第2話

「私もいいとおもうよー。多分磨けば光る!かもしれない?」

パープル担当のアヤメさんが、トレードマークの紫のツインテールをふりふりしながらこちらを見ていた。


「でっしょ!ナオは私の最推し!お気に入りなんだから!」

「はいはい!お気に入りなのはいいとして、そろそろ話してあげないとほんとやばい顔してるわよ?」

カエデ様の最推しという言葉に「ああ、やっぱりこれ夢か……」とつぶやきならが口元をだらしなく緩ませる。そしてそれを見たトバリ様が何やらカエデ様に話しかけていた。


「ナオちゃーん。戻ってきてー」

「は、はい!これは夢ですね。夢から覚めたら私は医務室かどっかなのですね!迷惑かけてごめんなさい!」

またみんなが笑ってくれた。いい笑顔だ。この笑顔だけで私は明日を生きていける。たとえ夢であったとしてもだ。


「なおちゃん。えいっ」

私はカエデ様に抱きしめられて「えっ」と声を漏らす。いくら夢でもこれはまずい!アイドルにスキャンダルは良くない!たとえ女同士であってもだ!


「い、いけません!たとえ夢でもスキャンダルはごはごはご法度で!」

「もう!これは夢じゃないってば!えいっ!」

今度は頬っぺたを引っ張られる。あー!嬉しい!カエデ様がー!ってか痛い!痛いから!えっ痛いの私、夢でも痛いとか不思議……まってこれだめなやつ……


「えおおうはひ……」

「ナオちゃん、さすがにそれは解読不明すぎ」

笑いながら頭をポンポンするカエデ様を見ながらスーハーと息を整える。が、やはり甘い香りが漂ってきてちっとも落ち着かない。


「どう、どうしたらいいのでしょうか。息を整えようにもカエデ様の香りで興奮してしまいます」

また皆が笑う。このエンドレスの流れから脱出する方法を見失った私の目の前に、美穂が現れ私の両肩に手を置くと「まずは息をしっかりするのよ!」と声を掛けられた。その声につられて深呼吸を繰り返す。


「うん。ありがとう。嗅ぎ慣れた少し濃い目の香水の匂いでちょっと冷静になれそうだよ」

「あんたね。トバリ様の前じゃなきゃ殴ってたわ」

その言葉に私はフフと声が出る。それをみてため息をついた美穂は、私の肩に置いていた手を外すと、元の位置に戻っていった。でもその目線はやっぱりトバリ様を見ていたので、すでにその目が少しうつろになっていた。


「し、失礼しました。もう多分大丈夫かもしれないです」

「よっし!やっと話が進められそうね。改めてメンバー紹介はいらないだろうし、あっこっちはマネージャーの喜愛さんね」

カエデ様から喜愛さんが紹介される。喜愛さんは軽く頭を下げる。


「は、はい!喜愛武三きあいたけぞうさん38才!ワンダーランド立ち上げ当初から参加されている社員さんで、カラーズスリー結成時からのマネージャーさんですね!」

「さ、さすがナオ……喜愛さんのデータまであるのね」

カエデさんは若干ひている気がする。


「はい!好物は吉山亭のネギトロ牛丼で独身、恋人募集中とのことですよね!」

「ちょっと!やめてください怖いかも」

喜愛さんが大きな体を両手で抱くように小さくしている。いや、ファンなら大体知ってる情報では?


「じゃあ今度はナオちゃんのパーソナルな情報聞きたいかな?」

なにそれ?なんで?話についていけない私。


「美穂はこっちで私とおしゃべりタイムにする?」

「はい!トバリお姉様!」

私は、トバリ様からトバリお姉様に昇格してしまった様を見ながら、推し友である美穂がトバリ様とその後ろにくっついていくように、一緒に部屋を出ていったマリン様を見送った。


よって、部屋には私の他に、カエデ様とワカバ様、アヤメ様が、ついでに喜愛さんが残っていた。必然的にカエデ様から吸収できる香りが増える。心臓が激しく動き呼吸が荒くなる。負けるな私!気合を入れてカエデ様を見る!


「ちょっと。また顔が面白くなってるから」

「はひ」

気合を入れ過ぎたようだ。私の平常心はどっかに旅だったようだ。いや家出かな?戻ってきてー!


「とりあえず、今日はまだ時間ある?」

「はい!カエデ様のためならば親の葬式だって平気でぶっちできる所存です!」

「それはさすがにやばい」

私の全力の返しはきっぱりとカエデ様にぶった切られた。


「普通に今日の予定をきいてるんだけど」

「あ、大丈夫でしゅ……大丈夫です。この後はいつもならあの写真を眺めながら、ご飯を食べて布団に入るだけですから」

「なるほどね……じゃあ私のためなら今日は時間は無限大と」

「もちろんでぐえっ!」

物理で噛んでしまう私。舌がちぎれるかと思った。


「ナオちゃん話が進まないからカエデはちょっと離れようかな?まだこの距離は早かったかもね」

そういってワカバ様が割り込んでくれた。でもそのワカバ様の豊満のお胸を見て、私も冷静でいられる自信はないんだよね。


「あ、ナオちゃんワカバの胸ガン見してる」

「えっマジ?」

私はさっと横に目を背けた。


次に私がカエデ様の方を向いた時には、カエデ様とワカバ様は少し離れた距離に椅子を置いて座っていた。これは……緊張してしまう私に配慮してくれたってことだよね?今ので引いちゃったってことではないよね?


「よし!これなら大丈夫そう?」

「はい!同じ空気を吸わせていただいているので、全く大丈夫ではありませんが大丈夫です!」

最推しと同室なのだから全然大丈夫とは言えないのは仕方ないことだと思うけど?


「じゃあやっと話を始めるけど、私があなたを推すからアイドル活動しよう!」

「カエデ様は冗談のセンスもあるのですね!素敵です!」

その瞬間「冗談ちゃうわ!」という声と共に頭に衝撃が走った。涙目になりながあ横を向くとアヤメ様がファイティングポーズをとっていた。冗談じゃ、ないの?


「マジなのでちゃんと考えるように」

「いや無理です。嫌です推し専です!むしろカエデ様専です!」

「私はナオのことが気に入ってるの!なんならきっちり育てて『カラーズシックス』にしたいのよ!」

「えっ……」

私は、絶対に無理だしありえない!と思っていたが、カエデ様から『カラーズシックス』というなんとも甘美な言葉を聞いて思考を止める。

そっかー『カラーズスリー』の時にアヤメ様とトバリ様が入った時には、私も少しもやっとしたけれどそれで今のようにさらにパワーアップしたパフォーマンスが見れた私は幸せだったと断言できた。


それと同じように私が?


「いやいやいやいやいやいや!無理ですってわかるでしょ?私こんなのですよ?比べてみてください!ねっ?明らかに違うでしょ?」

私はワカバさんに近づき顔を並べる。無理無理と否定しながら、目線はワカバさんの一部をチラ見してしまうのは仕方ないたないかと……


「てい!」

「いたっ!」

頭に痛みを感じで後ろを見ると、アヤメさんにまた突っ込まれったことが分かる。


「あんたはそんなことを言いながらワカバの胸みながらニヤついてるんじゃない!」

真剣な表情で怒られてしまった。


「ねー、ナオがいたらまた新しい私たちが見えると思わない?」

「たしかにね!」

「そりゃ……ね」

カエデ様の提案にワカバさんとアヤメさんがうなずいていた。私、お笑い要員?


「それにナオ、私と一緒に合宿とかで寝食を共にしたくはない?」

「えっ……寝、食?」

なにか甘美なフレーズが聞こえたような……


「カエデ、もう一押しっぽいよ?」

「この子ちょろそうね」

いやアヤメ様もワカバ様も、聞こえないとこで言うセリフでは?


「私、ナオと一緒にお風呂とか入ったりしたいなー」

「やりましゅ!やられます!」

お風呂で戯れたい!


「よし!じゃあ決定ね。これサインして。私と一緒に暮らしますって同意書」

「カエデ様と……暮らす……」

私はごくりと喉を鳴らすと、その合意書にサインをした。


「よし!あとはここに……」

カエデ様は私の親指を優しくつかむと……朱肉にぎゅっと押し付け、私が書いた名前の後ろに押し付けた。って拇印!!!

そして私が思考と止めている間に、同意書をぺろりとめくると写しがあって……そこにもそのまま親指を押し付けられた。


「完了!はい、喜愛さん。これ社長のところへ」

「はい!わっかりましたー!」

私がワカバさんから差し出されたティッシュで親指を拭いている間に、喜愛さんは私が書いた合意書の上の方をもって部屋を出ていった。


とれと入れ替わるように部屋に入ってきたのは、トバリ様と、マリン様、そして……美穂?

なぜかスーツをバシッと着込んだ美穂がこちらにやってきた。


「カエデさん、契約の方は終わりましたでしょうか?」

「あっうん。もう大丈夫。さっき合意書は喜愛さんが社長に持っていったから!」

なに?もう美穂にはどうなってるか全部分かっているって感じなの?そしてゆっくりと近づいてくる美穂。なんだか怖いんですけど……


「では、直子はこれから、この劇場に住み込みになるから。会社の方は来月いっぱいで退職ということで……」

「えっ?」

「んっ?」

美穂の言葉に意味がわからなかった。いや美穂まで首を傾げるのはおかしくない?


「いや仕事退職ってなに?私そんな話ひとことも……」

そう言いかけた私は、自分の言葉を止めて恐る恐る合意書を確認した。そしてやっと自分の愚かさん気が付いた……

私は、その合意書に書かれた文言を朗読する。


「アイドル活動に専念するため、仕事は速やかに退職すること……」

「そうね。一応社会人としてのけじめとして、来月いっぱいで退職を伝えてください。さすがに今月辞めるは大人としてないよね?」

いやそうじゃなくて……私は退職ということ自体について困惑しているのですけど?


「住居は合理性を考え、劇場の一室を無償貸与する……」

「退職するからね。おばさんとおじさんには迷惑かけられないし……」

これは素直にありがとう。パパもママも私がお金も入れずに食費や生活費まで面倒見てもらうのはさすがにないからね……


「レッスンは全て参加すること。その為『カラーズファイブ』のライブは全て出禁と……なり、ま……す。いや、いやです!私はカエデ様をもっと応援したいんです!」

「大丈夫!今度は私をライブには出禁だけで、舞台袖からはきっちり見てもらうから」

カエデ様の返答に「ん?」と頭をひねる。ライブは席では見れないけど……舞台袖……ですか?それを認識した私は、全力でガッツポーズをした。今なら某世紀末の王の気持ちがよくわかる。


「報酬はなし。『カラーズシックス』になってからはグッズの売り上げなどの歩合制……厳しくないですか?」

「大丈夫!私と一緒に、アイドル旋風を巻き起こそう!」

不意にハイテンションなカエデ様に肩を抱かれ、部屋の白い天井を指さされたのだが、その指先には輝く何かが見えた気がしないでもなかった。


結局私は、その日は一旦帰宅となった。

ママには「私はどうやら仕事を辞めてアイドルとして生きるようです」と伝えると「それいつから始まるアニメ?」と聞かれたので「さあ?」と答えておいた。


◆◇◆◇◆


そして翌日、私は少し早めに出社すると、そのまま社長室へと出頭した。


「失礼します……」

ノックをして返答をまってから入室する。


そこには、いつものように副社長の金野鳥子さんがいらっしゃった。実質この会社を動かしているのは鳥子さんである。鳥子さんの旦那様である社長の金野成樹さんはめったに出社しない。

ゆえに決定権は全て鳥子さんのものであり、いつでも対応できるようにとほとんどここに寝泊まりをしている。そのため、たまに早朝窺う時には、なんだかとってもいやらしさを感じるスケスケな姿で対応される時もあった。

私だから良かったものの……と思うが、ノックと共に入室を許可されているのは、今のところ私ぐらいであったから大丈夫なのだろう。


「あら田中さん。どうしたの出社早々」

「実は……一身上の都合によりまして……あの、言いにくいですがその……」

言い出しにくすぎる……


「なに田中さん辞めたいの?」

「あっええと……辞めたくはないのですが……いやまあそうですね……」

私のはっきりしない言葉に鳥子さんは首をひねる。


「なにか、心配事とかがあるなら相談して。田中さんはこの会社の重要なポジションにいるんだからね」

「それは……ありがとうございます」

なんだか認められたようでちょっと嬉しい。でも言わなきゃなんないんだよね……私は憂鬱な気持ちを抑え、口を動かした。


「その、何やら私はアイドル活動をしなくてはならないようで……来月いっぱいで退職させていただこうと思った次第です……」

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