第3話
「ぷっ……なにそれ?えっいやまって?あなた、いじめられてたりする?そんな罰ゲームみたいなこと言って……」
ですよねー。私はそう思ってしまうのも無理はないと思ったので、仕方なく昨日起こった不可思議な状況を説明し始めた。
長々とした説明がようやく終わる。
「なるほど……推してるアイドルから勧誘されたアイドル活動するために辞めると……ちなみにその合意書、本人の意思に反する事項がありすぎ。裁判するなら絶対かてるわよ?」
「ですよね……いえ、それはそれで推しに迷惑をかけてしまうので……」
「だわよね……言うと思ったけど、あなたが抜けると多分3人は経理雇わないとまわらなそうね……なんとか辞めないで最低限の仕事する形は無理なの?」
「私もそうしたいのですが……どうやら一日中レッスンの予定が組まれているようで、無理みたいです……」
そしてため息をはく鳥子さん。
「まあ色々やりようはありそうだけど、向こうに迷惑を掛けたくないっていうならもうお手上げね……しかたない。1年ちょっとだったけど助かったわ。ひと月ちょっとだけど、引継ぎと教育まかせるわね。早急に3人ほど雇うから……」
私は小さく返事を返し、社長室を後にした。
退室の際には「デビューが決まったらサイン書きなさいよ」と激励かどうかよく分からない言葉を頂いた。
それからひと月ちょっとの短い時間、私はライブに参戦できない悲しみを、与えられた劇場の一室でたまに遊びに来るメンバーに癒されつつも耐えた。そして後釜もしっかりと教育した。ひと月なんて嵐のように過ぎ去っていった。
そして月末最終日。
本日付で私は退社となってしまう。
夕日に照らされる僅か一年ちょっとのこのオフィスを名残惜しく見渡す。
鳥子さんの他に、今後は経理部をまとめる存在となる高橋くんと、新たに入った後釜となる青木さん、山田くんに斎藤さんの三人、それと珍しく出社した社長がいる。
「短い間でしたがお世話になりました」
「田中さん!ありがとうね!そしてグラビアモデルさんなんかの連絡先わかったら教えてね!あいたっ!」
その社長の言葉に横にいた鳥子さんがまっさきに反応し、社長のお尻を鋭く蹴り上げていた。
「田中さん!あとは任せてください……そして、たまに見に行くので推していいですか?」
「高橋くんもお世話になりました。後は任せます。それと推さなくていいので来ないでください!お願いします」
今までのお礼とともに放った言葉に高橋くんはうなだれる。
「そして、三人にはこれからお願いね。力を合わせて頑張って!」
声を掛けた三人が深々と頭をさげる。
「鳥子さん……今まで、お世話に、なりました……」
「い、いいのよ!改まってそんな……。じゃあ体だけには気を付けて。頑張ってね!」
そして笑顔で背中を叩い下くれた鳥子さんに、再び頭を下げ、私は一足先に退社した。これからみんなは残って残務を処理するのであろう。
会社を出ると、そこには美穂が乗った車が止まっていた。私は少し感動しならがその車に乗り込んだ。
「珍しいね。いつもはお迎えなんか来ないのに……」
「まあね。明日から本格的にレッスンとか始まるでしょ。だからその前にみんなで飲みに行こうって、今日は金曜日だからね」
そうか。金曜日はライブがないから夜も開いている日であった。
美穂はトバリさんに別室につれられた際、マネージャーにならないかと誘われ、二つ返事で承諾したとか。喜愛さんだけでは手が回らないし女性アイドルのことで手が出せない部分があるから、私と一緒に勧誘することになっていたとか。
美穂の場合はその日のうちに、勤めていた夜のお店をやめると伝え、次の日からマネージャーとしてのノウハウを喜愛さんに聞きながら活動を始めた。
そして私も次の日から寝床を劇場に移したので、多少なりともメンバーには慣れていった。それに同じて各メンバーを様からさんへと強制的に変更させられた。仲間になるのだから当然!と言われてしまえば仕方がない。
「じゃあ、明日からはライブ中以外はレッスンだから、今日は羽目を外していいってさ。まあ明日は9時からレッスンみたいだけど」
「鬼だね……」
もっとも明日は土曜日なのでお昼にはライブとなる。朝ちょっとレッスンしてたら、すぐに舞台袖からカエデさんたちを見てエネルギーチャージできるのだから、文句はない。
「あとできればデビューは直子の二十歳のバースデーだってさ」
「そうなんだ!凄いね!……えっ?ちょっと待って?私誕生日2月なんだけど?今10月だけど?あと4か月しかないじゃん!」
絶対無理なんですけど?
「だから必死でやってねって……カエデさんが言ってた」
「えっ……」
「できなきゃカエデさんが色々考えていたプランが全部パーだって」
「そ、そんなぁ」
私は……失敗できないという現実を受け入れるには、まだまだ抵抗があるようだった……
「よーし!今日はとことん食べて飲んで遊び治めだー!」
「おおー!」
元気いっぱい宣言した私たちであったが、美穂の方は喜愛さんやその少し上の社員さんと、なにやら一緒に食事をしながらの会議が始まったようでほとんど絡んだりできなかった。
そして私の方はと言うと、新社会人としての常識が発動してしまい、各メンバーや美穂たち会議中の面々などにお酌や料理の配膳などで、結局楽しむどころではなかったが、カエデさんたちに喜んでもらったので苦にはならなかった。
◆◇◆◇◆
その翌朝、私たちは喜愛さんの大声で目を覚ます。
目を開けた私には、カエデさんの太ももとその見えてはいけない秘密の部分を間近に感じながら、ニヤつきならが再び目をつぶろうとしたのだが……そこで頭をバシンとはたかれ体を起こした。
どうやらすでに身支度をませ仕事を始めていた美穂に、頭を軽くはたかれたようだ。
周りを見渡すと、まだあられもない恰好で布団を股にはさんだり、尻を突き出し寝ているなどの他のメンバーが確認できた。昨日は各々布団を引いて枕投げなんてやって騒いでたからね……
疲れ切って「もうだめですー!」と叫びながら、そのまま布団にダイブした記憶がしっかりと残っていた。
そして私はすぐ近くに寝ているカエデさんの肩をゆすり、優しく起こそうと試みた。こころみたのだが……その適度に実った胸がゆらゆらと揺れるその様を見て……思わず顔がにやけてしまう。
「おい!」
気付けば私はまた美穂にはたかれ、そしてカエデさんもついでに叩き起こされていた。少しこらえながらもあくびをしてしまうカエデさんと目が合ってしまい、私は恥ずかしくなって再び布団にくるまり顔を隠していた。
「直子!あんたは10分以内に着替えたら食堂にダッシュ!早めに食べて、10時にはレッスン開始!わかった?」
えっ?レッスンって9時からじゃ……そう思ってその部屋の時計の方を見ると、すでに8時を回っていた。どうあっても朝食ありなら間に合わないね。
私はいそいそと布団から抜け出す。
「他のメンバーも着替え次第お願いします。12時からライブなので各自準備をお願いします」
丁寧なお辞儀のあとに、美穂は喜愛さんを連れて部屋を出ていった。さてと……着替えますか……
私は寝間着を脱ぐと、枕元に置いてあった服を着こんで洗面所までよたよたと歩いていった。今日から始まるアイドル育成生活……不安がいっぱいなのは言うまでもない。
ちなみに、カエデさん含む他のメンバーは、さっきの美穂の言葉と共にスッと起き出して各々支度を済ませると、私に「行ってくるね」と声をかけ部屋を出ていってしまった。さすがプロ。そう思うしかなかった。
でもまあ考えてみれば、いつもは各自が別の場所にある事務所に一旦あつまってからこの劇場にやってくる。今日は私の歓迎という意味でここに泊まったのだから時間的に余裕はあるのだろう。
私は私でこれからあるレッスンに不安と少しの期待を心に抱き、歯ブラシを握る手に力を入れた。ちょっと歯ぐきから血が出たのは内緒です。
◆◇◆◇◆
毎日繰り返されるレッスン……合間に見るメンバーの素晴らしいライブ……バックヤードで見るカエデさんたちは、今まで以上に輝いて見えた。そりゃそうだ。普段は舞台に上がっている間だけしか見ていない。
今は舞台袖にひっこむと、嵐のように衣装替えを行うメンバーたち。そしてまた気合を入れて笑顔で舞台へ戻るのだ。
私はまたカエデさんたちへの愛が深まっていくのを感じた。
そしてようやくアイドルとしての動きができるようになってきた頃、私はメイク室へと通された。
すでにサイズ合わせなどは終わっているため、衣装はすでにできているらしい。ダンスも歌も、めいっぱい没頭していった私。絶対にカエデさんたちに迷惑をかけてはいけない!バックヤードから見えた彼女たちの努力を、無駄にしてはならないと思ったから……
そして通された部屋で、私は頭と顔をいじられた。カエデさんからの要望があったらしいそのメイクとヘアスタイル……。私は、人生初のガチメイクと、ポニーテイル……そしてうっすらピンクのカラーリングまでされてるんですが……
その後に出てきた新しい衣装を見て、私は悟った……私はピンク担当なのだと……
みんなと同じ衣装。そしてそれぞれのカラーのラインが入っている。そこにピンクのラインが綺麗に刺繍されていた。その時、部屋の扉がガチャリと開けられ、練習終わりのカエデさんたちが突入してきた。
「わぁ!いいよナオ!最高!最強!マジ素敵!」
興奮するカエデさんが抱き着いてくる。他のメンバーも私を褒めたたえていた。
しかし今の私の頭の中には、私の名前……どうなるんだろう。そのことだけが気になってしまい、いつもは嬉しいそのカエデさんのハグを楽しむ余裕は……8割程度しかなかった。まじカエデさん柔らかくていい匂いです。
「あの、カエデさん……もう私の名前なんてきまってるんでしょうか……」
「もちろん!」
そうですよね。その為に衣装やら髪色やらを指定したんですもんね。私はカエデさんの次の言葉を待っていた。
「じゃあ名前は……」
「名前は?」
「聞きたい?」
「聞きたいです!」
すぐに教えてくれないカエデさん。なんだかじれったい。そして見つめ合ってるので少し照れてしまう。そして小悪魔のような笑顔を向けてくるカエデさんにまた惚れてしまう私。
「なんと!」
「な、なんと?」
「名前は!」
「うう……名前ー」
「モモちゃんです!」
「・・・」
「あれ?どったの?」
カエデさんが唇に指を充て首を傾げる。いや可愛いですけれど……。いや名前可愛すぎます。
「さすがにモモなんて……名前負けしてませんか?」
「そんなことないよ!見て!」
そういってカエデさんが私の顔を両手でつかみ、鏡の方へ向けられる。おう!めっちゃぶっさいくですけど!やめてカエデさん。鼻に指をあてて豚っぱなにして笑ってないで?
「ふふ。あー楽しい」
そして私を後ろからだきしめてくる。
「見て。とっても可愛い……」
鏡越しに私と、その私に頬をぴたっとくっつけ、少し赤くなっているカエデさんを見る……呼吸が止まるほど、尊いと思ってしまった。頬を染めるカエデさんも、その横で真っ赤になっている私とは思えない私も……
とても尊いものだと感じでしまった。
「どうやら気に入ってくれたようね」
「はい……私、精いっぱい頑張りますから……」
そう言う私に、目と閉じたカエデさんの手の力が少しだけ強まった気がした。
「じゃあ……デビューまであと一ヵ月!その衣装と化粧で、ひたすら笑顔で踊り続けるための特訓を頑張ってもらおうかな?」
「はい!いやえっ?……えっ?」
何を言っているのか分からない私。そりゃ完璧とまではいかないけどそれなりに歌もダンスも笑顔もできてきていると……
「化粧して衣装着てやると、全然感覚かわるから!全力で慣れてね。よろしく!」
満面の笑みで私の肩を叩いたカエデさんが、ニコニコしながら部屋を出ていってしまった。
「ま、そういうことだから頑張ってね」
トバリさんが同じように言いながら出ていくと、他のメンバーも口々に励ましの言葉を投げかけてくれた。そんなか……そんなに違うんか……私は、なぜ予備の衣装が3着あるか分かった気がした。
「レッスンでもこれをきて死ぬ気で慣れろと……」
こうして私の、さらなる地獄の日々が始まってしまった。
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