第3話 沙織1

大学受験も無事に終わるも合否判定が気になってあまり眠れない。

今晩はお母さんが夜勤のために一人で留守番をしている。


静まり返った自宅に一人でいるとどうしてもナイーブな気持ちになり落ち着かない。

私はミルクを飲み一息ついてベッドに入るもなかなか寝付けなかった。


一応、目を閉じてみる。

するとすぐに思い出されるのは野暮ったいヘアスタイルの和樹だ。


エプロンを付けて部屋の掃除や洗濯をしている和樹。

私が帰ってくると和樹が家にいて「おかえり」と言ってくれる。

本当は飛び上がるほど嬉しいのにいつも素っ気ない挨拶しかできなかった。


でも、和樹は私のことを邪険に扱ったりせず、いつも通りに接してくれる。

そんな和樹との関係を壊したくないという一方で別の感情も芽生えていることに蓋をしていた。


この一年、家で和樹のおかえりが私を壊してるのは確実。

なぜなら、平常心でいるのが難しくなっているから。


特に最近では岡さんにすら嫉妬するほど自分がおかしくなっていることには困惑していた。


「私も、お姫様抱っこ……してほしいな」


自分の発言の恥ずかしさに気が付いた瞬間に顔が熱くなってきたのでベッドの中に潜り込んだ。


しばらくすると携帯からワンフレーズの音楽が鳴る。

枕元に置いた携帯に手を伸ばして画面を確認する。


携帯の時刻を見ると深夜0時を回っていた。

メッセージアプリの画面の名前には「澪」と表示されている。


澪は中学時代からの仲良しな友達。

同じ中学校からの縁で和樹のことも知っている幼馴染だ。

澪は可愛い女の子でメッセージアプリのアイコンもとても可愛い猫と一緒に撮った澪がいる。


そんな澪からのメッセージは簡単なものだった。


『明日、パフェ食べに行こう』


特に用事があるわけでもない私は澪にメッセージを返す。


『いいよ』


メッセージを返すと10秒ほどで返事が返ってきた。


『それじゃあ、11時に現地集合で』


澪のメッセージが返ってくるとすぐに地図も送られてくる。


私は明日のパフェが楽しみになり、先ほどまで悶々としていた気分から一転。

その後、地図で場所を確認していたが、携帯を片手にそのまま寝落ちすることになった。

このやりとりは合格発表が2日後に迫った深夜のことだった。



☆彡


友人の名前は豊田 澪(とよた みお)。彼女は中学からの友人である。



翌朝、友人の澪に連絡を貰った場所へと赴くべく電車に乗っていた。

おしゃれなケーキ屋さんということで私も少しおしゃれをして出かける。


お母さんの持っていた大きなスリットの入ったスカートは思っていた以上に足が見えるので恥ずかしかった。


私は電車に揺られながら澪とメッセージのやり取りをした。

まあ、やり取りというよりは、今日のケーキ屋へ行きたいという澪の熱い思いがスタンプまみれで綴られていた。


澪は「バケツサイズのパフェ」という投稿を見て、無性に食べたくなったので私を誘ったという。

私も甘いものは好きなので、SNSの投稿記事を信じて現地へと赴く。


現地集合ということで駅から降りて携帯のナビを頼りに歩いていくと、迷うことなく目的地のケーキ屋にたどり着く。


「おーい、沙織」


ケーキ屋の前で人だかりが出来ていて、その一人が手を振る

ふわっとボリュームのある茶髪で小顔の女の子。

小柄な女性は周りにいる人に埋もれない様にぴょんぴょんと飛び跳ねる。

クリーム色のトレンチコートに下に隠された彼女の武器が飛び跳ねることで揺れ動く。


私も歩きながら視線を落としてみる。

揺れ動いているのを期待したが、特にそんなそぶりはない。


もう一度、澪の方へ目を向けるとやっぱり揺れ動いている。


明らかに違いを見せつけられ劣等感を感じていた。

その劣等感とは別に私はもう一つの懸念事項に気が付く。

若干気落ちした私は「はぁ」とため息を一つ付いた。


ただ、無視するわけには行かないので私は澪に小さく手を振った。

決して嫌な顔はすることなく、穏やかな笑顔を送る


「澪………一人じゃないの?」

「いや、ごめん。さっきそこでばったりと会ったんだ」


澪の隣にスタイルが良く背の高い男性が二人いる。

おかげで澪が物凄く小さく可愛く見えた。

二人ともかなり端正な顔立ちで、澪を含めて周りから少し浮いた集団となっていた。


「ちっす」


一人は白いパンツに派手なジャケットを着ている男。

名前は吉川 陽斗(よしかわ はると)。

同じ高校であるが同じクラスになったことがないので、名前と顔は知っているが話をしたことがない。

ただ、私は一目で彼が自分の苦手なタイプだと分かる。

なぜなら、彼の言動やファッションから容易にチャラ男だと想像できるからだ。


「こんにちは」


スマイルを心掛けているのだけど、苦手な相手だと上手く笑顔を作れている自信がない。

それにもう一人の男子はもっと会いたくなかった。


「こんにちは、沙織」


背の高い彼はカジュアルコーデの落ち着いた雰囲気。

モノトーンで色を揃え、靴も革靴でちょっと大人っぽさも出ている。

はるとよりもイケメンの彼は先ほどから周りの女性の視線を一人で集めてしまっていた。


「え、ええ、こ、こんにちは」


でも私にとってはこちらのイケメンのほうが気まずいこと、この上なかった。

なぜなら、彼の名前は川崎 芳樹(かわさき よしき)と言い……以前に告白されたが断った相手だからだ。


私はなるべく自然に澪の影に隠れようと移動する。


「もう沙織ったら何してるのよ」

「だって……」


私の行動にみんな驚いている。

自然に澪の影に移動できたと思ったのに……


「芳樹、お前、嫌われてね?」

「うるさいな」


川崎君は吉川君を物凄い形相で睨みつける。

それを見た吉川君は地雷を踏んだことに気が付き川崎君の機嫌を取る。


「まあまあ、今日は俺はおごってやるから」


二人のやり取りを気にすることなく澪は私の手を引いて店内に入る。


「ほらいこうよ」

「う、うん」


手を引かれるまま私と澪は先に店内へ。

その場に残されたくない男どもは私たちの後を追って店内へと入ってくる。


「うわぁ、おしゃれ」

「そうだね」


女性店員さんに案内されて4人掛けのテーブルへと移動する。

そして、第一声は吉川君の声で始まった。


「それじゃあ、ここは全員分、俺がおごるよ」

「え?そんなの悪いよ」


私は吉川君の提案を断ろうとするが吉川君は大丈夫だと言い張る。

そして、それを後押しするように川崎君が説明を始める。


「こいつ動画編集者として仕事しているんだよ。だから、驕らせればいい」

「お前はついでだ。俺は女子に驕るといっている」

「なんだよ、俺もサムネイルの手伝いしただろ?」

「あっ、そうだった」

「おいおい、かなりの時間手伝ったぞ」

「そういえば、あの時のバイト代を渡さないとな」


そういって吉川君は川崎君に封筒を渡した。

その中には微々たるものだがお金が入っている。


「なんか大人って感じ」


私は二人のやりとりに驚いていた。

正直言って、自分の知っている学生のやり取りとは完全にかけ離れていたからだ。


「そう?見直したっしょ?」

「すごいね」

「ふふん。動画編集なら任せてよ。PCもハイスペックだから、処理能力も高いので、いつでも仕事受けるよ」

「あはは」


私は吉川君の言っている意味がよくわからなかったが、とりあえず愛想笑いする。


そんなやり取りをしていると、澪が何かに気が付いたのか私に声を掛ける。


「ねえ、沙織……バケツパフェって……もしかして、あれ?」


澪の視線を追っていくと、そこには想像以上の巨大パフェをガツガツ食べる恰幅の良い男性がいた。


「みたい……だね……」

「ちょっと、あれは……ないかな……」

「うん、私もあれは無理かな」


こうして、バケツパフェは諦めて自分たちの欲しいものを各々に注文する。


「そういえば、沙織、合格発表は明日だね」

「うん、緊張してる」

「だよね、あたしも前日は落ち着かなったし眠れなかったもん」


安堵の溜息をつく澪に私はお祝いの言葉を掛ける。


「合格おめでとう。羨ましいよ、澪が……」


祝っているのは本心からだけど、自分だけが緊張していると思うと、羨ましく思い、ちょっと拗ねた感じで澪を見る。


「ありがとう!って何よ、その顔……大丈夫だって、沙織なら!」

「だって……」


気の合う澪と仲睦まじいガールズトークに男子がいる事なんてすっかりと忘れていた。

そんな男子の存在を思い出させてくれたのが、私たちの会話に入ってくる川崎君


「俺も明日だから、緊張するよ」


川崎君は私と同じ大学を受けているので発表は同じ日。

だが、このイケメンの緊張は口だけでさわやかな笑顔が逆に気持ち悪い。


絶対に会話を合わせるために謙遜していると分かっているので、澪は川崎君に辛辣な言葉を掛ける。


「何で緊張するのよ。全国模試1位の癖に余裕でしょ?」

「何があるか分からないからね」


イケメン高身長の全国模試1位、こんな人が緊張するなんて言うとどうにも胡散臭いと感じる。

それはその場にいる全員が同意見のようだ。


「だよね、でも、やっぱり川崎君がそれ言うとイヤミだね。沙織もそう思うでしょ?」


澪は川崎君に更に突っ込みを入れる。


「あはは」


私は話についていきたくないので愛想笑いで返した。


「にしても、あまりみんなと会えなくなるなぁ」


吉川君は寂しそうにつぶやく。


「まあね……でも、沙織とはこれからも一緒に遊ぶから大丈夫」

「おいおい、ずるいな」


隣に座る澪はいきなり私に抱き着いてくる。

同性でも羨ましいと思える柔らかさに私は嫉妬する。


「いいなぁ」


吉川君が何を羨ましがっているのかなんとなくわかる。

澪ってこのスタイルで更に可愛いもんね。


「まあ、俺も上手くいけば沙織と同じ大学だな」

「ちぇ、俺だけ仲間はずれかよ」


拗ねてしまう吉川君に澪がフォローを入れる


「大丈夫、また遊べるって」

「そっか、そうだよな」


澪のフォローに吉川君は陽気に笑い飛ばすが内心、寂しいというのは笑い方から想像ができてしまう。

別にそれを誰も指摘したりはしない。

こうやって別れや出会いを繰り返す。

誰もがそれを感じていた。



☆彡



しばらくして、全員が席を立つ。


「んじゃ、約束通り」


そう言って伝票をもってレジへ向かう吉川君。


「「ゴチになります」」


澪と川崎君はあっさりと受け入れるも私は本当に奢ってもらっていいのか戸惑う。


「本当にいいの?」

「いいって、俺に驕らせてよ」


男気を見せる吉川君。


私は彼の背中を見送っているとコルクボードに貼られた写真に目が行く。


「…………え?」


その写真には私が良く知る男性が写っていた。

ただ、一緒に写っている女性を私は知らない。

写真の意味を考えたとき一つの結論にたどり着く。

ただ、その結論にたどり着いた途端に私は酷く怯えて体の震えが止まらなくなった。


「沙織、どうしたの?……え?……これって……本田!?」


澪は写真に写っている男性と面識があった。

彼女は私と同じ中学校出身であり、和樹とは3年の時、同じクラスだったのだ。


「…………わかんない」

「……沙織……こっちの女の人、沙織は知ってる?」

「…………知らない」

「そっか、えっと……えーっと」


私は和樹だと思いたくなかった。

だって、それを認めてしまうと、和樹は私以外の人と……。


「どしたん?」


吉川君は会計を終わらせて、いつもの調子で澪や私と合流する。

私は吉川君に気を使ってあげられるほどの余裕などない。

和樹のことで頭がいっぱいになり、普通に吉川君と接することが出来なかった。


「いいから、もう出よう」


澪は吉川君の背中を出入口に向けてエイッと押し出す。


「えー、何々?教えてよ」

「うるさい」


澪は吉川君を邪険に扱い追い払う。


「ちぇ」


のけ者扱いされた吉川君は澪の指示通りに外に出るので私も一緒に外に出る。

澪と川崎君はすぐに出てこなかったので私は先に帰ることにした。


「私、先に帰りますね」

「え?澪や芳樹を待たないの?」


吉川君が何か言っているが私はそのまま駅へ向かって歩き始めた。

この場からすぐにでも逃げ出したかった。



☆彡



沙織の表情から芳樹も心配になり、沙織と陽斗が店から出た後、コッソリと澪に話をする芳樹。


「なあ、澪、どういうこと?」

「んー、さっきの写真の人……沙織の思い人。で、写真に一緒に写ってる女性は沙織の知らない年上美女、これで察して」


澪が指し示す写真は先ほどから問題になっている写真だ。

その写真が貼られているコルクボードの一番上に「来店カップル」と書かれている。


この時、その場にいる誰もがあの写真の本当の意味を知らなかった。

沙織は和樹に自分以外の恋人が出来たかもしれない。信じたくなかったが見てしまった。

だからこそ、沙織の表情は暗く沈んでおり10年以上の片想いに影を落とす。


「え?あの人が?」


芳樹は驚いたように澪に聞く。だが、表情は驚いているというよりも緩んでいて嬉しそうだった。


「もう行くよ。あとこれについては触れないで。あんただから教えてあげたんだから」


澪は芳樹に対して振り返ることなく店の外、沙織の傍へ行くことを優先する。


「あ……ああ、わかった」


澪は芳樹が沙織に告白したこともフラれたことも知っていた。

ただ、澪としては和樹のように何の取り柄もない男より芳樹の方が良い男だと思っている。

だからこそ、芳樹に親友を託す思いもあった。


「にしても、なんであんな取り柄のない男がいいのよ。それに沙織があんな表情するなんて、あの野郎……」


澪は中学時代から和樹のことを良く思っていない。

そして沙織ほどの美女と釣り合っていないとも考えていた。

このことは中学時代に散々沙織に言い聞かせた言葉だった。

ただ、沙織があまりにも和樹に対してだけは譲らないので澪が折れていた節がある。


「ねえ、鈴木さん、めっちゃ落ち込んで先帰ったよ」


外に出ると陽斗は物凄く戸惑っていた。

呼び止めようにも声が掛けられなかったという。


「芳樹、いい?」


澪は沙織のフォローに芳樹を差し向ける。


「ああ、任せろ」


芳樹はダッシュで沙織の後を追う。


「え?ちょっと……どういうこと?」


周りの状況に付いていけない陽斗はうろたえる。


「ほら、あんたはこっち」

「え?」


澪は陽斗を沙織や芳樹が向かった逆方向へ手を引き誘導する。


「世話が焼けるわね」

「お、おう?」


陽斗は澪に手を引かれて、連行される。おかげで帰り道から外れた全く別ルートを通ってから帰る羽目になった。



☆彡



重い足取りで自宅へと向かう。

先ほどのケーキ屋で見た写真が頭から離れない。

写真を頭から振り払おうとするが脳裏に焼き付いて離れない。


私よりも魅力的でとても綺麗な年上の女性が、パフェを差し出す写真。

その女性と一緒に写っていたのは、私が良く知っている男性であり、私の大好きな人だった。


先ほどのケーキ屋で写真に一緒に写っているというのはどういうことか?

それは理解している。

私はは信じられなかった。いや、認めたくないという自分の欲望と葛藤していた。


『もしかしたら、もう彼には恋人がいる』


この事実を知ってしまったがため絶望に打ちひしがれる。


幼い頃から恋心を募らせていた和樹がとても遠くに感じる。

自分が置き去りにされて、相手にしてもらえないと考えるとこみ上げてくるものがある。


「沙織!」


私が駅から自宅に向かって歩いていると後ろから声を掛けられる。

その声は良く知っている声で、駆け足の音と共に近づいてきた。


「どうしたの、川崎君?」


私はゆっくりと振り向き川崎君の顔を確認し、質問する。

まともに彼の顔を見ることが出来ない。

今自分がどういった顔になっているのか想像できるし優しい川崎君なら心配をさせてしまうかもしれないからだ。


「あの……公園でちょっと話しないか?」

「え?あの公園?」


それは私の家から近い公園であり、本来、川崎君にとっては苦い思い出の場所のはず。


「俺のことはどうでもいい。今の沙織の方が心配だ」


川崎君は半ば強引に公園へと連れて行き、ベンチに私を座らせる。

既に辺りは薄暗くなっており公園には子供たちの姿もなかった。


古ぼけた外灯が私と川崎君の座っているベンチを照らす。

決して明るい光ではないが、私には表情を見られることがないので丁度良かった。


しばらく沈黙する。

先に口を開いたのは川崎君だった。


「ごめん……俺、澪から聞いたんだ。あの写真のこと……あと、その意味を」


川崎君は少しばかり早口で話すがどういう意味かということははっきりと話すことは出来ない。

だけど、川崎君が理解して心配してくれていることは伝わってくる。

優しい川崎君だからこそ、言葉が続かない。本当に申し訳なく思えてしまう。


「そっか……ごめんね……情けないよね」


私は川崎君に謝ることしかできなかった。

申し訳ないという気持ち、情けないという気持ち

色々な感情が湧き上がる。


「沙織……?」


いろんな感情によって私は自然と涙を流していることに気が付いた。

泣き止もうとしても、一向に涙が止まらない。


「あ、あれ?お、おかしいな……変だな……」


そんな情けない私を川崎君が急に抱きしめてくる。


「我慢する必要はない……泣きたいときは泣いた方がいい」


私は張りつめていたものが切れたように声を上げて泣き出す。

大粒の涙は川崎君の服を濡らしてしまう。

だが、川崎君はそんなことは気にするな!と言わんばかりに私を強く抱きしめた。


私は男に抱かれていることよりも人肌の温もりを優先してそのまま泣き続けた。



しばらくして……


私はとんでもないことをしたと、猛省する。

我に返った時の恥ずかしさが半端なかった。


「ごめんなさい!」


私は自宅に向かって猛ダッシュした。


「沙織!」


川崎君が呼び止めるのも聞かずに全力疾走で自宅へと戻る。



☆彡



翌日の夕方


私はベッドの上で一日中悶々としていた。

何をする気も起きない沙織はベッドの上でしかも寝間着姿のまま一日を過ごした。


お母さんが帰宅して私の部屋に入るなり嬉しそうに声を掛ける。


「おめでとう、沙織!」

「………え?」


歓喜のあまり涙目になりながら私を抱きしめるお母さん。


「よく頑張ったわ!」

「ちょっと、お母さんどうしたの?」


何があったのか理解が追い付かない。

ぐすんと鼻をすする音が聞こえて、私はお母さんが泣いていることに気が付く。

すぐにお母さんを自分から引き離すと笑顔で泣いているのだ。


「大丈夫?」

「大丈夫ってあなた……嬉しくないの?」

「何が?」


私はお母さんが何に対して感極まっているのか理解できない。

また、お母さんも私があまりにもドライなので理解できていなさそう。

お互いの理解が一切一致していない状況に、目を丸くして見つめ合う。


「えっと、お母さんは大学合格の話をしているのだけど……連絡もなかったし、何かあったの?」


お母さんの大学というフレーズで思い出す私。


「………………あ!?」


私は昨日の出来事があまりにもショックだったために受験合格の確認をしていなかった。

本来なら昼前に大学のサイトに合格者の受験番号が出るのだが確認していない。


お母さんは受験番号を知っているので職場で確認済みだったのだ。


「もうしっかりしてよ。それじゃあ和樹君にもまだ言ってないのね?」


私は和樹の名前を聞くと心臓が締めあげられるような痛みを感じた。


「どうしたの?胸を押さえて?」

「ううん、何でもない」

「そう?まあ、和樹君にはちゃんと沙織から言いなさい。あれだけ手伝ってくれたのよ」


私は和樹がどれだけ頑張ってくれたか良くわかっている。

しかし、現状、冷静に和樹と話をする自信がない。


「ねえ、お母さんから和樹に言ってくれない?」

「え?何を言っているの。ダメに決まっているでしょ。どうしたのよ……和樹君のことが嫌いにでもなかったの?」


私が和樹のことを嫌いになっていたらどれだけ楽だっただろう。

その真逆であるからこそ和樹との会話を尻込みしてしまう。


「ううん……分かった、後で連絡しておく」

「和樹君も喜んでくれるよ」

「…………うん」


私はその後、澪に合格を連絡し、いよいよ和樹に連絡しようと携帯を手に取るが通話ボタンを押すはずの指が震えてボタンが押せない。


携帯を持ったまま固まっていると携帯が鳴る。

私は一瞬、和樹から電話かも?と思ったが、画面を見ると川崎君だった。


告白を断った後、彼から連絡が来ることはなかったが、珍しい。

多分だけど、昨日のことだろう。


私は先日の泣きべそ事件のことを謝りたくて通話ボタンを押し、対応する。


『沙織、いまいいか?』


とてもフレンドリーに話しかけてくる川崎君。


「うん」


私は素っ気ない声で返事した。

先ほどまで和樹に電話をしないといけないと緊張していたのだが、その緊張の糸が解けて体から力が抜けるのを感じた。


『大学の合格おめでとう』

「え?あ、ありがとう?」

『いや、なんで疑問形?』

「なんで川崎君は何で私が受かったの知っているの?」

「えっと、すまん、豊田から聞いた」


どうやら友人の澪が川崎君に話したようだ。


「そっか、川崎君は?」

「おう、もちろん受かった」

「おめでとう」


私は川崎君を祝い「おめでとう」というが、その言葉に喜びや興奮という感情は一切なく、別のことで頭がいっぱいであることを知る。


「ありがとう!でも、ここまで喜ばれないってのもちょっと辛いな」


私は川崎君のことが嫌いで感情の入っていない祝辞を述べたわけではない。

現在、和樹にこのことをどうやって伝えようかと、また例の女性の詳細のことなど、本当に付き合っているのか?

その他諸々が脳裏に浮かびあがり、電話の相手の言葉が入ってこない。


私は和樹のことで頭がいっぱいのため電話をしているのに上の空だった。


そのため、しばらく川崎君の話は相槌を打つことすら忘れてしまう。


私が気が付いた時にはすでに川崎君は気まずそうになっていた。


「ごめん、なんか忙しいみたいだから切るね」

「……あ、こっちこそ、ごめん」


電話を終了したあと、このままではいけないと、私は和樹の電話番号を表示させる。

通話ボタンを押せばつながるというのに、その通話ボタンが押せない。


「うーーーーーん」


指の拒絶反応が収まらない。

せめて合格したことだけでも伝えないといけない。


「うーーーーーん」


頑張ってみるものの、震える指先が画面の通話の文字に触れることはなかった。


「……また、明日、連絡しよう」


その日は諦めて寝ることにした。

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