啓二 3

 そして夜。

 啓二は舞以に連れられて、昼間訪れた小学校付近の廃ビルに向かっていた。

「あの……、勤務時間外だと思うんですが」

「特別害獣対策室は勤務時間も特別だから」

 納得いかないようにぶつくさと文句を言う啓二に、舞以は振り返って顔を掴む。

「まだ夜の8時でしょ? アンタはおむつの取れてないネンネか?」

 怒るよりも呆気に取られて立ち尽くす。

 そんな啓二を気にも留めず、ずかずかと足を進める舞以の後を観念したように追った。

「本当に来ると思うのですか?」

 それらしい廃ビルに到着するなり啓二は舞以に聞く。

 普通ならその場を逃げるためについた嘘だと思いそうなものだ。

 何か確信めいたものを感じてのことだと思っていたが、舞以はあっさりと「さあね」と答えた。

 やや恨めしそうに舞以を見るが、啓二も定時できっちりと家に帰りたいわけではない。

 昔ほど意欲的でないとはいえ、仕事として必要ならば深夜、休日に差しかかろうとも残業代で揉めたりはしない。

 それで助かる人がいるのなら、と思えばまだ納得もできるという物だが、これはいったい誰が得をすると言うのか。

「一応『決闘』の約束がここでされているんだから、見回りをするのは警察の職務でしょ?」

「それは普通の課がやることです」

 もっともな意見に舞以は片方の目を閉じて舌を出す。

 改めて周りを見渡すとビルはそれほど巨大ではない。

 三階建てのオフィスビルのようで、窓や正面入り口には何も入っておらず吹き晒しだ。

 所どころヒビ割れ、穴が開き、取り壊しを待つだけの状態だ。

 なるほどトオルの言っていた「壊れかけ」のビルに間違いない。

 搬出搬入の多い工場か何かだったのか、両隣は駐車スペースのように何も建っていない。

 周りにある建物も、使われているのかいないのか分からないような物ばかりだ。

 多少騒ぎになった所で通報されそうにない。

 確かに果し合いをするにはもってこいの場所だった。

「しかし、こういう場所なら不法に居住する者達がいてもおかしくないように思うのだが」

 啓二が疑問を口にした所で昼間に聞いた声が聞こえる。

「よぉ、アンタ達。ホントに来たのか」

「アナタもね」

 舞以の言葉に昼間見た少年は年相応の笑いを返した。

 それを見て啓二も、

「あんな子供の言うことを真に受けて、こんな時間にノコノコやってくるなんてな」

 まったく人のことは言えないのだが、自虐の意味も含めて苦笑交じりに言う。

「そう言うアンタも、オレのこと疑わなかったじゃねぇか」

 ん? と啓二は眉を上げる。

「ボランティアだって話した時だよ。普通ああ言うと、なんて団体だ? 代表は誰だ? NPOか? 答えられないならそれみろ嘘じゃないかと言ってくるもんだ」

 答えを知りたいのではなく、嘘だということにして補導したいだけの質問だ。そんなものには答える気がしない、と言う。

 啓二はふんと口を曲げる。

 別に信用して聞かなかったわけではない。

 そこを突き詰めることに意味は無いと思っただけだ。

 啓二は、建物の中を窺うように覗き込む。

「おいおい、決闘すんのはオレだぜ?」

「決闘は犯罪だからな。警察官として止める義務がある」

「それは相手が人間だったらの話だろう?」

 啓二は少年を睨みつける。

「相手が本当に人間じゃなかったらそれこそ止めないといけないだろう」

 それはただの残虐ショーだ。

 もっとも啓二は本気で信じていない。少年も信じていないからこそ、ノコノコやってきたのではないのか。

 外は頼りないとはいえ街灯が点々とあったが、建物の中となるとかなり暗い。

 窓やら壁やら天井には所どころ穴が開いていて、月の光も差し込むため、完全な闇ではないが、歩くのにも足元を注意しなくてはならない。

 慎重に歩を進めていると突然背後から大きな音が響き渡り、警戒姿勢で振り向く。

 そこには後からついてきた舞以が何かを蹴り飛ばした姿勢のまま固まっていた。

 どうやら落ちていた一斗缶を蹴った音だったらしい。

 男二人の視線を受け止めながら動かない舞以に、啓二はやれやれと注意を建物内に戻す。

 すると、

「ビビらずに来たことは褒めてやるよ。だけど、後悔することになるぜ」

 トオルらしい声が廃ビル内に響き渡る。

 上階にいるらしいが、音が反響してそれ以上は分からない。

 子供相手に警戒するのもどうかとは思うも、警察官としての勘が警戒心を呼び起こさせる。

 コンクリートの上を裸足で走るような音が鳴り、確かに何かいると感じた。

 ガタッと正面の物陰から何かが飛び出した。

 腕を大きく広げ、光る眼に長く伸びた爪は正に……。

「化け物」

 啓二は咄嗟に身を引いたものの、爪が衣服を裂いて鋭い痛みが走った。

 飛び出してきた影はそのまま跳躍すると壁を蹴って上階に姿を隠す。

「な、なに今の」

 舞以は得体の知れない物から隠れるように身をすくめていたが、少年はその場に立ち尽くしていた。

「おい! 危ないぞ」

 身を低くするよう身振りで指示するが、少年は啓二の方を見ていない。

 ガタガタと建物内を何かが走り回る音が響く。

 瓦礫や空き缶など、物が転がり当たる音も混じって、怪物の位置を特定できない。

 これではどこから襲ってくるか分からない。

「なあ、アンタ警官だろ。拳銃とか持ってないのか?」

「あるわけないだろう」

 警察官ならいつでも持ち歩いているわけではない。

 とにかくここにいては危険だ。ビルから出なくては。

 舞以と、少年を逃がさなくてはならない。

「オレが引き付ける。その間に逃げろ」

「そんなこと言ったって……」

 舞以はその場を離れようとしたが、足をもつれさせて転倒する。

「逃がしゃしねぇよ。正体を見たからにはここで死んでもらうぜ」

「いかん!」

 動物は隙を見せた者から襲いかかる。この怪物もそうかは分からなかったが、啓二は半ば本能的に舞以を庇うように飛び出した。

 次の瞬間、衝撃と鋭い痛み。

 啓二の体は弾かれたように舞以の上に倒れ込む。

 そのまま舞以を抱え起こそうとしたが、ぐらりと視界が回った。

「ちょっと! 血が」

 暗くてよく見えないが、ヌメるように滴り落ちる熱い液体が全て血だというのなら、結構な深手ということになる。

 啓二は寒気を覚えて意識が遠くなるのを感じた。

 舞以の叫ぶ声と、何かに抱え上げられるような感覚の中、啓二は意識を失った。





 目を覚ました啓二の視界に入ったのは見知らぬ天井。

 だがベッドの上に寝かされていることとシーツのようなカーテンの仕切りで病院であることはすぐに分かった。

 起き上がろうとするも頭が重い。

 手を頭にやろうとした所で左腕に包帯が巻かれているのに気がついた。

 そうだ。昨夜怪物に遭遇して舞以を庇った時に負ったのだと思い出して、ベッドから起き上がる。

 部屋を出ようとした所へ看護師がやってきた。

 止められるのかと思いきや、命に別条はないので帰って良いと言う。

 輸血はしていないので安静にしているように、抗生剤を処方箋で受け取っていくようにという言葉を適当に聞き流して出口へ向かう。

 多少足元が危ういのと、空腹や喉の乾きもあったので出入り口近くの自動販売機に立ち寄った。

 水よりは栄養補給ができるものがいいかと少し悩んだが、なんとなくトマトジュースを選んだ。

 捜査本部に戻った啓二の目に飛び込んできたのは一心不乱にキーボードを叩く舞以の姿だった。

「おかえり。装備の申請はまだかかるからゆっくりしててよかったのに」

 啓二は怪我を負ったが、おかげで対特別害獣用の武器が申請できると息巻く。

 状況の詳細と怪我の診断書。それだけでも有力だが、加えてボイスレコーダーで事件時の音も録音していたと言う。

「あれが……、変異種なんですか?」

「あれが変異種じゃなきゃ何?」

 広範囲で調べても猛獣が逃げ出したとか目撃されたとかいう記録はない。

 それらも申請において必要な情報なので調査済みだ。

 啓二も知る限りではあんな動物はいない。

 何が一番近いかと言えば猿かもしれないが、大きさの割には不自然なくらいに早い動きだ。

 大きさは啓二より少し大きいくらいだったが、それが壁を蹴って二階の高さに跳んでいった。

 何よりあの長い爪。

 だが爪を受けた時の感触は何というか金属的だった。

 啓二も刃物で斬りつけられた経験はある。それに似た感触だったが、それで言えば爪で襲われた経験がない。

 爪の感触も似たようなものなのだと言われればそうかもしれないと言う他ないが、なんと言うか……、一番近いイメージは手の甲から金属の爪が出るミュータントだ。

 もっとも咄嗟のことだったから、記憶が後から近いイメージをあてがっているだけかもしれないが。

 少なくとも見たこともない種類の猿ということはない。

 だがそう結論づけるということはつまり……、

「あれがあの少年、新谷トオルだと言うんですか?」

「本人はそう言ってる」

「あんな子供が?」

「子供は変異種にならないっていう根拠があるの?」

 いえ……、と啓二は言葉を濁す。

 確かにそんな確証はない。むしろ子供だからこそ危険だと言える。

「では、新谷トオルの身柄を押さえるのですか?」

 舞衣はピタッと動きを止める。

 そしてゆっくりと無表情な顔を向けた。

「押さえてどうするの? 逮捕勾留? 裁判にかけて裁くの?」

 あ……。いや、と啓二は言葉に詰まる。

「政府の公式見解はね。『変異種などと言う荒唐無稽な物は存在しない』なのよ。でも実際いる。政府もそれを知ってる。特別害獣対策室が設置されたり、武器の申請が通るのが何よりの証拠。変異種は秘密裏に排除されるのよ」

 排除……、と啓二は呟くように言う。

「殺す……のですか?」

 舞衣は表情を変えなかったが、やがてゆっくりと口を開く。

「たとえば……、捕まえて隔離した所で人間に戻ってしまえば訴えられるのよ。証拠なんて残しても無意味。変異種を裁く法律はない。心神喪失状態で無罪になる可能性すらある」

「しかし……、それならば法の整備を早急に行うのが筋ではないでしょうか」

「正論ね。でもそれじゃ間に合わなかったのよ。世間の混乱の方が早かった。だから早急に事態を収拾する必要に迫られて取った手段が変異種を殺しても無罪」

 啓二は何も言えず目を白黒させる。

「でもそれは解決じゃなかった。変異種は大事件だったけど、世界規模で見ればほんの数%に過ぎなかった。だから変異種を見たこともない人間による傷害、殺人が横行した。だから政府が公式に決定したのは……」

 舞衣は言葉を区切ると大きく息を吸う。

「変異種と人間は別物。人間が変身したり、人間に戻ったりするものではない。だから人知を超えた怪物が現れたら容赦なく射殺。即死させる」

 それでも変異種は人間が精神に異常をきたしたものだという認識は世間から無くなっていない。

 逆に言えば人知を超えた怪物がいるのだということを信じていない。

 誹謗中傷や差別の形が変わっただけだ。

 変異種の事件の大半は偽物だが、今回のように本物は存在するのだ。

 その本物を社会から排除するのが自分達の職務なのだと熱弁する舞衣に、啓二はやや戸惑いながら口を挟んだ。

「しかし……、そんな事件だったでしょうか? 確かにオイルショック規模の混乱を招いた事件だとは思いますが……。そこまで……」

 舞衣は少しあっけにとられたような顔をしたが、やがて納得したように頷く。

「ああ。アナタ達にとっては大昔のことだもんね」

 啓二は何を言われてるのか分からない様子を見せる。

 確かに大昔と言えるかもしれないが、当時の記憶を思い起こしても、人死が出たというような話は……聞くは聞くが、ちかしい所では聞かない。

「とにかく、変異種は殺傷対象なのよ」

 変異している間に殺す。

 遺体確認でも身内は当人だと認めない。

 死体は害獣として処理され、後には捜索されることのない行方不明者にファイルが増えるだけだと言う。

「ちなみに資格なんて無いから。変異種は誰が殺しても罪にはならないよ」

 事件当初は警官隊によって射殺されることもあった。

 だが警察の持つ拳銃では即死させるのは難しい。

 ほとぼりが冷めた今となってはライフルを持ち出すのも世間の体裁が悪い。

「だからあたし達特別害獣対策班には許可が下りれば専用の武器が貸し出される」

 それには論文のような申請書を書かなくてはならないが……、と独り言のように言うとまたキーボードを打ち始めた。

 啓二はなおも腑に落ちない様子で言う。

「まだ、子供ですよ」

「子供なら人を殺してもいいの?」

「まだ死人は出ていないはずです」

「大怪我させられたのに酔狂ね。あなたが生きているのは運が良かっただけよ。それとも死人が出るまで待つ?」

 いえ……、と啓二は逡巡するが、

「俺はあの子が変異種だと信じられないんです」

「別にあの子を撃ち殺そうっていうんじゃない。変異種になった後に処分するのよ。あの子だって変異中に死ぬ方が幸せかもよ?」

 啓二は口を大きくへの字に曲げる。

「申請にはまだ時間がかかるから、納得いかないならその間好きに調べればいいわ。ただし次に会う時は死体安置所かもしれないよ?」

 啓二は黙ったまま出口へ向かう。

 舞以の「大勢の前で変異させるなんてことしたらパニックになるからね」という言葉を聞きながら啓二は戸を閉めた。

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