第2話 異臭はどこから

クレーム受付日時:7月22日(木)14時

物件名:ハートフル○森

対応担当者:土田


私が大学を卒業して杜不動産管理で働き始めて3ヶ月が過ぎた。

女性社員は私1人だけなので最初は不安だったけど、業務自体は問題なくこなせた。

事務処理をすれば速いと褒められたし、賃貸の案内を初めてした時はなんと一軒目で申し込みをもらえた。

社会人として良いスタートを切れたと思う。


そんな慌ただしいながら充実した日々を送っているうちにすっかり夏になっていた。

クーラーの効いた事務所で物件資料を作っていると会社の電話が鳴った。


「お電話ありがとうございます!杜不動産管理、土田がお受けいたします。」

物件の問い合わせや案内の予約ならいいなと思いながら、新人らしく明るいハキハキした声を意識する。


「もしもし〜。ハートフル○森の庄司だけど。土田ちゃん?」

庄司さんはハートフル○森の103号室に住んでいるおばあちゃんだ。

先々月物件について覚えるために建物を見ていたところ、買い物に行くところだった庄司さんに出くわして少し話していた。

おしゃべりでフランクな庄司さんはすぐに私を土田ちゃんと呼ぶようになった。


「庄司さんお世話になっております。土田です。今日はどうされました?」

「いやねえ。2日前くらいから外に出た時に変な臭いがするのよ。どこからしてくるかわからないんだけど生ゴミが腐った時のようなというか…。あんまり言いたくないんだけど死臭みたいな…。」

背筋がぞわっとしたが、平静を装って答える。

「そうでしたか。わかりました。ちょっとこちらで調べてみますね!」

「ごめんねえ。若い女の子にお願いするようなことじゃないんだけど。よろしくお願いします~。」

静かに受話器を置く。

とうとうこの時が来てしまった。

不動産会社に勤める以上いつかは経験するかもと思っていたけどこんなに早いとは…。


“不動産会社?ほら、今孤独死とか事故物件とかよく聞くじゃない。あなたビビりなのに大丈夫なの?”

内定をもらってお母さんに報告した時、真っ先に言われた言葉が頭に思い浮かんでくる。


その時は大丈夫だよと答えて就職を決めたけど、元々志望していた広告会社の内定がもらえず、就活を続けるのが辛くなっていたことが大きかった。

確かに私はビビりだけど、まあ何とかなるだろうと高を括っていたのに、まさか入社3ヵ月半で直面することになるなんて。

悪い予想が止まらず青くなっていると水野さんが声をかけてきてくれた。

「土田さん大丈夫ですか?クレーム?」

水野さんに庄司さんからの電話を説明していると少し落ち着くことができた。

「水野さんどうしましょう?他の入居者の方にも聞いた方がいいんでしょうか?それとも警察とか…」

「う~ん…まだ何が原因か分からないしとりあえず二人で現地行ってみましょうか。異臭もどの程度かわかりませんし。」

そう言って水野さんは立ち上がった。

私も準備をして外に出ると強烈な熱気に全身を包まれる。

気持ち良く晴れた空とは裏腹に不安で気分はまだ重かった。


水野さんの運転でコーポ○森に向かったところ、私が運転するより10分も早く着いた。

いつも使わない細い道に入るとこんなに近くなるのかと少し感動して水野さんに話すと。

「時間帯や曜日によって混む道混まない道ありますからね。巡回の時何回か迷子になりながら調べました。」

そう言いながら水野さんは笑っていた。

建物の前のコインパーキングに車を止めて水野さんの後についていく。


「上の階から臭いがしているか確認しながら下りてくるので土田さんは1階通路の確認をお願いします。」

コーポ○森は3階建ての小さいマンションで、各階3部屋ずつの計9部屋ある。

部屋は全て1Rで現在満室だ。

水野さんの指示を受けて1階の部屋前を確認する。

庄司さんは外に出た時に臭いがしたと言っていたが、103号室前で大きく息を吸っても臭いはしなかった。

水野さんが駆け足で階段を下りてくる。

「2階3階の通路では臭いはしなかったですね。1階はどうです?」

「しないです。玄関前や通路も変なところはありませんでした。」

そう言い終わる直前、風向きが変わって鼻に強烈な臭いが入ってきた。

生ゴミや発酵品にも似ているけど少し甘いような感じもして途端に気持ちが悪くなる。

隣を見ると水野さんも顔をしかめている。

「…これですよね?」

「これですね。ベランダの方かな。」


2人で物件の左脇から裏に抜ける。

物件の裏は少しスペースがあって舗装されてない。

気温が上がって名前も分からない草が膝上くらいまで育っていた。

水野さんと草を踏みながら進んでいく。

軽く見渡しても何も見つからない。

「おかしいなあ。どこからかな〜。」

言いながら右側の物件脇を覗き込むと視界の下側に黒い塊が見えた。

「ひゃあ!!」

思わず悲鳴が出ていた。

落ちている黒い塊には毛が生えていて、人の頭に見えた。

「どうしました?!」

水野さんが慌てて寄ってくる。

「く…黒いなんか…へんなものが…」

水野さんと入れ替わるかたちで距離を取る。

もし人の頭なら絶対に見たくない。

ここは新人という立場を利用して水野さんにお願いしよう。

水野さんは躊躇なく覗き込む。

「これは…たぬき?いやハクビシンかな。」

それを聞いて途端に力が抜ける。

「どこからか来てここで死んじゃったみたいですね。臭いの原因はこれかあ。風が通路の方に抜けて庄司さん気付いたんですね。」

水野さんの後ろから恐る恐るもう一度見てみる。

中型犬くらいの大きさの獣が倒れている。

顔は反対側にあるから何の動物かは分からない、いや、顔を見ても分からないと思う。

また風向きが変わってさっき通路で嗅いだ臭いが顔に当たる。

さっきより近い分強烈でえずいてしまった。

「大丈夫ですか?ここにあるとまずいのでこれから運んだり作業しますけど、土田さんは車で待っててますか?」

「…大丈夫です。できることあればお手伝いします!」

さっきは人の頭だと思ったから逃げたが獣の死骸くらいなら大丈夫、さすがに全部お任せするのはだめと思った。

「でも多分これ…まあ無理しないでくださいね。とりあえず袋か段ボールに入れましょう。」

車からスコップと使っていない段ボールを持って死骸のところに戻る、暑さと臭いで眩暈がしそうだ。

水野さんがスコップで死骸を持ち上げる。

その瞬間、ぼとっと死骸の顔から何か落ちた。

落ちたものは地面でウネウネ動いている。

ウジだ。

顔が反対側にあるので見つけた時は分からなかったが、ハクビシン?の目や口にはウジがびっしりついて蠢いていた。

「いやああああ!!!!」

私はさっきより大きい悲鳴を上げて段ボールを持ちながら物件の反対側まで逃げていた。

「あーやっぱり。ハエ飛んでたのでいるかなって思ったんですよね。これ多分ハクビシンですね。」

十分な距離を取った上で、呑気な声で話す水野さんを睨む。

さっき言い淀んだのはこれのことか。

大丈夫とは言ったけど虫が出る可能性は伝えておいて欲しい。

この視線を水野さんに送ることは、自分でも理不尽だとは思うけど、睨まずにはいられなかった。

「すみません。言っておくべきでしたね。段ボールそこに置いてもらえますか?」

笑いながら謝ってくる水野さんにまだ怒りが収まらず、睨んだまま言われた場所に段ボールを置いた。


水野さんはハクビシンを段ボールの中に入れて開かないようにテープを貼る。

「こういう動物の死骸ってどう処分するんですか?」

死骸が見えなくなって少し落ち着いたので聞いてみた。

「地域にもよりますけど役所の担当窓口やペット斎場に連絡すれば処分方法教えてくれますよ。今回は多分回収しに来てくれると思います。」

その後水野さんが連絡をして当日中に回収してくれることになった。




「おつかれさまでした。土田さんが手伝ってくれたのでスムーズに作業できましたよ。ありがとうございます。人が死んでなくて良かったけどちょっとヘビーでしたね。」

会社に戻る車中で水野さんは私を労ってくれた。

「…そうですね。ちょっと疲れました。」

実際に私がやったことは、死骸を見つけて悲鳴を上げて、臭いでえずいて、ウジに逃げながら悲鳴を上げて、怒って水野さんを睨みながら段ボールを置いただけだ。

この疲れのほとんどは私が1人で騒いだのが原因だ。

車に揺られながら反省していると猛烈に恥ずかしくなってきた。


"あなたビビりなのに大丈夫なの?"

お母さんに言われた言葉がまた浮かんでくる。


お母さん、大丈夫じゃなかったです。

今日のあなたの娘は、騒いで、えずいて、先輩を睨んでと大活躍でした。

初めてのつまづきで早速挫けそうですが、辞めて就職活動をし直すのは辛いのでまだがんばろうと思います。


頭の中でお母さんに返事をしたところで反省は終了した。

というより、疲れと車の揺れが心地よくて寝てしまっていた。


会社の駐車場に着いて、水野さんに起こされたと同時に第二回脳内反省会が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る