第3話 恋心
センバツが終ってから、俺の身近な二人の様子が変なのだ。
双子の片割れである妹の
「おかしい」
「おかしいって。この眼鏡のこと?」
そう言うと
なんでも、この間転んで壊してしまったとか。
聞いたときはびっくりしたけれど、顔に怪我もないようで安心した。
しっかりしているように見えるけれど、坂井はそういうところもあるようなのだ。
「あ、ごめん。違う。坂井のメガネはすごくかわ……あの、似合っているよ」
面と向かってかわいいなんて、さすがの俺でも言えない。
俺と坂井は、三年になっても運良く同じクラスになり、なんていうか、まぁ、こんな感じで仲も良くて、こうして昼休みなんかは一緒に弁当を食べたりするようになっていた。
今日は天気もいいので、学校の中庭の木陰になったベンチにいた。
共学のせいか、俺達だけじゃなくて男女で一緒に食べている奴等は多かった。
「おかしいのは、山中とうちの妹」
「あぁ、山中君と妹さん? あらま」
そう言うと坂井は、自分の弁当に入っていたかぼちゃの煮物を二つ、俺の弁当の中に入れた。
「カロチン」
「ありがとう」
坂井は弁当のおかずをくれるときに、おかずの名前を言わずにその栄養素を言ってくる。
おもしろい。
「あのさ。女の子って雨が降ると元気がなくなるってある?」
坂井がはてなと首を傾げる。かわいい――じゃなくて、今は妹についての相談だ。
俺は坂井から目をそらして、ここ最近の妹について考える。
「女の子って、雨が降ると、泣きたくなるもん?」
早速、坂井から貰ったカロチンを頬張りながらそう聞くと、ますます坂井は考え込むような仕草をしてみせた。
「男女関係なく、雨になると憂鬱になる人はいると思うけど。私だって、大雨の中、出かけなくちゃいけないと思うと、泣きなくなる気分になるけれど」
坂井が言葉に詰まる。
「女の子って、妹さんのことよね」
俺がそうだと答えると、坂井は大きく頷いた。
「それは、センバツが終ってからじゃない?」
「俺、そんなこと言ったっけ?」
「言ってないよ」
「じゃ、なんで?」
すると、坂井が複雑な顔をしてきた。
「それは多分、私もわかる感情だから、かな」
坂井が驚くようなことを言ってくる。
「私は、東京にいてテレビを見ていたわけだけれど。センバツの二回戦で、あの雨の中で
「え? そこが原因?」
「テレビって酷いもん。雨の中でどろどろになりながらグラウンドに立っているみんなの姿をそのまま映して。特に山中君なんかピッチャーだから、しつこいくらい正面からの顔が映って。見ていて辛かった」
俺達の高校は、この間の春の選抜に選ばれて、二回戦まで進んだ。
そして、その二回戦目。試合の途中で雨が降り出し、でも中止するほどの雨という判断は出ずに、その中で繰り広げられた試合だった。
結果、サヨナラで俺達のチームは負けた。
負けてしまったのだ。
俺が小さい頃からしてみたいと思って――そして現実となった、甲子園でのキャッチボールは二回で終った。
「雨の中で試合をするのは珍しいことではないけれど。確かに、まぁ、思い出深い試合だったよな」
新幹線や夜行バスに乗って、大勢の人がわざわざ球場まで足を運び、俺たちの応援をしてくれた。
それなのに、といってはなんだが、雨のせいだろうか。あのときの俺は、いつもとは違う世界にいた。神経が今までになくとても研ぎ澄まされ、ただただ、野球と自分しかない世界に生きているような、静かで凶器に満ちた、そんな空間に陥ったのだ。
あれは、不思議な体験だった。
「妹さん、辛かったんだよ。雨の中で綿貫君がプレイしているのが。自分のことのように、辛かったんじゃないかな」
「あの、妹が? 俺の顔を見れば文句を言ってくるあの妹が?」
「そんなこと言っちゃって。仲がいいんでしょ、綿貫君たち。それに、双子って、テレパシーみたいな何かがあるって聞くよ」
テレパシーねぇ。
「そういえば、あいつ、俺よりも緊張していたっけなぁ」
「でしょ?」
そうか。じゃあ、今日は妹の好きな雪見大福でも買って帰るかな。
「山中も、やっぱりセンバツ絡みなんだろうしなぁ」
「山中君も、雨だと元気がなくなるの?」
「いや。山中はそうじゃなくて、今まで以上に練習熱心になったってことなんだけれど。それに、ほら。坂井はあまり知らないかもしれないけれど、山中はもとから元気ハツラツって感じのはじけた奴ではないからさ」
そうなんだよな。
山中はどちらかというと、真面目で無口でポーカーフェイスだ。
でも、そんな山中の普段の様子について坂井が知っているかは不明である。
山中は別のクラスだし、坂井も積極的に男子と話すようなタイプではないからだ。
だから俺は、こんな関係になる前は、坂井って同じクラスでありながら俺のことは知らないんじゃないだろうかとも悩んでいた。
顔は知っているけれど、名前は覚えていないとか。
話しかけても「あなた、誰だっけ?」なんて返されたら、落ち込んでしまう。
だから、センバツ前に放課後の教室で坂井と話したときに、彼女が俺の名前を呼んだ瞬間、実はそれだけで舞い上がってしまったのだ。
すごく次元の低い喜び方かもしれないけれど、それでもう、坂井とはうまくいくんじゃないかって思えたのだ。
いつもながら、単純。
でも、俺ってそういう単純な思い込みというか、閃きで今まで突き進み、それを実現してきたから。
だから、それは単純ながらも、自分としては信じられることでもあったのだ。
坂井からのカロチンを頬張る。
坂井は弁当を自分で作っている。
ちらりと、坂井の横顔を盗み見る。
かわいい。
坂井の目が好きだ。
白い頬も好きだ。
鼻も口も髪も指も、本当に全部が好きだ。
かわいすぎる。
確かにセンバツでは負けたし、夏となるとまた予選からなんだけれど。
俺はやる気満々。
こうして隣には坂井もいるし。
坂井が作ったおかずももらったりして。
顔がにやけてしまう。
なんか、青春って感じで盛り上がってきたな。
そこでふと、山中に意識を戻す。
練習熱心な山中。
真面目で無口で、どんなときも表情を変えないポーカーフェイスの山中。
……あれ?
いつだったろう。表情が変わったとき、あったよな。
「
突然背後から山中の声が聞こえ、坂井からのカロチンが俺の喉に詰まりそうになった。
「お、おう」
山中が差し出してくるノートを受け取る。
「山中君もお昼まだなら、ここで一緒に食べようよ」
坂井が山中を誘う。俺は正直、驚いた。坂井が山中に話しかけるなんて、初めてじゃないの?
山中の左手には、薄茶色した紙袋があった。あの中には、総菜パンが山ほど入っているのだ。
坂井の誘いを断るかと思った山中は、意外にもおとなしく俺の隣に座った。山中、俺、坂井と並んでベンチに座る。
山中は、俺の予想通り、袋から総菜パンをゴロゴロ出すと、食べだした。
それにしても、珍しい。山中がこん風に女の子の誘いにのることは、まずないからだ。
ピッチャーだからか、外見がいいからか、奴はそこそこモテる。けれど、近づいてきた女の子に対して、山中はたいてい無視する。無視して、無視する。もしかして、目に入ってないんじゃないかと思うほどに、見事な無視っぷりなのだ。そのしりぬぐいをするのが、俺と酒向だ。
……あれ?
山中が無視をしない相手がいたな。
「あ」
俺の声に坂井と山中が「え?」って顔してこっちを見てきた。
「ごめん。なんでもない」
そう誤魔化しながら、とんでもないことに気が付いたと、汗が出る。
あのセンバツの時。
試合終了後、俺達も客席の人も次の試合のために、速やかに退場することを求められた。
そこに、情緒なんてもんはなくて、追い立てられるように席を空けなくてはならなかったと、母からは聞いた。
そんな中、フェンスの向こうでびしょ濡れになった妹が退場する俺達をじっと見ていたのだ。そして、その妹に気が付いたのは俺だけでなく、山中もそうだった。
山中は妹に向かって帽子を脱ぐと、一礼したのだ。そのときの奴の顔は、今でも言葉にしがたいものがある。
怒り、悲しみ、悔しさ。
山中でも感情をあらわにするのだといった驚きがあったものの、こんなときでも奴は礼儀正しい男なんだなと妙に関心をした。
冷静になって考えてみると、男子や先輩になら話は別だか、山中が女の子相手に礼儀正しいなんて、まずありえないことなのだ。
なんたって、無視するか、無視するか、無視するかの山中なんだから。
山中が彩を?
それは、ちょっと複雑な気持ちだ。しかし、そんな視点で今までのことを思い出すと、あれこれ出てきた。
例えば、山中は妹から渡されたものは、赤い顔をしつつ受けとっていたなぁとか。もちろん、妹が山中に渡したのは、個人的なプレゼントではなく、うちの親からの差し入れのジュースとかそんなんだけれど。
ほぉ。
「おまえさ、今度うちに夕飯を食いに来る?」
「坂井さんが行くなら、ぼくも行くよ」
「えっ。私?」
坂井がうろたえたような声を出す。
おもしろい。
かわいい。
かわいい坂井を見ていると、こっちまでこう恥ずかしくなってきて、やばいと思いつつ顔が赤くなる。
ふと、山中と目が合う。
涼しそうな山中の顔。
やってくれるじゃないのさ、山中クン。
そっちがその気なら、こっちも本気でやっちゃうよ。
赤い顔のままで山中を睨みながら、この仕返しはどうしてやろうかと俺は策を練り始めたのだ。
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