第3話 トラウマってそう簡単に消えるもんじゃない

 

「随分帰りが早いな。……またいじめられたか、女。」


 その男は、あたしの部屋にあった本を読み漁っていた。

 小説や漫画は勿論、子供の頃に買ってもらった動物や天体の図鑑、親が置いていった果ては捨てるのを渋った数年前のファッション雑誌も読んでいた。


「気にしないで、慣れたから。」

「強がるのはよせ。……なるほど。怯える対象は私であって、お前ではない……か。」

「!」


 まさにその通りである。

 それどころか、少しでも反撃の意志を見せたあたしに対するいじめは酷くなっていた。

 正確には、大っぴらないじめはないが、陰湿ないじめは増えた。


 しかし、この男の報復を恐れただろうか。


 それならば初めからしなければいいと思うのだが、学ばないというか、いじめをせずにはいられないというか。


「ではこうしよう。お前、学校に行きたいか?」


「……もうわかんなくなってきた。」

「ほう、遅すぎる心変わりだな。」

「……聞かないの、なんでいじめられてるか。」

「聞いて欲しいのか?悪いが一切興味無い。」

「そ。」


「……あんたが今日も守ってれば、こんなことにはなんなかったかもね!」


 無視して本を読み続ける彼にイラッとして、思わず感情のままに嫌味ったらしく言ってしまった。


 気を悪くしたかもしれないが、思ったことそのままの本音だ。


「ほう、ほうほう!今、助けを請うたな。」


 しかし、それを聞いて今にもケラケラと笑いだしそうな顔を見せた男が、あたしに向けて手を差し出した。


「いいだろう。お前を救ってやる。救ってやるから対価をよこせ。」


「え……?」


 な、何考えてるの……?

 正直不安しかない。

 確かに、彼がいることでいじめ自体は減るだろうけど……


「悩んでいる暇はなさそうだが。」

「暇はあるでしょ!今すぐ学校行くわけじゃないし!」


 っていうか、普通に食費2人分なんですけど。

 ご飯作ってるのに、何回も作ってるのに、さらに要求されたんですけど!


「仕方ないだろう。お前を危機から守るのとは別の仕事だ。お前の身辺警護には、別で対価を要求させてもらう。」

「あたしの顔に書いてあった……?」

「お前は実に分かりやすい。」


 指をさしてニヤリと笑うコイツにイラッとする。

 しかし、実際悩ましいのも事実。

 守られた側のあたしにとっても、彼の登場から、クラスの実力者を蹴散らすまでは鮮烈の一言。

 インパクト以外の何物でもない衝撃が、目撃者に向けて与えられたのだ。


 だからこそ、彼を傍に連れているだけで、とんでもない抑止力になることは間違いないだろう。

 彼に迷惑とかどうこうは思ってない、だって……もう、あたしが迷惑かけられてるんだもん。


「ふむ、悩んでいるな。……ではこうしよう。私が先に条件を言う。お前の身辺警護をする条件をな。私の求める対価の内容を聞いてから悩めばよい。」


 え、


 逆に考えれば、それほどまで彼にとっては大事なことってこと……?


 なんかちょっと怖いんだけど…


「じゃ、じゃあ……条件は?」


 とりあえず聞いてみることにした。

 聞いて見なきゃ後悔もできない。


「図書館に行きたかったからな。連れて行ってくれ。」


「え、そ、そんなんでいいの?」


 戸惑いながらも素っ頓狂な声が出てしまった。

 意外すぎる答えだったからだ。


「契約成立だ。」


 そう言われて、ゾッとした。

 何故か嫌な予感しかしなかったからだ。


 男はニィと悪い笑みを浮かべて、席を立った。


「?あ、あんた熱ない?大丈夫?」

「心外だ貴様。」




 ========€




 翌日--



「なんだここは、お前の学校ではないか。私は図書館に行きたいと言ったはずだ。まさか学校の図書室へ行こうと言うのか?」


 彼がそういうのも無理はない。

 あたしが連れてきた場所は、普段通う学校だったから。


「許してよ、図書館まで行かれたらあたし守れないでしょ?ここの図書室は図書館並にすごいことは保証するから。」


 でも、普通の大学とは違う。

 名前を「日本ニホン喜望峰きぼうほう専門大学校せんもんだいがっこう」といい、通称「日喜にっき」と呼ばれる。

 日本ニホンで一番大きく、特殊な学校なのだ。


「それに、私を護衛するなら、わざわざ図書館行って、学校も行ってじゃ二度手間でしょ?」

「なるほど、お前の言う通りだ。しかし、図書館ではないのなら蔵書も知れている。読み尽くしたら図書館に行かせてもらう。」

「どんだけ読む気よ……」


 普段の通学路から外れて、今日は別方向の道を行く。

 1回も行ったことのない図書室へ行く。


 たったそれだけのことでも、ちょこっとだけワクワクした。


「これは驚いた、本当に広いな。」

「……初めてこの学校に感謝したわ。」


 図書室に入ると、初めて彼は少し驚いた姿を見せたような気がした。


 そんな顔を見て、素直にほっとした。

 言葉の通り、初めてこの学校に感謝した。

 このまま機嫌を損ねられたら、どんな行動に出るのやら……

 彼女たちのように、機嫌を損ねただけで殺されそうになるのなら、それは避けたかった。


 短い付き合いの中だけれど、彼はそんなことをしないって……信じたい。


 図書館のように大きい図書室に入ると、司書教諭の方が、奥からいそいそと出迎えた。


「失礼、部外者の方ですか?」


「いかにも。」

「いかにもじゃないわよ!普通に返事してよ!恥ずかしいから。っていうか部外者なのになんでそんなに偉そうなの!」


 図書室の司書が、受付にあったボードを彼に渡した。

 ボードには「来訪者記録シート」と書かれた、プリントが挟まっている。


「それでは、こちらのボードに名前をご記入ください。」


「名前.......ふむ、名前か.......」


 図書室の司書から渡されたボードを受け取ると、顎に当てた手をペンの方へと伸ばし、「巌影いわかげ 夕紗ゆさ」とボードの「来訪者記録シート」へ記入した。


「電話はないから電話番号は書かんぞ。」


「……あんた、名前あったの?」


 驚いた。

 彼に名前があったなんて……


 ……そういえば、一回も名前聞いた事なかったわ。


「心外だな。お前は一度も名を聞いてきたことがなかろう。お前は一度"失礼"という言葉を辞書で調べた方がいい。」


 思ってることと同じことを言われた。

 一言多いし、その一言が強すぎる。

 馬鹿にするなっての。

 どんだけ辞書読み込んだと思ってるのよ。


「知ってるわよ。失礼、他人に接する際の礼儀に反するふるまいをすること、あるいは軽い謝る時や別れる時に--」

「……お前、頭が硬いと言われないか?」


 呆れた顔をして彼……もとい巌影夕紗は言った。

 彼の青い目が細くなっている。


「言われないわよ、友達いないもの。」

「じゃあ私が言おう、お前は頭の硬い阿呆だ。」

「失礼ね!」


「ウホン。」


 司書先生の咳払いであたしは我に返った。


「君はここの生徒だからね。本を借りる時に、借りた本と名前を記入してくれるだけでいい。」


 まるであたしを知っているかのような言葉に驚いた。

 あたし、一度もこの図書館に来たことないんだけど……制服のせい?

 会ったことないよね……?


「ま、いいか。」

「お前はさっさとクラスに行ってこい。邪魔である。」

「あ、ああっそう、だね……」


 背を向けて手をヒラヒラさせ、吸い込まれるように奥へ行こうとする巌影夕紗。

 ドアの開く音がしないため、チラと彼女を見ると、どう見ても不自然な様子だったのが目に止まった。


 小刻みに震えており、ドッと冷や汗が止まらなくなっており、ドアの取っ手に置いた手は押しも引きもせずに、まるでただ添えているだけかのように微動だにしなかった。


(手が……動かない。初めて、手が動かない。いっつも、そんなこと無かったのに。どれだけ大変でも、頑張ってきたのに!)


 手が、動かない。

 手が、震えて動かない。


 教室に行くのが、怖い。怖い。怖い。


 また自分は凍るのか。

 また自分は燃えるのか。

 また自分は落ちるのか。


 四面楚歌の教室に行かなければならないのかと思うと、勇気だけでは足りなかった。


 いや、逆かもしれない。

 勇気だけで乗り切るには難しい何かが出来てしまったのか--


 ……


 思わず、原因はこの男のせいでありまくりではあるが、理由は思い当たらない。


 理由は--

 きっと行った時に本当に死んでしまったら、という本当の意味での死を実感したからなのか。

 今までも、死を覚悟して学校を行っていたというのに。

 昨日だってそうだ。

 だのにどうして、今になって!


 どうして、今になってこの気持ちが切れるのだ!


「行かぬのか。」


 昨日みたいに開き直れたのは、奇跡だったのかもしれないと思ってしまうほどに。

 今まで毎日行けていたのは、奇跡だったのかもしれないと思ってしまうほどに。


 彼女の身体は学校に行くことを無意識に拒絶していた。


「行けない、か。」

「あ、あはは……なんで、だろなあ。」


 強がるように反射的に空笑いが出ていた。

 昨日はあれだけ簡単に学校に行けたのに、今まで余裕で学校に行けたのに。

 お父さんとお母さんのために学校に行けたのに!


 どうして、今になって急に扉を開けられない!?


「はァ……はァ……」


 悔しくて涙が出る。

 頑張ろうと思う度に、震えが止まらなくなる。


「あんなに、あんなに……頑張ったのに……」


 意地という名のたった一本の細い糸が、とうとう切れてしまった。


 今までいじめに耐えてきたのが嘘かのように、プッツリと糸が切れてしまったのだ。


 なぜ急にこんなことになってしまったのか、それは分からない。

 怖いのは、こういう意地ではどうにも出来ないことは、突然にやってくるということである。


 いよいよ見かねた巌影夕紗が、やれやれと言った様子でため息を吐いて、後ろから聞こえるように声をかけた。


「行くかどうか……決めるのはお前だ。好きにしろ。……学業に責任は持たんがな。1日休んでダメになるような成績なるなら、行く必要があるかもな。」

「成績良いなら行かなくてもいいって聞こえるけど……?」

「フン。」

「……じゃあ行かない、せっかくあんたがそう言うなら。」

「……言った覚えは無いのだが。」


 自分でも驚いた。

 誰かの後押しで、こんなにも簡単に辛い道を諦めることが出来るのか。

 目の前の景色の淀みが、一瞬で無くなった気がした。

 どういう形であれ、その背中を押してくれた彼を見て、笑って見せた。

 その笑顔は、ここ最近一番自然な笑顔だったと思う。


「じゃあ、何読もっかなーっと……」


 自分の口から出た言葉にすら気づかず、目を輝かせて嫌いだった本を物色し、嫌いだった読書をしようとしている。


 行かなくていい、とそうなっただけで一気に気が楽になった。


 生まれて初めて、学校をサボった。


 久しぶりに、心から笑った気がした。


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