サクラ 12

 古川からメールが来た。

『ついに証拠を見つけた。それを見せたいから再会した時の学校まで来てほしい。裏口を開けておく』

 サクラはその文面を眺める。

 推理ドラマなんかを見る時にいつも思うことだ。

 なぜその証拠を直接教えないのか。

 ドラマではその証拠を見る前に相手が殺されるのが常だ。

 その展開を「ありえないでしょ」と笑っていたものだが、まさか目の当たりにする日が来ようとは。

 もちろん古川は証拠を見せる前に死ぬつもりはないのだろうから、何か理由があるはずだ。

 やはり文面、電話口では説明できない……つまり見なくてはならない物がその場にあるのか。

 それを見れば一目瞭然だが、見ないことには何の意味もない。そういう証拠があるのではないか。

 そう考えるのが自然だが、それでもどんな物なのか大体でも教えてくれれば……と思わなくもない。

 一応メールで「証拠って何ですか?」と送ってみるも返答はない。

 仕方なく指定された学校へ向かうサクラだったが、突然古川から電話での着信があった。

『サクラちゃん!? 来てはダメだ! 叔父さんが!』

 激しい破壊音と共に古川の息を切らした声が受話口から発せられる。

『叔父さんが変異して、今襲われてる。家へも帰るじゃない! お友達に守ってもらうんだ』

 獣のような声と古川の叫び声で通話は切れた。

 しばし唖然と立ち尽くしたサクラだが、すぐに魁達に連絡を取る。



 サクラが学校に駆け付けると、連絡の通り裏門は開いていた。

 校舎は真っ暗で、一見しただけでは特に騒ぎがあったような様子はない。

 古川は逃げたか、それとも時既に遅かったのか……という所だが、ガラスの割れる音と男の叫び声が聞こえた。

 サクラは校舎に駆け込む。

 廊下を横切り、中庭のような所に出てすぐに猿のような変異種に追われる古川が目に入る。

「サクラちゃん!? どうして来たんだ! 今すぐ逃げるんだ!」

 変異種はサクラの姿を認めると、値踏みするように凝視する。

「友達はどうしたんだ? まさか一人で来たのか!?」

「向かってます。もう来てるはずです!」

 サクラが叫ぶと、変異種はサクラに向かって飛び掛かるように身構えた。

 ひゃっ、と一瞬たじろぐもののサクラは真っ直ぐに変異種を見据える。

 変異種は一瞬躊躇したような素振りを見せて手を止めるが、雄たけびを上げると再び手を振り上げた。

「こっちだ! 化け物!」

 古川は変異種の注意を引くように大きく手を振って叫ぶ。

 変異種はそれに気を取られたように向き直ると古川のもとに向かって走った。

 わあっ、と古川は倒れ、その上に変異種が覆い被さる。

 そんな騒ぎが繰り広げられている中庭に、少年のような背格好の人影が二つ入ってきた。

 古川は襲い掛かる変異種に必死の抵抗をする。

「う、うわぁぁ、助けてくれー」

 それでも少年達もサクラも動こうとはしなかった。

 突然、バチッという衝撃音と共に変異種が体を引きつらせると、そのままばったりと倒れる。

 その下から変異種を押し退けるように古川が息を荒げながら顔を出した。

 その手にはスタンガンらしき物が握られている。

 古川は息を整えながらサクラを、そして二人の少年を見る。

「君達はサクラの友達かい? 変異種を討伐しているっていう」

「そうですよ。僕は安藤、技術担当です。こっちは壬生君、蕪古流の剣の使い手です」

 リュックを背負った少年、真一がウィンドブレーカーの下に鎧を着こんだ魁を紹介する。

「ど、どうして助けてくれなかったんだ? 変異種を討伐するのが仕事なんだろう?」

「僕達はサクラさんを守りに来ましたから」

 古川は一瞬言葉に詰まったが、思い出したように声を荒らげる。

「でも、さっきサクラが襲われそうになったのに、いなかったじゃないか」

 不手際を指摘されたにも関わらず、真一は悪びれる風もない。

 古川は呆れたように息を漏らすと、

「やっぱりサクラ、君を守れるのは僕だけのようだ。彼らも結局は子供だよ。本物の危険からは君を守れない」

 古川は芝居がかった動作で厳かに言う。

「その変異種、どうするんです?」

 真一が倒れている変異種を指し、古川は「ああ」と思い出したように、

「止めを刺しておいた方がいいな。気が付けばまた襲い掛かってくるだろう。それはお願いできるかな。サクラのために、役目を果たした方がいいだろう?」

「それ。サクラさんの叔父さんなんですか?」

「そうだよ! 僕はこの目で見たんだ」

 残念なことだが……、というように古川は言葉を濁す。

 それでも動こうとしない魁達に古川は訝しげに言う。

「どうしたんだい? 変異種は殺しても罪にはならないよ。止めを刺すだけなら君達にもできるだろう?」

「無力化してるんですから。このまま閉じ込めて人間に戻るのを確かめてからじゃダメですか?」

「何を言ってるんだ。こんなんじゃいつ気が付くか分からない。それに叔父さんだって自分が変異種だったと知らないまま人生を終えた方が幸せだろう」

「でもそのスタンガン。持ってたなら、どうして直ぐ使わなかったんです?」

「そんなの……、機会が無かったからに決まってるじゃないか。すぐ使えるなら使ってたさ」

 真一は眼鏡を上げる。

「ところで、サクラさんの叔父さんはここで何をしてたんですか?」

 古川は何を聞かれているのか分からないような素振りを見せたが、やがてため息をついて話し出す。

「僕はサクラに叔父さんが変異種だという証拠を見せるためにここに呼んだんだよ。それに気づいた叔父さんが僕を殺そうと追って来たんだ」

「その証拠って何です?」

 古川は一瞬固まったが、やがて声を荒げた。

「僕を襲ってきたんだから十分証拠だろ! 他にどんな目的で僕を襲う理由があるんだ?」

「それは不測の事態のはずです。サクラさんに見せるはずだった証拠って何です?」

 ぐ……、と古川は言葉を詰まらせたが、言葉を絞り出すように言う。

「僕はこの目で見たんだ」

「それじゃ呼び出して見せるほどの証拠とは言えませんね。メールに書けば済むことですし」

 古川は顔を赤くしてわなわなと奮える。

「もういい、僕が止めを刺す」

 古川は倒れている変異種の方へ向かったが、その行く手を魁が阻んだ。

「もういいよ先生」

 先程から沈黙していたサクラが口を開く。

「全部、先生が仕組んでいたことなんだよね? それ、叔父さんじゃないんでしょ?」

 古川は呆然とした様子でサクラを見た。

「な、何を言ってるんだサクラ。僕が嘘を言っていると?」

「ええ、嘘ですよ。あなたの話は嘘だらけでした」

 真一は眼鏡を上げながら言う。

「あなたはサクラさんの留守中、叔父さんはずっと出かけていたと言ってましたが、それは無理があります。なぜならボトルシップを製作するにはずっと家に閉じ籠ってなくてはなりませんから」

 サクラが家にいる間は花織も作業はしていない。

 それでも製作が進んでいるのはサクラの不在中、熱心に作業場に詰めていたということになる。

 そこにほころびが見つかれば後は簡単。

 不在中、見守りカメラを回していれば本当かどうかなど直ぐに分かる。

 サクラでは思いつかないが、真一なら造作もない。

「変異種が騒ぎを起こしている間、叔父さんはずっと部屋にいましたよ」

 古川は訝し気な表情をしていたが、それが次第に険しくなる。

「そ。それじゃ、君はずっと僕を騙していたのか!? 友達には協力を頼めないっていうのも全部嘘で……」

「サクラさんは何も嘘は言ってませんよ。僕達から聞いたんです。あからさまに様子がおかしいのに、何も気が付かないはずないじゃないですか」

「私達は、仲間ですから」

 魁の口添えに、サクラも強く頷く。

 古川は顔をしかめて歯ぎしりした。

 今まで見せたこともないような憎悪に満ちた表情。

「でも分からないことが一つあるんです。あなたはその変異種を叔父さんに見立てて僕達に殺させるつもりだったんですよね? 彼はそれを分かってたんですか?」

 変異種も騙されていたのか。それなら気の毒な話だ。

「ふん。コイツは僕によって救われた生徒だ。それまで何人も傷つけたことを悔いている。意味のある死を望んでいるんだ」

 心を病んでいたのを親身に相談に乗ってやった。

 古川に感謝をしているし、恩返しすることを生きがいとしてるが、同時に死に場所を求めてもいた。

 変異中は凶暴化して理性などは少なくなるが、古川の言うことだけは聞く。

 だが人間の意識も薄いため、死ぬのならその間がいい。これまでの行動を悔いても、変異中に自殺することはできない。

 ならば古川の意思を汲んで、役に立って死ぬことが出れば本望だと思っていた……、というより古川がそう思うよう仕向けていた。

「それを僕達にやらせようとしていたなんて、いい気はしませんね」

「うるさい。こうなったら仕方ない。全員殺してしまえ」

 古川が叫ぶと、倒れていた変異種は声に反応したようにむっくりとを体を起こした。

 変異種は状況を確かめるように周りを見回りしたが、古川の号令で魁達に目標を絞った。

 変異種は雄たけびを上げながら魁に躍りかかる。

 だがその一撃を、魁は刀を抜いていなした。

 続いて二撃。攻撃をいなすと変異種は自分の手を見る。

 魁が攻撃をいなすと同時に手の筋に傷を付けたのだ。

 動かなくなるほどではないが、力を込めると痛みが走る。それでなくとも目の前の相手が自分では敵わない相手であることは分かったろう。

 変異種はもう一人の少年、弱そうに見える真一の方に向かう。

 そっちの方はいとも簡単に頭を粉砕できるように思えたが、真一は臆する事無く手に持っていた棒から霧状の物を噴出させた。

 変異種は目を押さえてのた打ち回る。

「僕達はもう何度も変異種と戦っているんです。それはサクラさんも同じですよ」

 驚愕する古川の目を、サクラは真っ直ぐに見返した。

 サクラとて変異種に襲われない保証は無かったのだ。

 だが真一達の言う通り、古川の目的がサクラの信用を得ることならサクラを傷付けることはしないはずだ。

 変異種がどれだけ古川の指示通り動くかは分からなかったが、初めて見た時もサクラは襲わなかった。

 それに古川もサクラを傷付けるリスクを冒すとも思えない。

「ヒヤッとしなかったと言えば嘘になりますけどね。でも、計算高い人間がそんなリスクを冒すというのはあまり考えられませんから」

 真一達はサクラを気遣い、そして叔父さんの疑いを晴らそうと言うサクラを信じた。

 サクラでさえ、「もしかしたら」「やはり」という気持ちが大きくなっていた所だったのだ。

 だからサクラも自分を戒めるように危険な作戦に乗った。

 もっとも襲い来る変異種の前に立つと言った時は、真一も魁も反対したが、サクラの意思が固いのを知って了承した。

 花織のアリバイは証明できても、結果変異種の死体が出て花織がいなくなれば、後はどうとでもこじつけてくるだろう。

 警察も変異種の事件はさっさと片付けたがるものだ。

 だが計算通りにことが運ばなかったら必ずボロを出す。変異種が死ななければ策略は失敗に終わるのだ。

 サクラにとっては古川の思惑を知ることになるのだから、必ずしもいい結末ではないが。

 そうこうしているうちに変異種が徐々に人間の姿に戻った。

「あなたは……」

 サクラは記憶の糸を辿る。

 サクラが証の偽物を探していた時に、フィギュアを代わりに買ってくれた男だ。

 古川は調査に協力してくれている生徒がいると言っていたが、それが彼だったのだ。

 やはりあれも偶然などではなく、あの時からサクラの監視として付けていたのだろう。

 困っているサクラに近づいたのは勝手な行動だったのかもしれない。

「彼も今までの行動を悔いているのなら、人間としてどう償っていくのかを考えるべきだと思いますよ」

 魁は厳かに言う。

 町の噂はともかく、現時点では死者は出ていない。

 それでも怪我人は出ているのだから見過ごすこともできない。

 しかし変異種は古川の指示で行動していただけで、本人に害悪があるのかと言えば確かに疑問だ。

 だからこれからの人生を償いに向けるのであれば。

 そして古川も個人の欲で利用したとはいえ、変異して不安定に人を襲っていただけの変異種をケアしていたことは事実だ。

 二人で協力して罪を償うのであればこの場は見逃す。

 しかし、また人を襲うようなら、しっかり理解した上での犯行とみて、自分がシノブシとして討伐に当たると告げた。

「先生のやってることはもの凄く……いいことだと思う。はみ出し者だと言われてる私達のことも見捨てなかった」

 だからもう止めてほしい、とサクラは顔を伏せる。

 あえて言葉にはしなかったが、もう二度と目の前には現れないでほしいという意味であることは察することができた。

 古川はがっくりとうなだれ、小さく分かったと呟くと、変異種の青年を連れて校舎から出ていく。

 魁達は安堵したように息をつくとサクラに向き直る。

 サクラは寂しそうな顔をしていたものの、二人の顔を見ると満面の笑みを浮かべた。

 真一は眼鏡を上げて言う。

「もう一人で何とかしようとしないでくださいよ」

「僕達は友達でしょう?」

「うん、ごめん」

 サクラは二人の首に手を回して抱き寄せた。

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