第5話

俺は常にモヤモヤとしていた。


リビングのソファに腰かけ妹の可憐とテレビを見ていた。

夜9時の恋愛ドラマなのだが……羨ましい……。


ドラマの内容は幼い頃から片想いする男性の相手は幼馴染。

まさに、俺と沙織のような関係だ。


『好きだ!愛してる!』


テレビの中のイケメン俳優が女優に向かって愛を叫んでいる。


そういえば、俺はドラマとか見ていて女優が美人だとあまり思ったことがない。

特に高校生に入ってからは沙織を見慣れているせいで女優さんがあまり美人だと感じなくなったんだよな。


テレビ見ていていつも思うのは「沙織の方が美人だよな」である。


まあ、そんな美人と何の取り柄もない俺が釣り合うわけがない。

それにもう、沙織には恋人がいるのだ。


「はぁ」


その恋人が俺だったらどんなに良かったことか。

ため息をつくが気が晴れる気はしない。


「はぁ」


ため息にため息をつく。


「もうお兄ちゃん、ため息ばかりでうざい!自分の部屋にでも行ってよ」

「……そうする」

「ん~、お兄ちゃん、どうしたの?」

「いや、別に……」


我が妹はうざいとか言っておきながら俺のことを心配してくれるようだ。

なんて優しい妹よ!

お兄ちゃんは嬉しいぞ!


スパン!


俺が心の中で妹を絶賛していると頭に衝撃が走り目の前にお星様が散らばる。


「和樹、うざいよ!」

「母さん……」


俺の頭を思いっきり丸めた新聞紙で殴ってくれる我が母。

うざい、うざいって……ほんと、親子だな。


「にしても、和樹、どうした?なんか最近、上の空だし。悩み事か?」


ヤンキー口調の我が母親は一応、俺の心配をしてくれているみたいだ。

ちなみに母さんは外ではですます調で話をするが家の中では元ヤンらしくヤンキー口調となっている。


「母さんには関係ないよ」


俺は母親に恋愛関係の相談をするほど馬鹿じゃない。

顔と視線を母さんから遠ざける。


「んーーー、あっ!はいはい、そうですか。沙織ちゃんのことね……もしかして、沙織ちゃんに彼氏でも出来た?」


なぜそこまでピンポイントに分かるんだ?


「……なっ!」


俺は思わず声が出てしまう。


「おや、図星」

「クッ!」


しまった、かまをかけられた……


「元ヤンの癖に頭がキレて直観の働く母さんなんて、嫌いだ」


母さんに反抗的な態度を取ったがすぐにその行為を後悔するほどの鋭い眼差しを受ける。


「あぁ!?」

「……スンマセン」


元「狂戦士(バーサーカー)」の異名を持つ我が母親の眼光に俺は謝罪するしか生き残る道がないことを本能で理解している。


「まあ、すぐに切り替えろなんて無理だろう。だけど、時間が解決してくれるから、そうしたら次の恋でも探しなよ」

「……そう……だよな」


時間が解決してくれるか……そうなんだろうな……それまでは、このモヤモヤは晴れないってことだけど


「はぁ……」

「和樹、あんたは絶対にモテるから沙織ちゃんのことなんて忘れられるって」

「何の取り柄もない俺がモテるわけないだろ?」

「何言ってんだい、おまえはモテモテでしょ?」

「いや、何言ってんだいはこっちだよ。俺がモテた試しなんてないだろ?」

「は?……って、なるほど、無自覚か……」

「?」


母さんは何やら意味深な笑みを浮かべる。


「なんなら、母さんが和樹の恋人になってあげる?ほら、お母さんとなら既にファーストキスも済ませているでしょ!」


ファーストキスっていつの話をしてんだ?

まあ、そうだな、妹の可憐を産んだくせに体系が全く変わらず、見た目は20代後半。

この間、俺と一緒に歩いていたら「姉弟ですか」って言われて調子に乗っているんですよね!


クッ……これは母さんに馬鹿にされていると思っていいんだよな?

目が笑ってやがる……俺だって黙っていられない。


俺は仕返しするために母さんの頭を両手で鷲掴みにする。


「母さん……いや、成美さん……俺の恋人になってくれるの?」

「え?ちょっと……和樹」


俺は目を潤ませる演技をする。優しく囁くように母さんに問いかけた。


ちなみにこの技は父さんがキャバクラの名刺を母さんに見つかり、暴れる狂戦士(バーサーカー)を鎮めるときに使った必殺技だ。

人生で3回ほどこの必殺技を目撃しているが……毎回、効果てきめんである結果を目の当たりにしている。

俺はこの技を「狂乱の浄化」と呼んでいる。


「成美……目を閉じて」


俺はついに母さんを名前でしかも呼び捨てにする。

すると、何故か頬を赤らめ従順に目を閉じる母さん。


え?なんで、息子相手に女の顔になってるの?

どうしよう、これ……ヤバイ……

「調子に乗るな!」って言われて終了すると思ったのに……あ、ちょっと可愛いと思ってしまった。

……まあ、血のつながりはないわけだし……いいのか?

……いや、待て、それは父さんを裏切ることに。

……あれ?

俺は何を考えている?


「だめぇぇぇ」


俺と母さんのやり取りを真横で見ていた妹の可憐が割って入る。


「何考えているの、親子でしょ!」


妹の可憐は顔を真っ赤にして母さんに声を荒げる。


「え?和樹があれ以上出来る訳ないでしょ?」


対する母さんは長い黒髪をかき上げながら俺がヘタレだと言い切る。

……我が母親よ、息子にはもう少し言い方というものがあるのではなかろうか?いや、無いか……。


にしても、父さんの必殺技で母さんをぎゃふんと言わしてやろうとしたのに……俺が負けてね?


「もし、万が一、母さんとお兄ちゃんがチューしたらどうするのよ」

「その時はその時よ」


妹の可憐の質問を豪快に笑い飛ばす。

まあ、母さんなら俺とキスしても何とも思わないだろうな。



☆彡



そんなことがあって俺は少しだけだが、気が楽になっていた。


形はどうであれ、家族と触れ合うことで楽になっている。


母さんはこれを見越して?

なんだかんだ言ってもまだまだ、俺が母さんに敵うことはなさそうだな。


俺は母さんに感謝しながらベッドの中に入る。

すると、俺の部屋のドアが開く音がする。


ノックもなしにドアが開き、足音が俺の方へ近づく。

そして、一直線に俺のベッドの中に足音の主が入り込む。


俺は寝返りをして確認するとそこには自分の枕を持ってきて隣で寝る可憐がいた。


「え?何している、可憐?」

「うん、お兄ちゃんを慰めてあげようと思って」

「なんで?」

「落ち込んでいるでしょ?だから添い寝してあげる」


なるほど、妹の可憐も気を使ってくれているんだな。

お兄ちゃんは嬉しいぞ!

まあ、添い寝はどうかと思うが……まっ、いっか。


「わかった、おやすみ、可憐」

「うん、おやすみなさい」


妹の可憐と一緒に寝るなんて何年ぶりだろうな。


「ってか、一緒に寝るならおまえはこっちだ」

「え?あ、うん」


俺は妹の可憐の寝相が悪いことを知っている。

だから、壁際にいる俺と寝る位置の変更を行った。

ただ、布団から出るのは寒いので布団の中でモゾモゾと位置を変える。


「…………」


無言で従順に従う可憐


俺が可憐の上になり可憐は俺の下を転がって移動。

転がっている姿を見て、昔は俺の上を転がりまわっていたのを思い出す。


「どうした、可憐?」


布団の中で転がって移動する妹の可憐は何故か無言で、ちょっと素っ気なく感じる。


「……なんでもない」

「そっか」


まあ、俺の気のせいだろう。

俺は妹の可憐を壁際に移動させてそのまま寝ようとした。


「ねえ、お兄ちゃん」


妹の可憐が横を向いて俺に話しかけてくる。


「なんだ?」


俺は向きを変えることなく妹の可憐に返事する。


「沙織さんと喧嘩でもしたの?」

「いや、どうなんだろうな」

「これからどうするの?」


いや、それは逆に俺が聞きたいよ。


「何も……しないと思う」

「今まで通りってこと?」


今まで通りか。


「そうだろうな」

「……そっか」


……そうだよな……今まで通りでもいいんだよな?

沙織は隣に住む幼馴染。

恋人という関係ではないが、幼馴染という関係はまだ続いている。


そうだ!それでいいんだ!

今まで通り、沙織をサポートする幼馴染でいいじゃないか……それが俺の役目みたいなものだ。


こうして俺のモヤモヤはかなり晴れてくれた。

母さんにしろ、妹の可憐にしても感謝しかない。

俺一人だと絶対にこのモヤモヤは晴れなかっただろう。



☆彡



俺は家族のおかげでモヤモヤがなくなり沙織ともこれまでの関係維持で十分だと理解した。

お陰様で仕事も順調に進めることが出来ている。


しかし、頭でわかっていても感情は別なのだと思い知らされる。


それは、薄暗くなった近所の公園で男女が抱き合っているのを目撃。

爆発しろ!っと、内心穏やかではなかったがそれが更に加速する。


男の方が嬉しさのあまり女性を振りまわしているのだ。

そのおかげで、その女性の顔に外灯の光が当たり、女性が誰なのかを知ることになる。


「さ、沙織……」


沙織が他の男に抱きしめられている。

その事実に、俺の胸は締め付けられる。


この時、俺は感情というのはどこまでも勝手なものだと思った。

恋人という関係ではなく幼馴染の関係で満足すればいい。

そうやって理解したはずだ……だが、胸の痛みは俺を苦しめる。


「あれ?本田?」

「…………?あ、豊田か!」


胸の痛みに耐えていると、中学の同級生が目の前に現れる。

俺は豊田の一番目立つところに視線が行く。こいつ中学の時からデカいと思っていたが……更にデカくなってね?


「久しぶりだね」

「ああ、そうだな。じゃあな」


おっぱい星人ならこいつの一挙手一投足に釘付けになるだろうが俺は違う。

俺としては嫌な奴にあったのでそそくさと退散することにした。

ついでに胸が苦しいので、沙織の傍から離れたいのも事実だ。


「ねえ、本田、沙織に近づかないでよ」

「あ?何を言っているんだ?」


こいつはブレないな。

中学時代から何かと俺と沙織の仲を良く思っていない。

まあ、中学時代の俺は実の両親と思っていた人たちが実は違うと知り、荒れていたからな。


こいつはそんな俺にも堂々と目の前に立ち、沙織と別れろと進言するぐらいの奴だった。

本当に昔から変わってないヤツだ。


「あれを見てよ。あの二人は今日から恋人になったの」

「え?今日から?」

「ええ、そうよ。たった今ね!それに一緒の○○大学に通うことが決まっているしお似合いなのよ」


なるほど、沙織は合格したんだな。

それに好きな人と一緒の大学、キャンパスライフか……沙織にとっては幸せそのものだろうな。


「なあ、どっちから告白したんだ?」


恋人になったという事実と同時に俺は気になってしまった。


「もちろん沙織からだよ」

「……そうか」


大学の合格発表後に告白するって言っていたもんな。

なるほど、やっと沙織の恋が実ったわけだ。


もし仮に俺が告白していてもフラれただけなんだろうな。

はぁ……叶わぬ恋だったというわけだ。


「だから、あんたは期待するな。惨めになるだけだから!」

「忠告ありがとよ、じゃあな」


惨めになるだけね……そんなの、言われなくても分かってる。


「待って」


聞きなれた声が聞こえる。

その声を聴くたびに体の芯が熱くなるような声。

息切れしているが、その吐息が俺の心臓を鷲掴みにする。


少しばかりだが、俺は沙織に見とれてしまった。

俺が沙織に見とれていたことを豊田は見逃さなかった。

豊田は少し離れた位置から俺に釘を刺す様に言い放つ。


「まあ、さっき話した通りよ。あなたはただの幼馴染なの、だから沙織との距離には気を付けてね。沙織はもう恋人がいるんだから」


分かってるよ……言われなくてもな。


「……あ、あぁ……わかったよ」


でもそうだよな、頭では分かっているが……心が付いてこれるかの問題もあるよな。


「ねえ、和樹……」


沙織が俺に声を掛けようとすると豊田が沙織の耳元で何か話していた。

それが一体、何なのか俺には分からない。


まあ、おおかた俺の悪口だろう。


「あの……えっと……」


何やら歯切れの悪い沙織。

本当に何を吹き込まれたんだ?


「うん、その……私ね、川崎君と付き合うことになったんだ。恋人が出来たんだよ」


ああ、こうして本人から聞くと……納得をせざるを得ない。

今この瞬間が現実であることを認識したくない。

すぐにでも俺の女になってくれといいたい。

だが、俺と沙織は今後も幼馴染としての関係を続けたい。

だから、俺は幼馴染として彼女と会話する。


「そっか、よかったな」

「……………あ、あれ?」


俺は笑顔で沙織に返事をする。

沙織は少し拍子抜けしているな。

多分、もっと喜んでほしかったんだろうか?


ただ、俺もまだまだなんだよな。

作り笑いが一生懸命だよ。


「それじゃあ、俺は先に行くよ」

「あっ…………」


涙腺の限界だった。

笑顔を作ったのだが目が潤んで涙が零れ落ちそうになっていたので、サッと沙織に背を向ける。

もう、振り返ることは許されない。


今の感情を沙織に見せるわけにはいかない。


俺は沙織から少し離れたところで涙腺が崩壊した。


「……グッ」


堪えることの出来ない涙が溢れてくる。

感情に任せるなら声を出して泣いているのだろう。


涙する俺は家に上がることが出来なかった。

自分の車に行き、そのまま車の中で泣きじゃくる。


家族に見せても心配させるだけだ。

これは俺だけの問題だ。

だから、ここで一人で泣こう。


そして、また、沙織の幼馴染に戻ろう。

それ以上を望むことがないように、関係が深まっても親友までだ。

それで満足しろよ。なあ、本田和樹。


落ち着いたら家に入ろう。

そう思っていたが、そのまま車の中で寝てしまい気が付けば朝の7時を過ぎていた。



☆彡



涙が乾いて頬が突っ張っているので帰ったらすぐにシャワーを浴びようと自宅へ向かう。


すると、平日の朝にあまり出会うことのない人と出会う。


「おはようございます、美香さん」

「あら、和樹君、おはよう」


美香さんはマンションの駐車場にある自動販売機でポカリを両手に抱えるぐらい買っていた。


「それ、どうしたんですか?」

「あ、これ?沙織が熱だしちゃって……今日は高校の卒業式だというのに」


沙織の卒業式って今日だったんだ。

にしても、沙織のヤツ、気の毒だな。

確か恋人は同じ高校なんだよな。

なるほど、恋人が出来て浮かれていたんだな。


「それは大変ですね。何か手伝いましょうか?」

「本当にいいの?」

「ええ、今日はすることありませんし」


まあ、嘘である。

仕事が溜まっているので、そろそろ片付けなければいけない!

ただ、沙織のことが心配でもあった。

落ち込んでいるんじゃないのか?


「そう?そうしたら、沙織を病院に連れて行ってもらいたいのだけど」

「お安い御用です」

「いつもいつもごめんね、和樹君」

「沙織と美香さんのためなら、いつでも駆けつけますよ」

「……ありがとう、和樹君」


俺は一度、自宅へ戻ってシャワーを浴びて服を着替える。


「あ、お兄ちゃん!!!……朝帰りって……何していたの????????」


シャワーを浴びて着替えをしていると妹の可憐がノックせずに部屋に乱入してくる。

その形相はまるで母さんが怒った時の様に俺を威嚇する。

まあ、母さんから比べたら可愛いものか……にしても、流石、血のつながりがある親子……似てるよな。


「いや、帰っていたよ。ただ、車で寝ちまったんだよ」

「本当に~?」

「ああ、本当だ」

「うーーーーーん」


眉間にしわを寄せて唸る妹の可憐。


「すまん、これから沙織を病院に連れて行くんだ」

「え?どういうこと?」

「なんでも卒業式なのに高熱を出したとか」

「ええ、マジで大変じゃないの?」

「だからだよ。ちょっと行ってくるな」

「うん、気を付けてね」


俺はバッグに最低限のものを入れて隣の鈴木家にお邪魔する。




鈴木家の玄関を開けるとすぐに沙織の姿があった。


「大丈夫か?」

「…………え?」


赤く高揚した顔は色気すら感じる。

ただ、本人はかなりの高熱で辛いだろうから、俺がしっかりしないとな。


「和樹君ごめんね」

「いえ、これぐらいお安いご用ですよ」


家の奥から美香さんが出てくる。

俺は美香さんから沙織の診察券や保険証を預かる。

これを渡してくれるというのは本当に美香さんは俺を信頼してくれているんだよな。


「助かるわ、ほんと」

「それじゃあ、美香さん、行ってきますね」

「お願いね、和樹君」


沙織は高熱のせいでかなりふらついており、靴を履こうとしたがよろけて倒れそうになってしまう。

危なっかしいと思っていたら案の定だった。

咄嗟に俺は沙織の体を救い上げる。


「……あ、ありがとう」


とろけた瞳に高揚する頬の沙織はとても素直だった。

そんな彼女を俺は、惚れ直してしまう。

だが、いかん!

沙織にはもう彼氏がいるんだ。

諦めろ!


「俺なんかで……すまないな」


一応、謝っておこう……まあ、病院に行って帰るぐらいは勘弁してもらわないとな。


「えっと……その……そんなことはないよ」


なんだろうな、この可愛い生き物は……以前となんか違うな……やっぱ恋……してるからなのかな

沙織をここまで変えたやつ……なんだろう腹が立つ!

まあ、嫉妬なんて醜いか。


俺は沙織を支えつつ車に乗せて病院に連れて行った。


しばらく車を走らせて少し離れた大きな病院へ。

ここは美香さんの働いている病院なので何度か来たことがある。


しかし、大きな病院なので受付では俺の知らない人が対応してくれた。


最近では発熱者は隔離された場所に待機する必要があるので、俺たちはその場所で待機していた。

沙織はかなり辛そうにしている。


二人掛けのイスに座わらせるが普通に座ることもどうやら難しい。

すると沙織は俺の肩を枕代わりにする。

まあ、それによって少しは楽そうなので俺はそのまま肩を貸すことに


ただ、かなりの汗をかいている沙織……汗のにおいとシャンプーの匂いが混ざり……あ、これ……ヤバイ


好きな女の汗が臭くて嫌になるというよりも………興奮してしまう!


ヤバイヤバイヤバイヤバイ……煩悩退散、煩悩退散、煩悩退散


っと、そうだ仕事をして気を紛らわそう。


待ち時間を有効に使わせてもらうため、更には俺の煩悩を抑えるために俺はパソコンを膝の上に置いて作業を開始する。


カタカタとノートパソコンのキーボードを叩くのだが…………集中が出来ん!


「和樹、すごいね……」


ああ、沙織が素直に俺を褒めてるよ……生きててよかったぁ。


「これくらい慣れたら簡単だよ」

「そんなことない、私の大好きな和樹はやっぱりすごいよ」

「…………」


マジで何なの、この可愛い沙織は……クソッやっぱりあれか!男か!男なのか!あの男が沙織をこんなに可愛いに変えたんだな!!!!!許すまじあのイケメン男子!


「なんかいい気持ち……」


沙織が何か呟くと次に聞こえてくるのは可愛い寝息だった。


「あら、彼女さん寝ちゃいました?」


沙織が寝息を立て始めたと同時に看護師さんが検査キットをもって俺たちの前にやって来た。


「すみません」

「いいんですよ、そのまま検査しますので」


対応してくれた看護婦さんは寝たままの沙織に検査キットを使用してくれる。


その後、お医者さんにも診てもらうが、沙織は寝たままだった。


俺は眠ったままの沙織を病院から連れて帰りベッドに寝かしつける。






沙織が起きたのは夕方ぐらいだった。

しかし、俺と美香さんは沙織の姿に仰天する。

いや、仰天しているのは俺だけで美香さんは呆れていた。


「お母さん、私の肌着って…あれ?和樹?どうしたの?」


俺たちの前に堂々とした姿で現れる沙織。

多分まだ、熱が下がってなくて意識が朦朧としているのだろうか?

下は病院に行った時のままだが、上半身が……生まれたままの姿になっていた。


見てはいけない!と思っているのだが、自然に吸い込まれるように、視線が釘付けになる。

なるほど、これが万有引力か!


「ちょっと、沙織。なんて格好をしているの!」


美香さんは呆れたような声で沙織に話しかける。


沙織は寝ぼけた状態でありながらも美香さんの声に反応して視線を落とす。

するとみるみると表情が変わっていく。

というか、視認するまで気が付かないって……これはまだ熱があるな。


「い……いやぁぁぁ」


沙織は叫びながら必死に隠そうとするが時すでに遅し……俺は脳内保存の一時メモリーから永久保存メモリーへバックアップの取得を開始する。

あ、ちなみに一時メモリーから永久保存メモリーに移す方法は簡単である。

繰り返し思い出すことだ!

大丈夫、俺なら毎日といわず、毎分毎秒、いつでも思い出せる自信がある。


「そそっかしい子ね。あ、和樹君、おばさんはちょっと出かけるけど……」

「あ、俺も一緒行きます」

「付いてきてくれるのは嬉しいけど、今回は沙織の傍に居てやって」

「わかりました」


美香の要望で俺は留守番をすることになった。

たぶんだけど、気を遣わせてしまったのかな?


俺は美香さんに貰った機会を使って沙織に謝ることにした。


コンコンと沙織の部屋のドアをノックするが返事はない。


「…………」


俺は部屋には絶対に入れないだろうから、ドアの前に立ちドア越しで話を始める。


「沙織……すまん」


不可抗力といえど、俺が見てしまったものに変わりはないので俺は謝ることに。

しかし、その程度で許されるものではなかったようだ。


「変態!出ていけ!」


そうだよな。俺なんかに裸を見られてショックだよな。

どうせ、見られるなら恋人の方がよかったんだろうな。


「ああ、分かってる。不可抗力といえど、恋人でもない俺が見てしまって……本当にすまなかった」

「…………」


俺は今できる誠心誠意の謝罪を行ったが返事は帰ってこない。

仕方ない……リビングで仕事でもさせてもらおうかな。


俺がリビングに入ると同時に鈴木家の玄関ドアが開く。

どうやら美香さんが何か忘れ物でもしたのだろう。


俺は気にせず仕事を再開する。

それと同時にたまには音楽でも聴いてみるかとイヤホンを付けて音楽を流した。

しばらくすると、何やら玄関からむせび泣くような声が聞こえる。


「……さみしい…………樹……」


誰だろうかと考えていたが、この家には俺と沙織しかいない。

もしかして、沙織が泣いているのか?


片耳のイヤホンを外す。


「…………グスン」


やはり、むせび泣くような声が聞こえた。


俺は恐る恐るリビングのドアを開き玄関を覗く。


「え?沙織!!!」


なんと、沙織は玄関の壁にもたれかかってぐったりとしていた。

俺は驚きのあまり呼吸がとまった。

だが、すぐに我に返り沙織の元へ駆けつける。


「おい、大丈夫か?」

「……すぅ」

「ははは……寝てるよ」


まったく、人騒がせなやつだ。

っと、俺は苦笑しながら沙織を抱き上げてベッドまで連れていく。


そして、ベッドに寝かせて沙織から離れようとすると上着が何か引っかかる。

何に引っかかっているのか確認するために視線を落とす。

その正体は沙織が俺の上着を握っていたのだ。


「沙織?」


俺が沙織に呼びかけるが反応はなく、どうやら無意識のようだ。


沙織のヤツ、こんな状況、彼氏に見られたら大変だろうな。

でも、今だけ……この状態のままでいたいと思った。


可愛い幼馴染の寝顔を見ながら寝息を聞くこの幸福に俺は自然と表情筋が緩んでいるのがわかる。

だが、あくまで幼馴染であるという線引きはしっかりとしないといけない。



☆彡



その晩、俺は鈴木家に泊まることになった。

検査結果が出るまでは一応、俺も家に帰るのを控えた。


で、俺は美香さんの晩酌に付き合う。


「ひっく」


なぜかいつも以上にハイペースで飲む美香さん。

というか、完全にオーバーペースなのでは?


「ねえ、か~ず~き~く~ん」

「なんですか?」

「沙織とは……どうなの?」


ん?俺にそれを聞くということは沙織のヤツまだ、自分に恋人が出来たことを話をしていないのか?

どうしよう……俺から言うのもおかしいよな……。


「えっと、普通の幼馴染ですかね」

「……ふーん、ふへふへへ」


あれ?美香さんなんか上機嫌だな。

俺から言うのもなんだが、うーん、かなり酔っぱらっているから聞いても忘れてしまうかもしれない。

まあ、いいか……匂わせてみるか?


「あの……美香さん」

「ん?」

「もし仮に俺以外の人を恋人として、沙織が連れてきた場合、どうします?」

「別にどうもしないよ。それは沙織が決めることだから。それにありえないでしょ!」

「そう……です……ね」


美香さんは俺のことを評価してくれている。

まあ、ちょっとうちの母さんによる美化補正が入っているけどね。


「っというか、和樹君なら沙織をもう襲ってもいいぐらいだよ」


ぶふぅー


俺は飲んでいたコーラを少し噴き出してしまう。


「ゴホゴホ、冗談はやめてください」

「アハハハ」


コーラを吹き出した俺を膝を叩きながら笑う美香さん。


「ハハハハ…………すぅ」


どうやらかなり酔っていたようだ。

まるで電池が切れたようにすぅすぅと寝息が聞こえてくる。


なんか、今日の美香さんはおかしい。

まあ、俺に出来る事と言えば布団で寝かせてあげれるぐらいか。


俺はベッドメイクの後、お姫様を丁重に運んだ。

にしても、叔父さんの言うとおりに筋トレしていてよかった。

おかげで、美香さんも沙織もお姫様抱っこを楽にできるからな。


俺……今後も筋トレだけは続けよう。



☆彡



翌日、俺はソファで寝ていたのだが何やら香ばしい匂いに誘われて目が覚める。

リビングでは美香さんが朝食を作っていた。


「おはようございます」

「おはよう、和樹君。ちょっと待ってね、もうすぐで出来るから」


久しぶりに鈴木家で目覚める朝

小学生ぐらいの時は、沙織の部屋で寝ていたよな。

"

枕が変わったら早起きしてしまう"

俺はソファーの周りを見渡す。

まあ、もうあの部屋で寝ることないだろう。

それに一緒に寝ることもないよな。


少し昔を思い出してしまって感傷に浸る。


昼前になり美香さんの携帯が鳴る。

電話はどうやら職場からだったらしく、検査結果が陰性という報告を受けた。


その後、俺は自宅へ戻ることにした。



ピンポーン



鈴木家のインターホンが鳴る。

俺はちょうど、帰るところだったので玄関で対応する。


「はい?」


俺は鈴木家の玄関を開けて客の対応をするのだが、そこにいたのは俺の天敵だった。


「なんで、あんたがここにいるのよ?」


出迎えるなり不機嫌そうな顔で俺を睨みつけるのは、沙織の友人の豊田だった。


「なんでって、美香さんの手伝いだ」

「本当かな?」

「何疑ってんだよ」

「怪しいんだけど!」


玄関の口論になり始めると、リビングから出てくる美香さん。


「あら、澪ちゃん、こんにちは」

「あ、おばさん、こんにちは。沙織は大丈夫ですか?」


たぶん、豊田の声が聞こえたからだろう。

なんだかんだでこいつも沙織の幼馴染だからな。

中学の頃は、マンションの廊下でたまに見かけたもんな。


「お見舞いに来てくれたのね、ありがとう。沙織はまだ寝ているの、わざわざ来てくれたのにごめんなさいね」


美香さんはお見舞いに来てくれたことには感謝するけれど、沙織と会わせる気はないようだ。

まあ、沙織もまだ体調が万全じゃないだろうからな。

だが、この程度で引き下がる豊田じゃなかった。

次の豊田の発言に美香さんは固まってしまう。


「あの沙織の彼氏を連れて来たんです。よかったら一目だけでも会わせてもらえませんか?」

「……え?」


豊田の紹介で玄関ドアが更に大きく開かれる。

現れたのは見上げるほど高身長な男だ。

端正な顔立ちでヘアスタイルも決まっている。


俺は沙織の彼氏を間近で見たのは初めてだが、あまりの完璧な容姿に妙な納得をしてしまう。

こいつと比べられたら……勝てないよな……俺なんて……。


美香さんは先ほどから固まって瞬きだけしている状態。

美香さんと俺は視線を合わせる。

俺は静かに頷いた。

それだけでアイコンタクトのように意思疎通が出来てしまった。


「えっと、そうなのね……それじゃあ、上がってもらえるかしら?」

「お邪魔します」


豊田と沙織の彼氏は靴を脱いで沙織の部屋へ向かう。

来客二人が少し離れたところで美香さんが俺に詰め寄ってくる。


「和樹君、背の高い子が沙織の彼氏って……」

「本当みたいですよ」

「そ、そうなのね。意外だわ、おばさんはてっきり和樹君と……」


美香さんが何を言わんとしているか分かっている。

しかし、沙織の彼氏を選ぶのは沙織本人だ。


「いえ、俺は幼馴染としてこれからも沙織と仲良くさせてもらいますよ」

「……和樹君」


俺は精一杯の笑顔で美香さんに答える。

ここで暗い顔したところで美香さんに心配かけそうで申し訳ない。


ただ、ここでも思う。

理性と感情は別物であり、感情というのは我儘であるということを


「それじゃあ、俺帰ります」

「待って」


美香さんは俺の手を引き呼び止める。

しかし、俺は振り向いたりはしない。


「えっと、仕事とかありますので、早めに帰りたいんですよ」

「和樹君、元気出して」

「嫌だな、俺は元気ですよ」

「じゃあ、なんで泣いているの?」

「…………」


圧倒的な敗北感

生まれ持ったものによる優劣

努力の無意味さ


色々な感情が沙織の彼氏を前に渦巻いた。

悔しかった。


たぶん、勝てないと悟った時、涙が溢れた。


「それじゃあ、帰りますね」


俺は手を引かれていたがいつでも振りほどけるほどの力でしか握られていない。

だから、簡単に手を振りほどくことが出来た。


「ありがとう、和樹君」


美香さんから手が離れると美香さんは鼻をすすりながら感謝してくれる。


「いえ、それでは」


俺は振り返ることなく鈴木家から出て隣の本田家へと帰宅する。



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