鏑木 7
興人の傷を止血し、手当をしたが、見た目よりも傷は深いようだった。
失明はしていないものの、しばらくの間目を開くことはできないようだ。
失血もあって休ませているが、命に別状はない。
血の付いた手拭などを片付ける桃子を、魁一郎は感心したような、半ば呆れたような複雑な気持ちで眺めた。
頭から結構な血を流して戻る興人を見ても、桃子は全く動じた様子はなかった。
すぐに興人を寝かせ、いつの間に把握したのかテキパキと治療のための道具を揃えて処置を終えた。
武術家の妻になるべく日々精進を重ねてきたのは間違いないようだ。
本来なら警察にも届けるべきなのだが、興人の仕込み刀は面倒なことになる。
もちろん桐蔵に言った「通報した」というのもその場を収めるための嘘だ。
不穏な空気は感じ取ったものの、何が起きているのかまでは分からなかったし、まさか本当に日本刀を振り回している男がいようとは、と驚いたのも事実だった。
魁一郎の刀「灰奥」は登録してあるし、抜いてもいないので問題は無いだろう。
しかし相手も本業のようだった。
通報した所で尻尾を見せるはずもなく。余計面倒なことになるだけだろう。
一息ついて渡り廊下に立つ桃子に魁一郎はご苦労的な言葉をかける。
「稲葉とはどういう関係なのですか?」
魁一郎は世間話でもするような調子で聞いた。
「稲葉も元は蕪古流の分派ですからね」
もっともそれほど密接な間柄というわけではない。
流派の中から独自の発展と称して分かれたり、他の流派の技を取り入れて融合したりすることはそれほど珍しいことではない。
実際には数えきれないほどの分派を輩出している。
しかしそのほとんどは廃れ、途絶え、または全く原型を留めず関連があるとは言えなくなったようなものばかりだ。
伝統と言える技を伝えているのは蕪古流と稲葉流だけだ。
どちらも華道の中に技を隠して伝えられたものだが、戦国の世を抜けて表舞台に進出した稲葉に対して、蕪古流は剣自体の衰退を感じて華道と共に伝えるだけに留まった。
しかし稲葉は鞘を使った技を刃物に代えることでより殺傷力の向上を図った流派。
元は一刀の技が発展したもの、つまり分かれた側であることの自覚はあったし、蕪古流がほとんど一子相伝であったこともあって、分派を潰そうというようなこともなく互いにうまくやっていた。
だがそこは武術。
どちらが上かという小競り合いは常に絶えなかったが、そこは互いに伝統と誇りのある流派。
お互いの技の向上のために磨き合ってきたと言える。
しかし先々代辺りの蕪古流の当主、壬生家は江戸、つまり東京方面に居を移し、それ以降は深く関わることもなくなっていた。
その際、華道の道場はそれなりに大きくなっていたので、大半の門下生は京都に残っている。
だが鏑古流華道の家元は嫁いだ先の壬生であり、鏑木は門下である。
「今も同じ町に道場がありますが、武道華道としての交流はありません」
ただ昔馴染みだからよく知った仲だし、互いに人を紹介するなどは今も続いている。
「一応確認しますが、稲葉家と鏑木家の関係を問うたのですよね?」
もちろんですよ、と魁一郎は平常に答えたが、答えるまでに結構な間が空いた。
「ついでに言いますが、わたくしと興人はただの幼馴染です」
京都に残った流派同士、稲葉と鏑木の友好は続いていた。
稲葉の家系には鏑木から嫁いだ者もいたので、今も見合いの話など恒例のようにあるし、子供が一緒に遊ぶなど日常だ。
それがしきたりになっているというようなことはないが、稲葉は鏑木の娘を
桃子も興人と子供の頃に結婚するというようなことを言ったことはある。
しかし物心がつくと言える年になると互いの距離は開き、それぞれの生活範囲に分かれたが、恋人というよりは兄妹のような間柄だった。
興人は知らないが、少なくとも桃子はそう思っていた。
ただ漠然と、このまま間に割って入る者がいなければそうなるのかもしれないと思っていたと言う。
「私は別に割って入ったわけでは……」
毅然とした口調で言うも最後は口籠った。
分かっています、と桃子は笑う。
「あなたのお父様に、会ってやってくれと頼まれたのですよ」
「それは聞きました」
魁一郎の父、弥一郎が最後の戦いに赴く前に桃子に言い残したのだと、そう言っていた。
弥一郎に会ったのはその時が初めてだったが、印象は悪くなかった。
これから命を落とすかもしれないというのに、気負った様子は微塵もなく清々しささえあったと言う。
「ただ一つ心残りなのは息子のことだと」
魁一郎は表情を変える。
褒められたことなどほとんどない。どちらかというと厳しかった父がそんなことを言っていたとは。
「技は全て伝えてあるが……」
それはその通りだ。
もっとも蕪古流は技数を誇るものではない。
基本理念と基礎の技、修練の方法を学ぶだけだ。あとはひたすら修練を積み、型が崩れたり、間違った方向へ逸れようとすれば補正される。
技というのは全て基礎の応用に過ぎない。基礎がしっかりできていれば技を覚えることはさほど難しくない。
「私に教えきれなかった……、『華』を教えてやってくれないかと」
桃子は口元に笑いを含んで言う。
「華?」
魁一郎は思わず反芻する。
それはどういう意味だ? と考え込むも一向に思い当たる節は無い。
父はあまり教え込むといったことはしてこなかった。
技というのは自然と継承するもの。疑問は自分で導き出し、自分で解決する。
分からなければ聞けばいい。聞いたことに関して、父の見解を語ることはする。だがそれを正解と思うな。そう教えられてきた。
正直に言えば難解で偏屈な父親だったが、それが華とは……。
それで桃子を寄こしたということはつまりあれか? 女を教えられなかった。そういうことだろうか。
確かに魁一郎は華々しいというものに無縁の生活を送ってきたが。
もしそうならそれこそ余計なお世話だというものだ。
技に関することでないからその限りではないのかもしれないが、正直あの父にそんな世話を焼かれると思うと背筋が凍る。
もっとも魁一郎にその甲斐性がないことに違いは無いが。
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