうじゃない。兄と坂井さんだけの関係がある。だから、みんなから離れて、たったひとりで戦おうとする兄を繋ぎとめることができた。坂井さんだけが、篤志が断れない正当な理由で、篤志と繋がれる人だったの。彼女の機転でおかげで、兄は私たちのいるこっちの世界と細々とだけど繋がっているの」
彩の話によると、坂井は綿貫の宣言の前までは、ヤツからの援助を固辞していたそうだ。
綿貫の援助により、坂井は学び続け、なんと弁護士になってしまった。そして、今は、綿貫から借りた金を毎月律儀に返しているそうだ。おかしな結びつきではあるが、それでも唯一繋がっていたのは家族でもなく友でもなく、坂井だけだったのだ。
大卒ルーキーが球を見送る。きわどいコースだったがわずかにストライクゾーンから外れていたようだ。
「坂井もここに、甲子園にいるのか?」
「わからない。俺も彩も彼女に知らせてない」
「冷たいな」
「綿貫が彩に連絡をしてきたのは、俺やおまえを呼ぶためだ。坂井に関しては俺たちが手出ししちゃいけない領域だよ。ふたりの関係がどうなっているかなんて、ふたりにしかわからないだろう」
「坂井って、誰かと結婚したのか?」
「多分、してない。彼女もずっとひとりだ」
同級生同士で想いあっていながら、その形は山中と彩とも覚と佐都子とも違う。
今日の試合が最後なのか、それとも残りの試合にも出るのか。詳しい話は、山中も聞いてないそうだ。ただ、今日の試合に山中と酒向を呼んでほしい。綿貫は、そう妹に伝言をした。
覚たちが初めて甲子園の土を踏んだのは、今から二十三年前のセンバツ高校野球だ。十七歳だった。そして、その年の夏も覚たちは甲子園への出場を果した。1回戦で負けたセンバツの悔しさを晴らすかのように、3回戦まで勝ち進んだ。
野球が好きだった。
大好きだった。
損得なく、ただ、ひたすらその好きを追いかけていた。
大昔のようにも思うし、つい昨日のようにも思う。
ひときわ大きな歓声が上がる。
大卒ルーキーが、レフト前にヒットを打った。2塁ランナーが帰り、1点追加で同点となった。
9回の裏、2アウト満塁。
バッターボックスへと、綿貫が歩き出す。
覚には友の姿が、ひときわ大きく見えた。
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