第2話.追跡
灰色の獣は湿地を駆ける。
(尻尾は掴んだ。足跡もある……。臭いを見失いさえしなければ追いつける)
TDでは仲間とボイスチャットをするためには仲間の近くにいなければならない。目視できる距離にいれば、そのまま仲間の声を拾うことができる。しかし、それ以上離れてしまえば肉声での意思の疎通はできない。
魔法の力に頼るか魔法の力が込められた道具を使うことで物理的な距離を無視した会話は可能だ。
ゲーム開始直後、愚者から<
しかし、基礎的な魔術であるがゆえに、妨害や探知、盗聴の影響を受けやすく、人間たちにグレイの居場所を気づかれてしまうだろう。そうなればこちらの動きは筒抜けであり、グレイが人間たちの背後をとっていることがバレてしまう。
(ナイトたちに知らせるのは敵の編成を掴んでからだ。今はまだその時じゃない)
足音と臭い。
その両方の痕跡を頼りに、グレイは痕跡を辿っていく。
——五人? いや、最低でも六人はいる。
足跡の数を頼りに、グレイは集団の人数に予想をつけた。
人間は
剣に代表される近接武器を使うには兵士や衛兵といった職業に就くのが好ましい。魔術を使うならメイジのような魔術系統の職業を選ぶのが普通だ。
例えば、僧侶の職業を選べば初級魔法である<
仮に騎士や僧兵といった他の職業に転職しても、一度習得した<治癒>はそのまま使うことができる。ただし、僧侶のパッシブスキルであった 回復魔法をHP回復量を微増させる《治癒促進》は使えなくなるため、僧侶であった時よりも回復量は減少するだろう。
従って、人間としてゲームに参加する時には役割を明確にして戦うことが求められる。
敵の攻撃を引き受ける、魔法で攻撃する、バフ魔法をかけて支援する、遠距離から矢を射る、味方を回復する——といった風にだ。
そして重要な役割の1つとして、盗賊や暗殺者といった職業が得意とする偵察役というものがある。
敵や罠の探知、偵察を得意とする斥侯役はチームにいなくてはならない存在だ。こと争奪戦において防衛側のプレイヤーは無数に罠を張り巡らせて敵の消耗を図るの基本。斥侯役がいなくては苦戦は必至。
一般的には盗賊や暗殺者、徘徊者といった追跡や隠密を行う者がパーティーには三人必要だとされている。
今回の対戦でも敵の集団の中には、そういった斥侯役のスキルを持ったプレイヤーは必ずいるだろう。職業によって違いがあるものの、斥侯役には共通して足跡を消したり臭いを減少させるような隠密系統のパッシブスキルを持っている。
痕跡がなくとも、グレイには斥侯役の足跡が頭の中で見えていた。痕跡を消すことができる職業を持つ人間のことも考慮すれば——
(九人? うーん……?)
グレイはやや走る速度を緩めた。
九人というのは何とも中途半端な人数だ。
足跡のない斥侯がいるであろうことを予測したのが九人という人数であるが、問題なのは残りの三人である。彼らが何をしているのかグレイにはパッと思い浮かべることができなかった。
単体での強さでは人間よりも化物の方が上である。
HPやMPは基本的に人間よりも設定値が高く、攻撃方法も多彩。おおよその目安として化物1体で人間3人から4人分の戦力があることになるが、選んだ化物によって強さは大きく変わるし、戦う環境によっても強さは上下する。だが、単体でみれば化物の方が個で勝ることは疑いようのない事実である。
個で勝る化物を倒すためには、人間たちは常に集団で戦う。
スペック上、人間がたった一人で化物と対峙すれば確実に負けることは目に見えているからだ。
ゆえに、一人で単独行動をすることは非常にリスクが高い。
うっかり単騎で化物と遭遇しようものなら致命的なまでにHPは削られ、そのまま死亡することは覚悟した方がいいだろう。
敵と戦えるだけの最低限の戦力を維持できるのが三人という人数なのだ。
六人分の痕跡と、そこに痕跡を残さない斥侯役を数に足せば、グレイが追跡しているのは九人の集団ということになる。
(敵の索敵を避けつつ、隠密行動が苦手な戦闘職を無傷で洞窟まで導いて、万全の状態で決戦に挑む——というのが今回の対戦相手が考えている作戦だろうか?)
グレイが痕跡から考えたのは、斥侯役だけが先行して進路の安全を確保し、主力である戦闘職たちを静かに移動させるというパターンである。
アブラナ湿地帯は洞窟や障害物の生成は毎回異なるが、基本的にマップの中央に山があって洞窟があり、周囲に湿地帯があることは変わらない。
少しでも知識や経験のあるプレイヤーなら、MPや回復アイテムの消耗を抑えたうえで、結晶のある最深部で戦いに挑むことが人間にとってのベターな戦略であることは知っていることだろう。
それを考慮しての隠密行動ということは容易に想像がついた。
だが、ここに九人の人間がいると仮定すると他の三人は何をしているのかという疑問が残る。
純粋な戦士や魔術師が少人数で行動しているのかと考えもしたが、斥侯がいないと奇襲を受けやすく、罠を事前に察知することができなくなる。
途中、戦闘があって止む無くバラバラになってしまったのならともかく、わざわざ少人数の別動隊を作る理由が思い浮かばなかった。
(残り半分も斥侯役か? まさかね)
だとすれば残りも足跡が残らない斥侯役という線もあるが、それだと化物と戦闘になった時に火力不足になる恐れがある。結晶の破壊に特化した陽動目的の編成ならば、あり得たかもしれないが、マップと対戦ルールはゲーム始まる直前に通知されるため事前に知ることはできない。特定の対戦ルールに特化したパーティー編成をわざわざ組むようなことはしないはずだ。
となれば戦闘職でも比較的軽装の弓兵や魔術師といった、武器や防具の重量が少なく、隠密系のスキルを多く習得したプレイヤーがいるということになる。
職業が盗賊だったキャラクターが弓兵などに転職した場合などがそうだ。成長して熟練度を上げたスキルの一部は、職業を変えても使用可能である。比較的軽装な防具で身を固めがちな弓兵なら、シビアな重量制限に気を付けさえすれば足跡を残さず立ち回ることもできるだろう。
とすれば、やはり十二人。
全員がこぞって洞窟にある結晶へ、こそこそと向かっているのだろう。
(……隠密能力に特化したパーティか? 良かった……。このまま見つからないんじゃないかと思って、ひやひやした。この試合も無事に勝てそうだ)
グレイは口からゆっくりと息を吐き出して溜飲を下げる。
ゲーム開始から数分経っても一向に姿を見つけられなかったことで、グレイが焦り始めた頃合いだった。人間たちが考えた作戦は理に叶ったものであり、もし足跡を見つけることができなかったら人間たちを見つけられたかどうかも怪しい。
しかも降雨の発生が索敵の難しさに拍車をかけた。地面に残った臭いや足跡が消えていくのが早くなるため、索敵の要である臭いを辿りづらくしていたのだ。
だが、グレイは見つけた。
中央の山を大きく迂回し、マップの端をギリギリで移動している人間たちの痕跡を。
敵の尻尾の掴んだ今、人間たちが万全の状態で洞窟の最深部にやってくるという苦しい局面は回避することができるだろう。あとは自分がどれだけ人間たちを消耗させることができるかどうかにかかっている。
HPや消耗品、魔術を使用するためのMP、ダメージや状態異常を引き起こし、回復の手間を与えることよる間接的な遅延——十二人全員を倒せるとはグレイも思っていない。
だが、時間を稼ぐことは化物にとって有利に働く。かき乱せればかき乱せるだけよい。適度にダメージを与えて、対戦相手の編成を知ることができれば最低限の目標は達成できるだろう。
グレイは足跡と臭いを辿る。
ゲームの中では外は気温が下がっているらしく吐き出した息は白い。獲物となる人間を探し求め、化物は霧の中に姿を晦ませた。
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