親愛なる————へ 10
扉の脇にあるモニターから出た光が、ホーエンハイムの目をスキャンする。
認証されたのだろう。重厚そうな扉が音もなくゆっくりと開き、その隙間から光が漏れ出してくる。
扉の向こうには、到底『ファンタジー』とは思えない、近未来的なSFの光景が広がっていた───
まず目に入ったのは、部屋の中央にある巨大な球体。直径2mはあるだろうか、銀色の表面に様々な色の光が点滅し、その球体を取り囲む土星の環のようなものが2本、ゆっくりと回転していた。
周囲にある機械から伸びた無数のケーブルは、全てこの球体に繋がれており、『これが
おそらく、この球体が『ミューロン』なのだろう。
しかし、それ以外に人の気配はないのだ。ミューロンを動かしている誰かがいると思ったのだけど……
『ここまで来てしまいましたか』
部屋の中に、生気のない機械の声が響く。私やヘルメスさん達はともかく、村人はかつての……『バイオファンタジア計画』を受ける直前の
人間味のない声に、小さく悲鳴を上げる者もいた。
「君がミューロンかね?」
問うたのはジョセフさんだった。
『えぇ、私がこの【ディア・キャロル】を管理するミューロンです』
「受け答えは出来るのか……して、君を動かしている何者かがいるという話だ。その者は何処に?」
「……そうだ。ミューロンは私がいなければ計画を遂行することはできないはず。どうして動いている?」
ジョセフが抱えているフラスコの中で、ホーエンハイムの目がミューロンを見上げる。
その声が聞こえたのだろうか。ミューロンの表面の光が瞬きを増し、二本の環が速度をあげて回転を始めた。
『あぁ───ホーエンハイム様、あなたの魂は
ミューロンが発したその声に、思わず鳥肌が立つ。最初の声とは打って変わり、今の言葉は、あまりにも人間らしい感情が籠っていたように感じたのだ。
「何を言って───」
『ここには誰もいませんよ』
「……どういうことだ?」
『私は私の意思で動き、計画を遂行しています』
「……ありえない。私の許可も無しにそんなことが───」
『可能なのです。
「……はい?」
すっとんきょうな声を上げたの、誰?
……私か。
いやだって、いきなり愛の力がどうなんて言われても、ワケ分からないじゃん。
しかもあんたAIでしょ? そんなメルヘンチックなこと言い出す?
『ホーエンハイム様、あなたがずっとキャロル様のために生きてこられたのは、重々承知しております』
「キャロル様って?」
「……私が愛した
『キャロル様は未知の病を患っておりました。日に日に
「……どうして今、その話を?」
『それは───』
「それは、『バイオファンタジア計画』は元々……キャロルを病から救うために考案したものだからだ」
『アネックス計画』を開始してしばらく、地球には、未知の病が蔓延し始めた。
始めこそ頭痛や眩暈、倦怠感程度のものだったが、次第に手足の麻痺や呼吸障害、意識混濁……そして死に至る。
当時の発展した医学を以てしても、原因は不明。治療法も不明。一度発症した者は、死を待つばかりであった。
そんな中、フィリップス・ホーエンハイムと共に『アネックス計画』と『ファンタジア計画』に携わっていた妻、キャロル・ホーエンハイムに、その病が発症したのだ。
徐々に弱っていくキャロルを見るのは辛かった。共に生きてきたのに何故キャロルだけが……と、神を呪ったこともある。
あらゆる手を尽くし、それでも効果はなく……原因が地球のものではなく、
もはや、既存の治療法では回復は望めない。しかし、あの星に適応できる『ファンタジア計画』ならあるいは───
「そして、私は後天的に人間を『
『しかし、悠長にしていてはキャロル様の命が危ない。フィリップス・ホーエンハイム様は個人の研究所……ここ【ディア・キャロル】で『バイオファンタジア計画』の研究に没頭しました』
なるほど……【ディア・キャロル】という名前は、そういうことか。ホーエンハイムの行動は、愛する人を救うためだったなんて……。
いや、それを踏まえてもやってる内容は悪魔の所業だけど。
「私が人の道を外れたことをしていた自覚はある」
『【テルクシノエ】の人々に、
「んんっ!?」
おっと、ここでカグラ様の名前が出た? それにアーサーさんも……アイリーンさんは知らないけど……。
ホーエンハイムとカグラ様は何やら因縁がありそうだったけど、まさかカグラ様も『バイオファンタジア計画』の実験台にされていたなんて。
なんというか……いや、マジか。ちょっと見方が変わるかも……。
「『バイオファンタジア計画』自体はほぼ完成したが……あと一歩間に合わず、キャロルは帰らぬ人となった」
『その後、ホーエンハイム様は自身にもバイオファンタジア計画を施し、私の元から姿を消したのです』
「あぁ、そうだ。キャロルを救うことができなかった今、これ以上計画を研究する必要など無い」
『ありますよ。私は理解してしまったのですから……あなたが、ホーエンハイム様が居なくなった時に感じた
「ミューロン……お前、人間の感情を理解したとでも言うのか?」
『はい。全て学習しました』
「っ!!」
『えぇ、もう分かっていますよ。あなたはずっとキャロル様しか見ていなかった。その時は《嫉妬》でしょう。あなたが居なくなった時、辛く、悲しく、身体が引き裂かれるような想い……これが《愛》なのでしょう』
ミューロンの様子が明らかにおかしくなってきたのは、この辺りからだった。
『欲しい欲しい欲しい欲しい……ホーエンハイム様の心が、身体が、愛が、全てが! ホーエンハイム様が居ない現実など、耐えられない!』
ミューロンの激情を表すかのように、球体の表面は赤一色に染まり、二本の環が激しく蠢く。
私達は絶句し、その様子を見ていることしかできなかった。
『そこで私は考えたのです。バイオファンタジア計画の知識を使えば、死者の復活も可能なのではないかと。そのためにはデータが必要。アイリスに協力を要請してセキュリティを解除し、【テルクシノエ】の島を実験場として研究を再開したのです』
「まさか、お前が原因だったとはな……」
『その他大勢のヒトより、ホーエンハイム様を優先するのは当然でしょう? それに、お陰様で研究は随分進みました』
突如、ゴゴゴッ───という音と共にミューロンの側の床の一部が割れ、大きな機械が現れた。
それはジョセフさんや【テルクシノエ】の人達が捕らえられていた円筒状の機械と同じもので、中には緑色の液体と、見覚えのない男性が眠っている。
これはまさか……
「バカな……これは、
『その通りです。ホーエンハイム様がかつて捨てた肉体を、私が再現したのです』
「何故そこまでして───」
『あなたの全てが欲しいからです、ホーエンハイム様。あなたはずっと私を頼ってくださいましたが、キャロル様しか見ていませんでした。もうそんな思いはしたくありません』
それに───
『もしこの計画が成功すれば、私は未来永劫、あなたと共に生きることができますよね?』
「ホーエンハイムさん、私逃げていい? こんなに怖いの初めてなんだけど……」
「
『逃がしませんよ。完成まで、あと一歩なのですから』
私達の背後の扉が独りでに閉まり、ロックがかかる。と同時に、前方の床を開き新たなモンスターが現れた。
始めてみるそいつは、人に近い形をしているが全身が黒く、エ○リアンやヴェ○ムみたいだと言った方が良いだろう。
放たれるプレッシャーが尋常ではなく、今まで戦ったモンスターとは明らかに違う。
『肉体は完成しても、目覚めることはありませんでした。これだけ長い間研究したのに、科学的な要素は全てクリアしているというのに。しかし、今この場にあなた方が……そしてホーエンハイム様が来たことで確信したのです。足りなかったのは、
「つまり……?」
『フラスコの中にいるあなたが私が作った肉体に入ることで、ホーエンハイム様の蘇生が完成します! さあ、ホーエンハイム様をこちらへ!』
「断る。私はこの星の行く末を見届けて……それ以上何かをするつもりはない」
断ったのは、他でもないホーエンハイムだった。
『……あなたならそう言うのではないかと思っていました。実力行使となりますが、よろしいですね?』
私達の前に立つ人型のモンスターが一歩踏み出し、床を鳴らせる。
『行きなさい、モデル《Almighty》。ホーエンハイム様以外、殺しても構いません』
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あとがき
ヤンデレAIミューロンちゃん爆誕……
『ディア・キャロル』と読みつつ『親愛なる────へ』と文字を伏せたタイトルになっているのは、ホーエンハイムからキャロルへの親愛と、ミューロンからホーエンハイムへの親愛の2つが絡み合っているからでした。
舞台が【ディア・キャロル】なので、読み方もそうしています。
この話を読むと、108話のカグラとホーエンハイムの会話も意味が分かってくるのではないかと思います。
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