宗明家

第5話 宗明彰の手記

花の芽吹きが春の訪れを告げ、小鳥のさえずりが朝をにぎわす。それは今も昔も変わらず、我が屋敷においても同様である。


昨晩の騒動を終わりとし、我が生涯の脅威、その絶頂を極める此度の件は半日にも及ばぬ出来事であった。手練れの盗人であった。壁に穴を開けて、金庫ごと持っていかれるとは……恐らく来客の誰かが一枚かんでいる。そうでなくては金庫室をピンポイントで当てられまい。


男の筆がピタリと止んだ。廊下が騒がしくなったからだ。


「お嬢様~!怪我の看病はわたくしがいたしますから、お部屋にお戻りになって下さい。

……まあそんな!お願いです。お目通しはかないません。傷がひどいものですから、お嬢様は見ない方がよろしいかと、、、お嬢様!後生です!わたくしがお連れしたとあっては旦那様に何と言われるか……待ってくださいお嬢様!!!」


年の割に屈強そうな身体の男は口元に笑みを浮かべながら続きを書いた。



何より災いだったのは、我が愛娘、詩乃が金庫に入っていたことだ。あの娘のことだ、金庫に隠れて私を驚かせようと企てたに違いない。全く可愛い娘だ。そのまま金庫のなかで寝てしまうなんて、まさに愛おしさの象徴たる行為だ。他の子にはできん芸当だ。


給士の者が金庫室を清掃していると、鍵が差さっていることに気づいた。不用心だと思い、ご丁寧にロックをかけたら例の盗人が壁を破って侵入してきた。給士は銃を突き付けられ、盗人どもは彼女が握っている鍵に目をつけた。金庫の鍵だろうと判断した盗人はそれを強奪し一発撃ち放った。


素人だったのだろう。それは明後日の方向に命中し、給士は泣き叫びながら逃げた。しかし、さすがに我が屋敷に仕える者たるや、咄嗟の機転を利かせて屋敷中の鍵をまとめて繋いでいるリングに金庫の鍵を混ぜたという。盗人どももプロとはいえダイヤル解析から鍵当てまでは時間がかかりすぎる。


プランBといったところか、金庫ごと持っていかれた。最近の若者はマニュアル外のことになると途端に融通が利かなくなる。普通持っていくだろうか?もっといい方法があったろう。


17時頃、つまりは事件から10分ほどで屋敷の者から緊急ダイヤルで電話が入り、私はことを知った。金庫の中には合法的とは呼べない、取引の数々が記録されたメモリーが入っている。そして娘からもらった数多の大切な品も保管してある。


娘が屋敷のどこにもいないと連絡があったのはそれから30分ほどたった後だ。私の直感は当たる。金庫の中にいると思い、娘奪還に動いた。警察にはまだ頼れない(メモリーの存在が万が一でも知れたら私は刑務所行の片道切符だ)。盗人も娘の存在に気づいたら、まず人質として生かすはずだと思った。


娘のスマートフォンには発信機となるアプリを入れてある。発信機は一ヵ所に留まっていた。都心から離れた郊外にいるようだった。こちらの手練れ二人(もう齢70程になるアメリカ軍を退役した老紳士である)では心もとない。彼らも年には勝てないのだ。


戦力を削る必要がある。私は「狐」なる便利屋がいることを思い出した。狐とは直接コンタクトを取れないが、裏社会に繋がる仲介人の連絡先は知っていた。私は彼に全てを伝え、彼は必ず手配すると言ってくれた。300万を指定の口座に振りこみ、指定された時間に老紳士を発信源へ派遣した。


彼らから聞いた話では、狐の活躍は凄まじく、終戦をクレイジーな笑い声で締めたという。ところが、息の長い盗人がいたらしく、その者に狐は手痛い一撃をもらった。その状態で盗人を制圧し、愛娘を連れ出すのだから感心感心と彼らは語った。私が「お前たちは見ていただけか?」と聞くと「Yes!!」などと申すから平手打ちをかますところであった。アメリカ人は悠長で困る。



廊下から猛々しい足音とともに、幾重にもなるノック音がした。


「旦那様!!!大変です!詩乃様が怪我人の部屋に入っていかれました!」


その他にも甲高い声でとやかく弁明していたが、一向に収まらないので男は出向くことにした。


(まったく、春の朝とはもっと優雅にあるべきなのだが)


文鎮を紙に敷き、筆を墨汁に触れぬ場所へ置いた。


「今行く」


低く尊厳のこもった声はその男を見た目より若く感じさせる。


襖を開けると女中が困り顔で待っていた。


「して、なぜ娘を止めなかった?」


「わたくしは呼び止めましたわ、お嬢様がルンルンといかれるのですから、あぁなっては止めようがありませんわ」


「それで、入っていくのを見ていただけか?」


「えぇ、それはもう、はい。そうするよりほかにありますか?」


「……」


(アメリカ人だけでなく、日本人まで。これは我が屋敷で暮らすものが悠長なだけでは?)


男は濃い眉を八の字にして天を見やった。

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