第4話 記憶の灯火

 葵が通り魔に刺されて、1か月。


 あの日、葵は現場に到着した救急車に乗せられた。

 学校にも事件について知らせが入り、先生と葵の家族はすぐに搬送先の病院に駆けつけた。

 手術は無事終わり、後遺症もなく退院できる見込み。葵本人も翌日には意識が戻って、今ではすっかり元気になっている…らしい。


 らしい、というのは、私があの後、一度も葵に会うことができていないから。

 合わせる顔が、無いから。


 葵が刺された後、自分が何をしていたかあまり覚えていない。気が付いたら、家でお母さんに抱きしめられていた。


 お母さんは涙を流しながら、

「良かった…! 紬希が無事で本当に良かった…!」

 と言ってくれたが、私にとっては最悪の結果だった。


 そして翌日。私は珍しく、あの悪夢を見ることなく目が覚めた。けれど、すべて思い出した。

 あの夢は所謂、「前世の記憶」というものだった。




 ――ノルわたしとシアは、「ロワクス」という街に住んでいた。その街は、「恋愛に性別は関係ない」という主張を持った領主が治めていて、当時迫害されていた同性愛に寛容な街だった。


 他の地域や国で迫害された人々は、安寧を求めてロワクスへ移り住んでいった。ノルわたしとシアも、そんな移住者の一員だった。


 ロワクスでの暮らしは平和そのもので、皆が笑って過ごしていた。困ったときには助け合い、嬉しいことがあれば街全体でお祝いする。そんな場所だった。


 その平和が終わってしまったのは、紬希わたしがずっと夢で見ていた、あの日。

 突然街に兵士がなだれ込んできて、街の人たちを次々と殺していった。爆弾が落とされ、銃声が響き、街はあっという間に血と硝煙の匂いに包まれた。


 今から思うと、あれは隣国からの侵略だった。ノルわたしたちの国と関係が悪化しているのを、新聞で読んだことがあったから。


 そしてついに戦争が勃発し、最初に侵略されたのがロワクス。ロワクスは国内でも異端な地域だったから、救援が来るまでに時間がかかると思われたんだろう。


 …実際、ノルわたしは救援も、味方の軍も、最期まで見かけなかった。


 ノルわたしの最期の記憶は、頭から血を流して倒れているシアと、真っ赤に染まった自身の胸元。多分撃ち殺されたんだろう。




 そう、全て思い出した。

 ノルは私…紬希で、シアは――葵だった。人生をかけて愛していた人だから、間違えるわけがない。


『私』は、また守れなかった。また、傷つけてしまった。


 そう思うと、どうしても葵に会うことができなかった。むしろ、このまま離れてしまったほうが、葵にとって良いことじゃないかと思えてきた。きっと、そうに違いない。


 どうか葵が、今度こそ幸せになりますように。今日もそう願いながら布団に入る。夢は見なかった。




 キーンコーンカーンコーン、とお昼休みのチャイムが鳴る。

 お弁当をつかんで教室から早々に飛び出す……つもりだったが、扉の前で立ち止まってしまう。先回りをした葵が、腕を組んで仁王立ちをしていたのだ。


「つーむーぎー? 今日こそはお話してもらうからね! 私が学校に来てから2週間、よくも無視してくれたにゃーー?」

「………」

 葵が唇を尖らせて詰め寄ってくるけど、ここで返事をしてしまったら意味がない。もう一個のドアから出ようと、回れ右をした。


「いやああああつむぎいいい!! スルーしないでええ! ほら、こっち来てーー!!」

「っ、分かった、分かったから離れなさい! 暴れない!!」

「暴れないけど離さない!!」


 もし傷口が開いてしまったら、と思うと引っ付いてきた葵を無理やり引きはがすことができず、そのままずるずると空き教室まで引っ張られてしまった。



 ピシャリと後ろ手に扉を閉めた葵が、すねた顔で聞いてくる。

「で? なんで私のこと避けるの紬希? 病院にも来てくれなくて寂しかったんだよー?」

「……別に、なんでもいいでしょ」

「…私のこと、きらいになった?」

「――っ、そ、そうよ。葵なんてきらい、だから、もう…」

「ウソだね」


 間髪入れずに見抜かれ、喉に息が詰まる。それはそうだ、私はもう、どうしようもなく葵が好きになってしまっている。葵と話さなかっこの1か月半、彼女に対する気持ちは膨らみ続けていた。


 この気持ちはもしかしたら、昔『ノル』が『シア』に向けていたものと混ざっているのかもしれない。


 それでも私は、『葵』が好きだ。葵のまぶしいくらいの笑顔や、私がへこんだ時に一生懸命励まそうとしてくれる優しさ、たまに見せる真面目な顔――なにより、彼女が私を呼んでくれる時のあの声、それら全てが、愛おしくて、苦しい。


 ――だから、葵に幸せになってもらうために、

「ねえ、紬希。教えて?」


 ――私は、このまま葵から離れて、

「何か隠してるんでしょ、わかるよ、紬希のことだもん」


 ――それで、葵が幸せに、きっと、

「紬希がツラそうだと、私も悲しいよ?」


 ――きっと…


 ふいに身体を引かれ、私の身体が葵の腕の中に収まった。少し強いくらいの力で抱きしめられながら、葵の手は背中をそっと撫でてくる。

「大丈夫だよ、紬希」


 その優しい声と、葵の身体から伝わる心臓の音を聞いたら、もう我慢できなかった。


「――っ、ぅ、ぅああああん! ひ、っう、ううううう、だって、だってぇ…」

「うん、うん」

「わ、わた、しが、っ、っく、ぅえええええん、ごめ、っ、ごめんな、さいぃ…」

「大丈夫だよー、紬希、よしよしー」


 ぽろぽろと涙が出てきて、ちゃんと伝えたいのに声が震えてうまくしゃべれない。


 結局私が泣き止むまで、葵はちょっと痛いくらいの力で抱きしめ続けてくれた。

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