第2話

「斗真、気になることでもあるのか?」

「……たしかに、ここに書かれてある名前の人たち、俺の親族にいた人と名前が同じなんだ。もしこの手紙の人たちが親族であるなら、どうして今頃になって僕のところに?」

「私も詳しくは聞いていません。ただ、阿久津斗真という人物をあたれば気づいてくれるとソヨンさんはおっしゃっていたいんです」

「あの……ソヨンさんはまだ都内にいますか?」

「それが、二、三年前にアメリカに単身渡って向こうで暮らしているみたいです」


斗真は何度かソヨンの顔を確かめたが、すぐには思い出すことはできなかった。ミリネも既に他界しているという話は義理の両親からも聞かされていたので、教員にその旨を伝えると改めてミリネの身元を確認してみたらどうかと哀願してきた。


斗真はミリネを不快に思い抱いて生きてきたところがある。面影も全く覚えていなかったが、自分を捨てて韓国へと帰還したからだ。念の為教員から渡されたソヨンの写真と日記を持ち出し、再び新聞社へと戻ってきた。早速資料室へ行き新聞をいくつか探っていくと、とある記事に目が入り、スパイ容疑にかけられた在韓日本人の大量虐殺の事件で亡くなった人物の名前が記載されていた。


「一九二五年五月二十七日。朝鮮軍事組織の第一司令官からの通告を受け調査を行なったところ、在韓日本人及び朝鮮民間人らが、我が大韓帝国の民間人への間謀を働きかけるとの暴君たる弁明を発し、その間に仁川府にて反逆騒動が勃発。……これに対し一部民間組織の朝鮮軍軍隊らが阻止して述べ三百人を捕獲した。その後政府の命令により、捕獲された民間人の公開処刑を下したとの報告を受ける……」


斗真は処刑された人物たちの名前を読み上げていくと、そこには彼の曽祖父にあたるジョンソクの名が記載されていた。しかし、詳細の情報は載っておらず、なぜジョンソクが処刑されたのか疑問を抱き始めていった。


「ひいじいちゃんが、どうして殺された……?」


その後も他の記事に関連する内容のものがあるか探していると、そこへ加藤の姿が現れて手を止めるように告げられてきた。


「お前、チェ・ミリネの知り合いか?」

「部長、どうしてその名前を?」

「前々から聞きたいことがあった。阿久津、ここの新聞社に来たのも本当は自分のルーツを探したくて来たんだろう?」


持っていた新聞を机に置いてしばらく無言でいると、斗真は加藤に話し始めた。


「今いる育ての親が、僕が大学生の頃に親族の話をしてきたんです。本来なら韓国に残るはずだった親類が祖国を捨てて日本へ渡ってきたと……」

「そのミリネという人物が向こうで生き残れなかった理由を……その時に聞かされたのか?」

「実の父親が彼女を捨てたらしいんです。何かがあって裏切られたから、日本へ移住したと聞かされました。でも、それ以上の詳しいことは全く知りません」

「ようやく口を開いたな。俺もその件がずっと引っかかっていた。ここに来れば本来の自分らの事が調べられると?」

「ええ、自分に関する実情は知りたかったんです。どうして家族が皆バラバラにならなければならなかったのか。時折訊いてはみているんですが、あまり話したがらないんです。過去にどれだけ痛い目に遭ってきたかを。日本と違って向こうでの暮らしは有意義にいかないものがあったと聞かされていましたし」

「それを見てきた人達はそう簡単に口を割らない。未だに北と南では対立が絶えないからな。規則性や考え方も違うだろうし、これから取材しに行くのも時間がかかりそうだな」

「ひとまずは曽祖父母のところからあたれるだけ聞いていこうと思います」


数日後、斗真は板橋区にいる親戚の家へと向かいリビングへ通されると、ミリネの従姉妹の娘家族がいて彼に向かって抱擁をしてきた。斗真は早速ジョンソクとその妻にあたるイ・ラヒの事について話を切り出していった。


「ひいじいちゃんは、初めは日本にいたんだよね。家族総出で横浜から朝鮮半島に渡ったって聞いているけど、その後はどこに住んでいたの?」

「ジョンソクさんの両親は醤油の醸造の工場を営んでいたの。商売も上々で軌道に乗っていた頃に朝鮮半島で、事業を拡大してみないかと話を持ち掛けられたのがきっかけで向こうに渡ったのよ」

「あの頃の日本人の数もかなりいたみたい。みんな生活が懸かっていたから、特に商売をやっていた人たちは日本人だけでなく朝鮮の人たちとも共同で事業を教えていきたいと考えていた。韓国の人たちはよく奴隷扱いされたと言われてきたけど違うの。ただ純粋に日本の良さを伝えたかったっていう人たちがほとんどだったわ」



時は一九一二年。横浜港から出航し京畿道の仁川港に約三十時間かけて到着し、市内へと車で移動し日本人が居住する仁川府じんせんふに着くとジョンソクの家族は案内された家へと入った。

翌日、家族は近くの工場へと訪れてその日からジョンソクの父は工場長として働くこととなった。既に朝鮮人の労働者も就いていて父は覚えたての朝鮮語を交えながら挨拶をすると皆が笑い彼を歓迎してくれた。

父は彼らに醸造の工程から教えていき、そこから十年かけて仁川府内では一番規模の大きい工場へと発展させていった。


日本人学校の高等部を卒業したジョンソクは、若くして父の継承者として工場長を任せられていった。彼が二十二歳になった頃仁川府以外の地域で、他の醸造所の数が増えていったこともあり、知人の紹介で今度は忠清南道チュンチョンナムド大田テジョンへと工場を新築し経営をしていった。


一九二三年。ジョンソクが二十五歳になり両親からそろそろ結婚の時期でもあると話を告げられて数人の婚約者を紹介されているある日に、仁川府で日本人の経営者が集う、とある歓迎会がある事を聞かされてジョンソクは仁川へと一人向かっていった。

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