第8話

「捗ってるか?」気だるげな声と共に隼馬が顔を覗かせた。「ちょっと様子見に来た」

「まだまだですー。今のところ本棚見ただけで、ほかは全然」

「分かった。一階はあと箪笥調べるだけだから、それ終わったらこっち手伝う」

 ああ、あとこれ。隼馬が部屋に置いたそれに、彩芽の目が一気に輝く。

「せっ……扇風機ー!」

「おっさんが『妻の部屋にはエアコンがありませんので』とよ。あとで礼言っとけ」

「お客さんの事をおっさん呼ばわりはいかがなものか!」

 早速コンセントを繋ぎ、弱風ボタンを押してみる。生温い風が二人の頬を撫でていき、彩芽はしばらく無言で風に当たっていた。

「そんじゃ、俺は下に戻るから」

「あっ、隼馬さん」部屋を出て行こうとした彼を呼び止め、彩芽はぐるりと部屋を見回した。「あたしが初めてお店に行ったとき、日記に染みついてる魂とか見れたじゃないですか。あれってなんでだったんです?」

 彩芽自身にそういった存在を『視る』力はもちろんない。だが、あの時ははっきりと姿を目にすることが出来た。ひょっとして自分にもそういった力が備わったのではと思ったのだが、そうではなかったのだと気が付くのに時間はかからなかった。

 隼馬は腕を組み、「さあな」と首を傾げる。

「俺も詳しいことは分かんねーよ。ただ、飛鳥は『視える』奴の変種だって言ってたろ。ある特定の条件、飛鳥の場合は日記に残った魂だな。それしか『視る』ことが出来ない代わり――あいつが『視る』時、ぶわって光るだろ。あの範囲内にいる奴には無条件で自分が見ているものと同じものを見せることが出来るとか、店を一時的に黄泉の世界に近づけることが出来るなんとか言ってた気がする。八年近く前に聞いた話だからあんま覚えてねーわ」

 八年前、と内心反芻する。

 二人はそんな前からの知り合いだったのか。「保護者」だというから浅からぬ付き合いだろうとは思っていたが。

 というか、二人は一体何歳なのか。考えていたことがそのまま口に出ていたらしく、隼馬は「俺もあいつも今年で二十七だ」とぶっきら棒に答えてくれた。

「アラサーだったんですか!」

「うるせえな」

 実年齢より若く見える、と褒めるつもりだったのに、早とちりされてしまったらしい。軽く額を弾かれ、地味な痛さに彩芽は涙を浮かべたまま隼馬を見上げた。

「学校は一緒だったりしたんですか」

「高校だけな。つっても、在学してた時はお互いの事、顔と名前を知ってるくらいであんまり喋ったこともなかったけど」

 それがどうして二人で店を切り盛りするまでの仲になったのか。ますます二人の関係が分からなくなってきた。

「卒業してから仲良くなったって事ですか」

「そんなところだな」

 その時、ふと隼馬の表情が翳った。

「あいつは、しっかり見張ってねーと危ないから」

「え?」

「何でもない。んじゃ、今度こそ下に戻るわ」

 どういう意味ですか、と聞く間もなく、隼馬は一階へ戻ってしまった。

 あの表情といい言葉といい、何か事情があるのは確かだろう。

 けれど、ただのアルバイトである自分が聞いてもいいことなのだろうか。現に彼は答えてくれなかったし、改めて聞いたとしても教えてくれるか定かではない。

「……気にしないでおこう!」

 気を取り直そうと頬を軽く叩き、彩芽は今一度部屋を見回した。何となく目に留まったし、次に押し入れを探してみる事にする。

 色褪せた襖をあけると、本棚に入りきらなくなったらしい書籍や、大量の服がケースに入れて保管されていた。

「ここに隠してあったりするかなあ」

 そうだとすれば、かなり重労働になりそうだけど。頬をかきながら独り言ち、いくつかのケースを畳の上まで引っ張り出した。そのふたを一つ一つ開けていき、本棚と同じように中身を改めていく。その繰り返しだ。

 汗を拭い、ここには無かったと首を振り、また次のケースに手を伸ばす。椎名が時折差し入れてくれる麦茶が四杯目を数えた頃、再び隼馬が部屋に現れた。

「下には無さそうだ。掛布団のカバーの間とか色々探してみたけどよ、紙の気配すらなかった」

 時刻は夕方の十六時。長居して迷惑をかけてはいけないし、根を詰めすぎて周りが見えなくなってはいけないから、店の閉店時間である夜六時までには帰って来いと言われている。

 それまでにはなんとか見つけたいものだが、焦りは禁物だ。落ち着いて調べていくしかない。

「で、今はどこ探してんだ」

「押し入れの中のケースです。あと二つくらいあるかな」

「んじゃ俺はそっちやる。机の抽斗ひきだしとかは?」

「そういえば、まだです」

 それじゃあお前はそっちな、と言うや否や、隼馬は押し入れからケースを引っ張り出した。言われた通り、彩芽は机の中をくまなく探してみる事にする。

 冷静に考えれば、日記を書くのは大抵机の上だ。泡草の助言に従って本棚や押し入れを重点的に探していたが、肝心なことを忘れていた。

 抽斗は机の左側に一つ、右側に四つの計五つだ。右の一番下以外は底が浅そうで、調べるのにあまり手間はかからないだろう。そう思いながら、左のそこを開けたのだが。

「うーわ」

 故人に失礼だと思う間もなく、彩芽は思い切り眉を顰めていた。

 一言でいえば大荒れだった。

 抽斗の中にはありとあらゆる紙が詰め込まれ、かさ張っている。それに加え、妻が使っていたであろうボールペンやシャープペン、鉛筆が何本も放り込まれ、さらには可愛らしいシールまで入っていた。

 彩芽の声を聞き、隼馬が背後から覗き込んでくる。同じような反応を示した後、「こりゃ大変だな」と自分の作業に戻っていってしまった。

 仕方がない。ここで手を止めていては時間のロスだ。もしかすれば、この紙の中に日記が紛れているかもしれない。

「椎名さん、ここを調べたんなら少しは片付けるとか……あまりにも荒れてて探す気が失せたとかかな」

 ぶつぶつと文句を言いながら、彩芽は紙やペン類を引っ掴み、片っ端から机の上に並べていく。

「あーっと」ひゅお、と風が入り込み、置いてあった紙がいくつか畳の上に落ちた。彩芽は慌ててそれを拾い、そのうちの一つを見て首を傾げた。「なんだろ、これ」

 よく見ると紙は真っ白ではなく、ほのかに色がついている。何となく気になり、破らないように気を付けながらそっと紙を開いた。

「……手紙?」

 横に何本も引かれた線と、その上に正しく並ぶ文字。季節を感じる桜色のそれは、間違いなく誰かに当てた手紙だった。

 ――今日も良いお天気です。そちらはいかがでしょうか? 体調を崩されたりしていませんか?

 故人の人柄が伝わってくるような、優しい筆跡で綴られる温かな言葉ばかりだ。しかし、どこを探しても宛先と思われる人物の名はどこにもない。それに文章も途中で止まっている。悪いとは思いつつ他も見てみるが同様だ。

 どういう事情かは分からないが、書いている途中で投げ出したのは確かだ。そして、捨てきれずに抽斗に詰め込んだ――そう考えるのはあまりに安易だろうか。

「おい、手ぇ止まってんぞ」

「うわっ、はい」

 ひとまず余計な考えは後回しだ。今自分が探すべきなのは日記であって、途中までしか書かれていない手紙の真実ではない。

 彩芽は次の抽斗、右の一番上を開けた。こちらはアクセサリー入れとして使っていたようで、指輪やネックレスが主だった。

 その下には鏡や化粧品が入っており、そのさらに下は時計や眼鏡。日記らしきものは見当たらない。落胆しつつ、彩芽は最後の抽斗を開けた。

「こっちは終わったぞ」

 ケースの中身を全て確認しきったのか、後ろに立っていた隼馬が腕時計に目を落とす。

「あと四十分くらいだな」

「見つかりますかね」

「見つけるんだよ」

 何の確証もないだろうに、彼は自信満々な笑みを浮かべた。それにつられ、彩芽もいつの間にか笑みを零していた。

 最後の抽斗は、底が深いためか様々なものが詰め込まれていた。

「なんだろうこれ、ストラップ? こっちは……マグネットかな」

「筆箱とかも入ってんな。ポケットティッシュとか日焼け止めもあるし。こっちのハンカチ、タグが付いたままになってんぞ」

「奥さん、ひょっとして片付けとか苦手な人だったのかな」

 その割に化粧品や時計が入っていた抽斗や、押し入れのケースはきっちりと整頓されていたのだが。左の抽斗といい、ここといい、まるで別人のような有り様だ。

 これはなんだと呟きながら中身をすべて出し切ったものの、やはり日記は見つからない。彩芽は天井を仰ぎ、隼馬も唇を尖らせながら唸る。労力の割に、得られたものはほぼないと言っていい。

「家にはないんですかね」

「屋根裏って可能性もあるだろうが、わざわざそんな取り出しづらいところに隠すと思うか?」

「いくら見られたくなくても、そこまでしないと思いますけど」

「俺もそう思う。むしろ見てほしくねーんだったら燃やすなりなんなりするだろうし」

 振り出しか、と二人で肩を落とす。

「明日また来て、別の部屋探してみるか。出したもん片付けるぞ。お前は抽斗な」

「えー一緒に出したのに! あたし一人に任せるとか!」

「あほか。俺はケースしまうんだよ」

 正論を返され、言葉に詰まってしまう。彩芽の反応に興味は無かったのか、隼馬は手際よく押し入れにケースを戻していった。

 ため息をつき、抽斗から取り出したあれこれを収納していく。もとが乱雑だったために、どこに何が入っていたのか全く記憶していない。かといって適当に放り込むのも申し訳ないし、結局丁寧にしまう事にした。

「せめて分類ごとにしまった方がいいかな……筆記用具とか。日焼け止めとかは日用品として、マグネットはどうすればいいんだろ」

 交通安全、無事故無違反! と書かれた白いマグネットを手に、抽斗と睨めっこを繰り返す。一体どこでこんなものを貰ってくるのか。

「そういえば高校の時に、似たようなもの貰ったかも。下敷きだったかな」

 数年前の事をぼんやりと思い出しつつ、悩んだ末に「その他」のエリアに置く。

「あれ?」ふと違和感が頭を掠めた。「なんだろ……浅い?」

「どうした」

 ケースをしまい終え、隼馬が声をかけてくる。彩芽は抽斗の底に手を当て、首を傾げながら腕を引いた。

「気のせいかな。見た目より底が少し浅い気がして」

 中に手を入れた時、抽斗の縁は肘の少し下あたりに来ていた。それを覚えたまま、今度は外側から同じように腕を当ててみると、

「やっぱり」

 縁は、ちょうど肘のあたりに来ていた。

 彩芽と隼馬は互いの顔を見合わせ、次いで抽斗を覗き込む。予想が確かならば、この下に――

 どちらからともなく、一度しまったものを再び取り出していく。空っぽになったそこにこれといって異常は見受けられない。隼馬は右手を伸ばし、人差し指の第二関節で底を何度も叩いた。

「微妙に音が違うな。何か入ってんのは確かだと思う」

「でも、どうやって取り出せばいいんでしょうね」

「そんなに難しくはな、」隼馬は片手をついたまま、彩芽に顔を向ける。その直後、ガコッと何かが外れる音がした。「なさそうだって言いたかったんだけどな」

 彩芽が抽斗を覗き込むと、手をついていた反対の板が浮き上がっていた。どうやら力を加えたせいで外れてしまったらしい。隼馬は板を持ち、慎重に取り外す。

「これ、かな」

 板が外され、予想通り本来の底が現れた。

 そこに置かれていたのは、表紙に鳥のシルエットが描かれた一冊のリングノートだった。



「当たりだね」

 お疲れさま、と二人を労い、泡草はリングノートの表紙を撫でた。

 妻の部屋で日記と思しきノートを見つけた後、隼馬が泡草に連絡を取り、彩芽は椎名に報告をしに行った。妻の遺品を手にした彼は「こんなものは見たことが無い」と驚いていた。

 その日記を泡草に見せるため一旦持ち帰っていいかを尋ねると、椎名は「そうしてください」と快諾してくれた。普通ならば自分の知らないことが何をするつもりか、と心配するところだろう。なんの疑いも抱かずに即答したところに、椎名の人柄の良さが現れているように感じた。

 閉店時間が近づいていたこともあり、椎名には明日店に来てほしいと伝え、二人は店に戻った。店の扉に「本日の営業は終了しました」と札をかけに行っていた隼馬は店全体の照明を落とし、

「一応『視る』ことは出来るんだな?」

 泡草の隣にどっかりと座りながら問いかけた。彩芽は緑茶を用意し、二人の間から顔を出す様にして様子を窺う。

「問題はなさそうだよ。ただ、魂の気配は予想通り幽かになりつつある。四十九日を過ぎていたら、仮にぼくが探しに行っていたとしても見つけられなかったかもね」

 ノート自体が古いものなのか、ページは所々が曲がって変色してしまっている。それにページ数がやけに少なく感じる。

 よく見ると表紙と同じ鳥のシルエットが各ページにうっすらと施されていた。

 椎名の妻が告げていたのは、「薄い鳥の模様がある」という事だったのだろう。

「今からやるのか」

 隼馬の問いに、泡草は表紙に手をかざすことで応えた。

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