第6話
「世の中には幽霊などを視る事が出来る人がいますよね。簡単にご説明しますと、ぼくはその『変種』なんですよ」
カーテンを全て開け放ち、ガラス窓から差し込む夏の日差しに目を細めながら店主は語った。彩芽はすでに座り直し、彼の動きを目で追っていた。湯呑の茶はすでに冷めきっていたため、隼馬によって温かいものに入れ替えられている。隼馬は茶菓子でも用意しに行ったのか、店の入り口の真向いにある、本棚と本棚の合間にひっそりと垂れていたのれんの向こうに姿を消した。
「ぼくが『視る』ことが出来るのは、日記に残されている『感情』に縛り付けられ、現世に留まってしまっている幽霊のみです。それ以外を『視る』ことは出来ません」
店の鍵を開けた店主は、彩芽の前に腰を下ろした。
「そういえば言ってましたよね。限られた条件下でしか視れないって」
「ええ。第一は先ほど述べた条件ですが、他には『あたりが暗い』というのは外せませんね」
「なんで?」
「実際に見て分かったろ」のれんの奥から呆れたような声が飛んでくる。「ああいった奴は光ってんだよ。もともとそういう存在を視ることが出来ない俺らにとっちゃ暗い方が見やすいだろうが」
「そんな単純な……もっとこう、複雑な条件とか」
「あるにはあるけど、説明するの面倒だからな」
店主が説明しようとしていたのを遮り、隼馬が先に答えながら盆に何かを乗せてきた。一見すると青々とした小振りの竹筒だが、よく見るとプラスチック製だ。何かと思い置かれたそれを覗き込むと、涼しげな水羊羹が入っていた。
隼馬が店主の湯呑に茶を注いでいた際、こそりと店主が彼の耳に口を寄せた。
「隼馬、お客様に対してその口の利き方は失礼だよ」
「へいへいすみませんね」
全く反省していなさそうな口ぶりに多少ムッとする。初めの自己紹介の時に店主の保護者を名乗っていたが、隼馬のほうがよほど子供っぽい。これではどちらか保護者か分からないな、と彩芽は二人を交互に見やった。
「他に必要な条件としては『日記が明確な異変を数回起こしている事』。これは回数が増えれば増えるほど宿っている霊魂の力も強まるので、ぼくがその姿を感じ取りやすくなるためです。大体こんな所ですかね」
言い終え、店主は彩芽の前に日記を差し出した。
先ほどまで久保が宿っていたという、夜空柄の日記だ。
「さて、お客様。こちらの日記、お返しさせていただきます」
「ありがとうございます」
これで何の異常もなく、普通に使える事だろう。彩芽は嬉々として日記を受けとり、思わず胸に抱きしめた。
ショルダーバッグにそれをしまい込んでいた時、水羊羹が目に入った。そういえば家を慌てて出てきたせいでまともに朝食を口にしていない。つやつやと輝くそれに、自然と喉が鳴った。
竹筒のそばに置かれていたスプーンを手に取り、水羊羹を掬い上げる。するりとした感触につい頬が緩んだ。落とさないよう慎重に口に運ぼうとしていたところで、
「んで、お代なんだけど」
ごく自然に告げられた一言に、危うく水羊羹を膝に落としそうになった。
――忘れてた。
店に来て相談を解決してもらえたとなれば、当然料金は発生する。どうしてそんな単純なことを忘れていたのだろう。
「相談三十分に加えて、日記浄化。そんで大体……」大ぶりな電卓を片手に、隼馬は素早く計算していく。「こんなところか」
「い、一万円!」
ずいっと差し出された金額に、つい声を上げてしまった。
「見たところ、あんた大学生だろ? アルバイトもしてるだろうし、妥当な金額だろ」
「あ、いやー、えっと」
アルバイトをしていたのは大学に入学する前で、今は何もしてないです。それだけの一言をなかなか口に出来ず、彩芽は視線を泳がせた。
高校時代にアルバイトはしていたが、コンビニだったためにかなり薄給だった。そのせいで貯蓄もそう多くはない。一万円を今ここで払うのはかなり痛手だ。財布の中にはちょうどぴったり一万円が入っているが、それは「今月これだけ使う」と決めているうちの残り全てにあたる。
「なに、払えねーの?」
彩芽が中々返答しないことに業を煮やしたのか、隼馬が思い切り眉を顰めていた。
「その……払えないことは無いんですけど、今あたし、アルバイトとかしてなくて」
「じゃあ親に代わりに払ってもらうとかすればいいだろ」
「確かにそれが最善ではあるんですけど」
両親には日記の事を話していないし、いきなり娘に「お金を貸してください」と言われてすんなり貸してくれるような人々ではない。良く言えば倹約、悪くいえばケチなのだ。
考えているうちに喉が渇いてきた。彩芽は湯呑を手に取り、中の緑茶を一気に飲み干そうとして、「んぐっ!」盛大にむせた。
「どうしましたか、お客様!」
「勢いよく飲み過ぎたんだろ、どうせ」
「ち、違います……」
げほげほと何度か咳こみ、震える手で湯呑を指した。
「めちゃくちゃ苦いんですけど……!」
言われたことを理解できなかったのか、店主と隼馬は揃って首を傾げた。彩芽はポケットに入れていたハンカチを取り出し、口元を拭う。佳苗を見習った成果が出た。
それにしても、なにをどうすればここまで苦くなるのかというほど、口にした緑茶は苦かった。飲食物を無駄にしたくは無かったが、正直二度と手を付けたくないほどなのだ。
ひょっとして、今まで来店した客にもこれと同じものを出していたのだろうか。だとすれば、よく今まで指摘されなかったものだ。いや、これは指摘した彩芽が失礼なのだろうか。
「おかしーな、いつも通りやったんだけど」
「味もおかしくないと思いますよ」
彩芽に指摘され、二人は確かめるように緑茶を飲む。
「来店されるお客様も、目を閉じて味わってくださる方とか居られるのに」
――それはひょっとしなくても、苦みを耐えてるんじゃないかな。
そう思いはしたが、口には出さなかった。
しばらく緑茶の味を確かめていた店主だったが、ふと何か思いついたように指を鳴らした。
「お客様、様子を窺う限り、金銭にお困りですか?」
「あー、実はちょっと……。大学に入学する前にアルバイト辞めちゃって、今は貯金を切り崩してる感じで。早く見つけなきゃとは思ってるんですけど」
「でしたら、当店はいかがです?」妙案でしょう、と言いたげに店主はニコニコと続けた。「難しいことは無いはずです。仕事といっても接客とお茶くみぐらいかと思いますし。あとは隼馬の補佐ですとか」
確かに以前のアルバイトに比べれば相当楽そうだ。仕入れは恐らく店主や隼馬がやるのだろう。隼馬にはいけ好かない部分もあるが、店主は信頼できる人物だと感じているし、店の雰囲気も悪くない。。
それに、彼の顔に残された傷跡のことも気になった。
「とはいえ、最初の一カ月分のお給料のいくらかは、今回の相談料として頂くことになります。お返事はよく考えてからで大丈夫で、」
「働かせてください!」
彩芽の声量に驚いたのか、店主の目が僅かに見開かれる。隼馬も一瞬だけ身を引いた。
「あたし精一杯頑張ります! よろしくお願いします!」
立ち上がり、勢いよく頭を下げる。その様子が面白かったのか、店主が軽やかに笑った。
「ええ、こちらこそ。ぼくの事は気軽に泡草とでも、飛鳥とでも呼んでください。えーっと……」
「黄土彩芽、十九歳です。彩芽って呼んでください、泡草さん」
「分かりました。契約などはまた後日行いましょう。改めて、これからよろしくお願いします。彩芽さん」
「はい!」
「俺に挨拶はなしか!」
隼馬の悲哀溢れるつっこみを無視し、彩芽は店主――泡草にニッと笑みを向けた。
「『日記店』がどういう場所かというのを確立させたのは曽祖父だそうだけど、その前までも噂を聞きつけてやってきた人の日記を『視て』いたらしいんだよ」
ぱちぱち、かち。かち、ぱちぱち。
泡草の声のリズムに合わせ、彩芽がタイピングを続ける。時折ずり落ちてくる眼鏡を気に掛けながら、彼の言葉を画面に正確に刻んでいった。
彩芽が「泡草日記店」にアルバイトとして雇われて二週間。学校帰りに店に入るや否や、ノートパソコンを持ってきていないかと聞かれた。持ってきてます、とうなずいた直後、問答無用でソファに座らされた。
「歴史は結構古くてね、遡れば平安時代からぼくの家系は続いているらしい。彩芽さんは『
「古典の授業で聞いたような気はしますけど、詳しくはちょっと」
「いや、構わないよ。『更級日記』は
「それが書かれたのが平安時代で、ご先祖様は『視た』ことがある、と?」
「現物じゃなくて、写本の方らしいけれど。『視た』のは鎌倉時代の終盤あたりと伝えられているよ。写本を記した人物は仁治二年に亡くなっているからね」
いまいちピンとこずに首を傾げていると、「一二四一年のことだよ」と付け足された。もともと日本史はあまり得意ではないのだ。当時の天皇の名前も言われたが全く分からない。
「でも写本ってことは、その、すがわらの……なんとかさんの次女が直接書いたものじゃないんですよね」
今さっき聞いたばかりの名前をど忘れしている。恥ずかしさを誤魔化そうと顔を手で扇いでいるうちに「そうなるね。先祖が『視た』のは写本を記した人物の魂の方だ」と答えが返ってきた。
そこまで聞いて、彩芽は小さく唸る。
「申し訳ないんですけど、それを広告に書くとなんだか回りくどいし胡散臭くなりそうなので、今の部分は削ります」
デリートキーを押し、泡草が語った通りに記した分を抹消した。ふと泡草を見ると、微かに肩が落ちている。
出勤早々、彩芽に任されたのは「泡草日記店」の広告制作だった。
初来店した時に彩芽が持っていた広告は、泡草が作ったものだったらしい。しかし営業時間が抜けていたり、誤字脱字があったりと酷い有様だった。というのも、彼は機械全般をいじるのはあまり得意ではないのだという。
新しく作成している広告は泡草が作ったものをベースにしてある。大きな違いは営業時間の記載と、日記店がどういう場所かというのを少しだけ詳しく書いたことくらいだ。
あとは仕上げに地図を貼り付ければ完成する。
「そういえば、お友達とは仲直りできたのかな?」
「おかげさまで」
すっきりとした笑みを浮かべた彩芽に、泡草も安堵したように胸を撫で下ろす。
泡草の力によって日記が元に戻った二日後、彩芽は恐る恐る大学へ向かった。佳苗と友一の仲はどうなっているのだろう、まさかあれ以上悪化していたりして。嫌な予想で脳内が埋め尽くされていた頃、佳苗の方から声をかけてきたのだ。
そこには険悪な空気とは無縁の、仲睦まじく腕を組む二人がいた。どうやら日記の力が作用しなくなったことで、本来のあるべき姿に戻ったらしい。
「広告、出来上がりました」上書き保存のボタンを押し、彩芽は大きく伸びをして眼鏡を外しながらソファにもたれ掛かる。「泡草さんのパソコンに送信しときますから、印刷はお願いします」
「ありがとう彩芽さん。助かったよ」
小さく歓声を上げて拍手まで送られ、少しだけ気恥ずかしくなる。
彩芽が日記店で働き始めたことで客という立場ではなくなったからか、泡草は気さくに喋りかけてくれる。それがほのかに嬉しいのは秘密だ。
「でも、この広告ってどうするんですか?」
「知り合いのお店に置いてもらったりするんだ。この前みたいに新聞の折り込みにするとお金がかかってしまうからね」
なるほど。知り合いの厚意に甘えれば確かに金はかからない。
ノートパソコンを閉じ、持ち運び用のケースに入れながら店内を見回して気が付いた。
「隼馬さんがいませんね」
「少し出かけてるんだ」
泡草はローテーブルの上に置かれていた湯呑を手に取り、優雅に口を付ける。
そういえば、彼が着物以外を身に着けている姿を見たことが無い。昨日は確か涼やかな浅葱色だったが、今日は薄紫色だ。一体何着持っているのだろう。
しかし、日記店という雰囲気に彼の着物姿は似合っていた。気品すら漂っている。
何となく自分の無地の半袖にショートパンツ姿が恥ずかしくなってきた頃、「うぃーっす」と疲れたような声と共に扉の鈴が鳴った。
「おかえり」
「おかえりなさい隼馬さん」
「外かなり暑いな。焼けそうだった」いつも以上に鋭い目つきでぼやきながら、薄手のシャツの裾をたくし上げて頬の汗を拭う。出かけていたからか、隼馬は書生スタイルではなくイマドキのメンズファッションで身を固めていた。「これ、貰いもん」
隼馬は手に持っていたビニール袋をテーブルに置き、飛鳥の隣に腰を下ろした。なにやらずしりと重い音がしていたが、袋の中身は何なのだろう。彩芽はそれを引き寄せ、そっと覗き込んだ。
「わっ、大福!」
ぎっしりと詰め込まれていたのは、十個ほどの白い饅頭や大福だった。中には好物の豆大福もある。
「これ食べていいんですか?」
「好きなだけいいけど、太っても知らねーぞ」
うわ、デリカシーない、この人。言い返そうとしたが、大福の誘惑に負けた。彩芽は躊躇うことなく豆大福を手に取り、口に運んだ。餡子の甘さがたまらない。「でも、貰い物って言ってましたよね。誰に貰ったんですか?」
泡草も饅頭を手に取り、問いかけるように隼馬を見る。
「客」
言いながら、隼馬は入り口を指した。
そういえば扉が閉まる音がしなかった。彩芽と泡草が入り口を見遣ると、申し訳なさそうな表情を浮かべたポロシャツ姿の男がこちらを覗き込んでいた。
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