啓二

啓二 1

「異動……ですか?」

 横を向いたまま話す上長に、警察官の制服をピシッと着んだ冴島 啓二は冷やかな視線を投げかける。

「まあ、そうだ。本庁の特別害獣対策課から支援の要請があってな。優秀な新人を一人担当につけてくれと言うんだ」

 自分は新人というほどではないと思うが……、という視線で目を合わせない上司を見下ろしたが、新人から遡って一番優秀な人材――で自分に行きついたというなら文句を言うべき事柄ではないのだろう。

 ただ『優秀』という言葉が、自分の意見をしっかり持って、どんな小さなことにも手を抜かず、ルールに沿わないことならば先輩の言うことでも従わない実直さを指しているのなら、生意気な署員を他所へ押し付けようとしているとも取ることができるのではないだろうか。

「不満があるかね?」

 いえ……、と啓二は少し言い淀んだが、

「デスクが廊下の隅とかでなければ」

 とやや嫌味を含めて承諾した。



「さて」

 と啓二は渡された書類を手に警察署の廊下を歩く。

 新たな配属先は『特別害獣対策室』。

 場所は地下一階の第三資料室だった所が片付けられて当てがわれたようだ。

 要するに倉庫。

 人を入れても精々二、三人だろう。

 廊下の隅ではないが、ほとんど似たようなものだ。

 『第三資料室』と書かれた札が付いたままの部屋の扉を開けて部屋の明かりを点ける。

 中は思ったより片付いていた。

 資料棚が並んでいるが、これは恐らく資料室の時のまま中身だけが持ち出されたのだろう。

 それ以外には真ん中に二つ机が向かい合わせに置かれているだけだ。

 それだけで部屋はもう手狭感がある。

 取り換えられたばかりの蛍光灯が、辛うじて左遷ではないと言ってくれているようだ。

 机の引き出しを開けてみるがスムーズに動く。さすがに新品ではないが、一応ちゃんと用意してくれている。

 掃除から始めることも覚悟していた啓二は、やや拍子抜けしたように私物を取りに戻った。

 考えてみれば本庁から人が派遣されてくるのだ。

 署内でも窓際族と噂される課とは言え、あまり雑な扱いをしては問題なんだろう。

 私物を段ボール箱に詰めながら、どうして自分は素直に聞き入れたのだろうと考える。

 一応拒否する権利はある。

 拒否しても良かったのだが、した所で自分の居場所がより狭くなるだけだ。

 啓二も警察官になったばかりの頃は正義感に満ち溢れていた。

 それ自体は今も変わらないと思っている。

 しかし当初ほどの意気込みは今はない。

 啓二にとっての正義とは悪人を捕まえて点数を稼ぐことではない。

 罪を犯す者を片っ端から処罰すれば治安が守られるわけではない。

 補導される、前科が付く、罰金を払わされる。

 それが切っ掛けでまた罪を犯す者も珍しくない。

 警察を恨むのは筋違いだがその気持ちがよく分かるのも事実だ。

 一度罪人となった者は次に罪を犯すことを恐れない。

 正義とは罪を犯した者を厚生させ、正しい道に導くことだ。

 警察官は市民の味方でなくてはならない。

 たった一度の失敗で挫折させて根っからの悪人を生み出したのでは意味がない。

 しかし警察は違う。

 見本となる警察官が失敗することは許されない。

 不正など断じてあってはならないし、相応の処罰があって然るべきだ。

 その姿勢が、結果「同僚に厳しく市民に甘い」と評されることになった。

 上役も成果を上げない者の言い分など聞きはしない。

 結局は警察官も人間で、警察も職業の一種に過ぎない。

 それを思い知っても、特に考え方は変えず、かと言って当初ほどの気概も持たず。迷いつつも何となく日々の業務を続けていた所だ。

 そんな中の異動だったので、なんとなくというか、特に何の感慨も沸かず受け入れてしまったのかもしれない。

 段ボールを運び出す啓二を誰も気に留めない中、無表情に新しいデスクへと向かう。



 段ボールを抱えたまま扉を開けると、中に人がいたので驚いて荷物を落としそうになった。

 振り向いたのは自分よりも小さな、紺のスーツを着たショートカットの女性だ。

 事務員がまだ片付けでも残していたのか? と軽く会釈してデスクに箱を置く。

 だが女性は啓二を見て、

「あなたが配属された人員? あたしは朝霧、朝霧 舞以。よろしくね」

 と手を差し出してきた。

 一瞬何を言われているのか理解が追いつかず固まってしまったが、差し出された手を見て反射的に握り返す。

 遅れて目の前の女性が派遣されてきた本庁の捜査官なのだと理解して、たどたどしい挨拶を返した。

「冴島 ……啓二です」

「え? 制服着てるのに?」

 刑事ではなく名前です、とわざわざ苗字と名前を長めに区切ったにも関わらず新人時代に何度も言わされた言葉を返す。

 手を離した啓二は改めて女性を見る。

 見た目はどう見ても二十代前半、自分より年下だろう。

 てっきり年配の男性が来ると思っていた啓二は戸惑いを隠せない。

「いや、済みません。こんな部屋で……」

「ううん、隅っこの机でいいって言ってたんだけど。わざわざ一室空けてくれてビックリしてる」

 舞以は薄く笑って机の上に身長の割には大きめの尻を乗せた。

「堅っ苦しいことは無しで行きましょう。これから同じ捜査をする相棒なんだから」

 堅苦しくない、というよりはまるで子供のようだ、と思いながら啓二は新しいデスクに持ってきた物を仕舞う。

 大して多くはない荷物を整理して入れていく啓二に、舞以は何でもないような口調で話しかけてきた。

「ところで、あなた『特別害獣対策課』って知ってるの?」

「一応は……」

 カラスや野良犬の被害から蜂や蛇などの生物による市民への被害を対策するのが害獣対策課だ。

 それの特別な部類、つまりあまりないが、起きないとも限らない害獣。

 この場合、逃げ出した虎やライオンなどの猛獣を指すのではない。

 ビッグフットや、ネス湖のネッシー。

 つまりまだ確認されていない生物による被害を調査、対処するのが特別害獣対策課だ。

 これには宇宙人も含まれる。

 荒唐無稽に聞こえるが公式には「新種」による被害。

 生態の不明な新種の生物がいた場合、貴重であるかどうかももちろんだが、まだ知られていない毒を持っているかもしれないし、ヘタに追い立てることでどんな二次被害が出るかも分からない。

 そんな事件には通常通りの手順で当たるわけにはいかないので、特別に対策班を作ることになっている。

 無論だが普段から仕事があるわけではないので、極少数の人間が本庁にいて、必要な時に各部署から人員を募り、済めば解散して元の職務に戻る。

 大抵は調査をして、結局何も出なかったで終わる話だ。

 今回のように一人とは言え、わざわざ対策室を設けるなど珍しい。

 もっとも舞以というか本庁の要請は「隅っこの机でいい」だからこちらが勝手にやっただけなのだろう。

 署としても怪しげな捜査を大っぴらにされたくないので啓二と纏めて隅に追いやったと言う方がしっくりくる。

 しかし怪しい話とは言え、本庁から調査に来た以上は近辺で特別害獣の存在が確認されたということだ。

「じゃ、『変異種』は知ってる?」

「一応は……」

 少し前に噂になった事件だ。

 精神に異常をきたした人間が暴れて人を襲う。

 多重人格の人間が人格が入れ替わると風貌も変わるように、その姿は鬼そのものだと言われる。

 そのほとんどは駆除され、今はすっかりと収まって街は安全だ……、というのがテレビでの報道だ。

 啓二自身は変異種など見たことも無いし、変異種を見たという知人も聞いたことがない。

 確かに街は大混乱したが、それは心無い人間が流したデマをマスコミが面白おかしく煽ったものだと思っている。

 啓二を含め周りの人間も、実際には疫病か何かの被害なのだというのが定説だ。

 それに便乗した悪質な犯罪が横行したので、間接的な被害には遭っている。

「じゃあ、あなたは変異種を信じてないのね?」

「アンタは見たことあるのか?」

 堅苦しいことは無しと言われたから、というよりは不信感を露わにして聞き返す。

 どんな物を見たのかは知らないが、大抵変質者で説明がつくものだ。啓二もこれまで何人もそんな輩を相手にしてきた。

 大抵は不確かな胡散臭い目撃情報なのだが、そんなことを並べてくるのかと思っていたら、

「ないわよ」

 とアッサリ言ってのけた。

「でも、ホントにいると信じてる」

 先程とは打って変わった真剣な顔をしたが、すぐに表情を和らげ、

「だからまずは調査しないとね」

 机から尻を降ろして地面に立つ。

「じゃ、着替えてもらわないと」

 啓二は一瞬何を言われているのか分からず片方の眉を上げた。

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