夜の女:時給千二百円也
真野魚尾
夜の女:時給千二百円也
深夜のコンビニは、安心を買いに来る場所だと思う。
「いらっしゃいませー」
人懐っこくて甘ったるい声が店内に響いていた。
「……少々お待ちくださーい」
続いて鳴らされる呼び鈴を耳にするより早く、私は品出しを中断し、会計中のレジへ向かう。
相方とは正反対の、ぶっきらぼうな低い声で。
「こちらのお薬は濫用のおそれがある成分が含まれておりますので、用法用量を……」
事務的に言い捨てて、私は真っ直ぐ作業へ戻る。
背中越しに相方の声が聞こえていた。
「ありが――あー、はい」
ややあって自動ドアが開き、カエルの大合唱。
それを掻き消す元気な挨拶。
「ありがとうございましたー」
ドアが閉まると、再び平穏な夜が訪れたかに思えた。
相方は荒れていた。
「ったく、会計終わってからレジ袋頼むんじゃねーよ、クソがぁー! 最初に確認してんだろがよぉー!」
営業スマイル――防犯カメラ対応――を貼り付けたまま悪態をつく相方に、私は歩み寄りながら
「あー、あるある」
「あーゆー男って、絶対黙って自分だけサッサとイクタイプだよな! な!?」
この女、ご覧の通り性格はゴミだ。
だが、
「そうかも……いや、知らんけど」
「ちなみにアタシはちゃんと申告しまーす」
「それは知ってる」
カラダは、もっといい。
「サナはあたしのことよく見てるよねぇ」
「マユが危なっかしいからでしょ。うっかり客前で毒吐いたりしないよう見張ってなきゃだし」
「やだなぁ。あたし切り替え上手だよ?」
「どうだか。私もカタギに戻ってまでケンカの仲裁とかしたくないから」
私はしょっちゅう釘を刺すけれど、
「元公営ヤクザ、頼りにしてるぅ」
「人の話聞いてた?」
基本、
それが心地いい。
深夜のコンビニ、店番は女二人。田舎とはいえ物騒だとは少し思う。
そのための、昔取った
「聞いてたよ。サナ、面接のとき経歴超アピってたじゃん」
「そこまで
「アハハ、ごめーん。でも嬉しいな。そこまでしてあたしと一緒に働きたかったんでしょ?」
営業と違う無邪気な笑顔が、私を素直にさせる。
「……うん」
昔の私は、ずっと肩肘を張って生きてきたように思う。
全国行って、自分より二十キロも重い相手を投げ飛ばしたり、締め上げたりしていた。
けれど、刃物を振り回す男に立ち向かっていく勇気は、私にはなかった。
四年しか
半年前、ふらりと訪れた深夜のコンビニで、この女に出会った。
当てどなく
「サナ資格あるんだし、ドラッグストアの仕事続けてた方が時給いいのにさ」
「マユと組みたくてこっち来たんだし」
堂々とストーカー宣言する元警官がここにいる。ミイラ取りがミイラになるなんて、洒落にもならない。
まあ、はにかんだ顔で許してくれるのはもう知っているのだけど。
「サナがあたしのこと好きなのは分かったから。さ、休憩入った入った。あ、あとお水ちゃんと飲みなー」
「そんなに私、
やっぱりミイラなのか。
「保湿は体内から! 指名ナンバーワンの言うことは素直に聞いときなさい」
「ナンバースリーじゃなかったっけ?」
「四捨五入すれば一緒でしょ!」
「はいはい……」
渋々休憩室へ。閉まり際のドアの隙間から、カウンターに立つマユの姿を未練がましく盗み見た。
元夜の女。今もある意味、夜の女。時給は千二百円なり。さすがに化粧は控えめにしているが、素材の良さはかえって目立つ。
色々嫌んなって逃げて来ちゃった――とは本人の言。左手首のシュシュは人前で外せない。
それでもマユの見た目と愛嬌なら、今からだって優しい男を見付けて、いくらでもマシな未来を送れるだろうに。
テーブルに突っ伏して、モニターに映るマユの姿から顔を背けた。
どうして私なんかと付き合ったりしているのだろう。
女同士への興味本位?
ほんの気まぐれにすぎないのかも。
一人になった途端、不安が次から次へと湧いて出る。
常に何かに
マユが、私を女に戻してしまった。
「責任取ってよ……」
「いいよ」
ハッと顔を上げる。ドアを背に、マユがこちらを真っ直ぐ見つめている。
独り言、聞かれていた。
ううん、それよりも。
「一緒に住もう」
この女の言うことはいつも突然だ。
「え?
がっぷり四つ。
「こら。茶化すな」
「……ごめん」
決まり手、尻叩き。
「で? 答えは?」
「マユは計画性ないから、心配」
「だったら見張っててよ。サナの役目でしょ」
気付いていた。本当はマユの方が私のことをよく見ている。目標がないと一歩も踏み出せない人間だってことを、よく知っているのだ。
私は、ただマユと同じ夜を過ごしたいがためだけに、自分をこの場所に縛り付けている。
そんな後ろ向きな恋に、私はマユを付き合わせたくはない。
「わかった。私、ずっとマユのこと見てるから」
「あたしも。サナのこと見てるよ」
「うん……」
抱き合ったまま、唇同士が近付く――。
示し合わせたように、入店チャイムが鳴った。
相方はやっぱり荒れていた。
「――んだよ、もう! 空気読めよこのクソ客がぁ! らっしゃーせーぇ!!」
「切り替えできてないじゃん……」
店に戻ろうとするマユの背中にツッコミを入れると、ムッとした顔が私の方を向いた。
「じゃあ切り替えて」
「……オッケー」
吐息が重なって、止まって、離れていく。
曇りガラスの窓の外は薄明かりに染まっていた。だけど、私たちの夜は始まったばかりだ。
夜の女:時給千二百円也 真野魚尾 @mano_uwowo
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