第6話 見て見ぬふり

「何をやっているんだか」


 聞き慣れた声に顔を上げると、我が高校のエースピッチャーの山中 朔やまなか さくがいた。

 林 佐都子はやし さとこからビンタを食らい踊り場に尻もちをついた酒向 覚さこう まなぶは、体を起こすと「どっから見てた」と凄んだ声で尋ねた。

「上から」

 覚からの質問を、わざと外すかのように山中が答える。

「あ、そ」

 両手で制服のズボンについた埃を払うと、覚は不機嫌なまま顔を逸らした。山中は人に干渉しないわりに、全てを見透かしてしまうようなところがあるので、あなどれない。

「その顔、冷やす?」

 山中がハンカチを差し出してくる。 

「いらん。おまえは、王子様か」

 山中は、おどけたように肩を上げると階段を下りて行った。


 ――何をやっているんだか。


 本当にその通りだ。

 どうして、こう上手くいかないんだろう。

 ドラマや漫画では、簡単に男女がくっつくというのに、覚が佐都子にできることといったら、せいぜい試合にかこつけて手のひらに絵を描いてもらうことくらいなのだ。


 そんな様子に、山中でさえ呆れていて、さらに綿貫にいたってはこっちが頼んでもいないのに、協力しようといった雰囲気をじりじりと醸し出してくる。

 それに乗っかれば話は早いのかもしれないけど、覚にだってプライドがある。自分の恋くらい、自分で片を付けたい。だから、友人のおせっかいは、見て見ぬふりと決めている。


 それに、佐都子に対して、あと一歩も二歩も三歩も四歩も踏み出せない大きな理由は、覚にあった。綿貫のお節介では、解決できない。

 

 ありていに言えば、覚は佐都子の兄に対するコンプレックスから、彼女に思うように近づけないのだ。

 佐都子の兄の林 高太郎はやし こうたろうは、地元の中学校から地方の甲子園常連校へ進学し、春と夏の大会に出場したうえ、大学に進んだ今もなお一目置かれる選手だ。


 小学生の頃は、無邪気に高太郎にあこがれ、高太郎を兄に持つ佐都子を羨ましく思った。けれど徐々に、高太郎と自分の実力との差が見えてくるにしたがって、あこがれとは言い難い苦しさを覚えるようになっていったのだ。努力だけじゃ、どうにもならないこともあるのだと知った。


 一方で、覚は、自分が好きなこともみえてきた。捕手として他校の選手のデータを分析して、配球を考えるうちに、自分はこういった分析や研究が好きなのだと自覚したのだ。

 進む大学の目星もつけている。その大学は、ここから遠く離れた場所にあった。


 今の覚には、自分がプロとしてやっていける自信がない。目指していないわけではないが、今のままでは無理だ。プロとしてモノになるためには、自分の武器となる付加価値を身につける必要があるだろう。


 綿貫はといえば、高校卒業後はプロに行きたいと公言しているし、プロからも注目もされていると聞く。


 覚の心は複雑だ。

 確かに、今のままで、プロからも期待されている綿貫をすごいと思うし、羨ましいとも思う。だか、データ分析などを一から学べるかと思うと、大学へ行くのが楽しみなのである。

 同時に二つの人生が送れるのなら、綿貫の目に映る世界も見てみたいと思うけれど、一つしか選べないのなら、やっぱり今の自分の人生を歩みたい。


 そうは言いつつ、覚は綿貫の存在が無視できない。佐都子の前で、何度も綿貫の名前を出してしまうのは、彼女の反応を見るためだ。覚は、佐都子の綿貫への反応の鈍さに実は毎回ほっとしている。

 彼女の兄の高太郎に対抗できるのは、覚の周りでは綿貫しかいない。もし、綿貫が佐都子を好きだと言い出したら、勝てる気がしない。


 つくづく、自分は歪んでいると思う。

 嫌な性格だと思うし、ヘタレだ。

 改めたいと思うけれど、どうしようもないのだ。


 佐都子はブラコンだ。彼女と仲良くなったきっかけも、高太郎なのだ。高太郎のような道を歩めないであろう覚に、佐都子が魅力を感じるとは思えなかった。

 佐都子が、そのままの覚を好きになってくれればいいと思う反面、それも少し違う気がすると思ってしまう。ややこしい。自分の頭の中なのに、ちっとも整理ができない。


 つまり、自分は何者かになりたいのだろう。

 佐都子に誇れる、そんな男になりたいのだ。

 そして、そんな男になった自分を佐都子に見てほしいのだ。

 

 高校を卒業したら、覚と佐都子は違う道を進む。中学、高校と続いた、同じ学校といった接点は、まもなく終了するのだ。

 高校生のうちに、少しでも佐都子との距離を縮めておきたい。そのためにも、せめて高校野球では、高太郎と並ぶくらいの成績を残したい。甲子園に行きたい。


 覚の唯一の姫は、佐都子だ。

 どうやったって、彼女が好きだ。

 小学生の時から好きなんだから、おそらくこの先も、ずっと彼女以外好きになれないだろう。


 ……それにしても、さっきの佐都子は、やわらかかった。



 佐都子が忘れていったガラスの靴ならぬ英単語のプリントを拾いながら、切なさと煩悩が混じったため息をつく、酒向 覚なのであった。


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