夜。トビアスは街道から離れたところで焚き火を熾し、近くの藪で捕まえた蛇を手際よく捌いて、火にかけた携帯用の小鍋に放り込んだ。音もなく近付き、黙々と料理をするトビアスの隣に腰掛ける。

「聖職者は嫌いですか、トビアス?」

 セイヴィヤが訊ねた。

「え? 何故ですか?」

「さっき祓魔師と出会したでしょう? あの時、貴方は私の背後に隠れていましたね」

「ご、ごめんなさい。悪気は無くて……」

 おどおどしだすトビアスに、セイヴィヤは柔らかく微笑む。

「落ち着きなさい。叱っているんじゃありません。ただ、気になったので訊ねたまでです」

 しばらくの間、トビアスは黙って鍋の中身が煮えるのを眺めていたが、やがて躊躇いがちに口を開いた。

「村に居た時、そこの神父様がいつも言っていたんです。『墓守は穢れているから、あまり他人ひと様に姿を見せてはいけないよ』って……」

「ふむ。彼がそう言ったのですか」

 セイヴィヤの脳裏を、痩せぎすの神父の顔が過る。あのごますり男が誰かに偉そうにしているのを想像すると、滑稽だった。

「だから隠れたんです。あの人、すごく綺麗だったし……僕はただの墓守だから」

「確かに、彼は美しかったですね」言いながら、天使の顔を思い返す。

 麗しくも、不確かさに強張ったあの顔。拭えない違和感を感じながらも真実に辿り着けない、あの表情——堪らなかった。

 回想も程々に、意識を目の前の青年へと戻す。

「ですが、貴方はもう墓守じゃありません。引け目を感じることはありませんし、そんな神父の言うことなど、まともに受け止めるべきではないのです」

 温かい声色で、優しく言って聞かせる。トビアスは術にでもかかったかのようにセイヴィヤを見つめ、その声に耳を傾けていた——計画通りだと、ほくそ笑む。

 まずはトビアスが求めてやまないもの——父親的存在を与えてやるのだ。受け入れられること、愛されることに飢えている青年の望みを、一度は叶える。

「胸を張りなさい。貴方は、私の子も同然ではないですか」

 決定打となる言葉を発した。目論見通り、トビアスの目が輝き出す。嬉しさのあまり声も出ないのか、笑顔で口をぱくぱくとさせている。

「……あぁ。創造主様! ありがとう……ありがとう……!」

 セイヴィヤの足元にしがみつき、感涙に濡れた顔を擦り付けながら、トビアスが声を絞り出した。

 まるで褒美を貰った犬のようだ——トビアスの髪を撫でてやりながら、セイヴィヤは思った。このは、これから告げられる真実にどう反応するだろう。

「創造主は残酷ですね。貴方のような子を見捨てるのだから……」

 トビアスによく聞こえるよう、呟く。少し遅れて、トビアスはゆっくりと顔を上げた。

「……セイヴィヤ様が創造主様でしょう?」

「それは貴方が言ったことです。私は、一度たりともそう名乗ってはいません」

 セイヴィヤがにやりと笑う。トビアスは訳がわからずに、悪戯に爛々と輝く琥珀色の瞳を見つめている。

「でも……僕の祈りに答えてくれたんじゃ……?」

「偶々、貴方の家の近くを通りかかっただけです」

 それが事実であることを強調するように、愛想良く、しかし淡々と答えた。

「そう……なんですか……」

 トビアスが俯き、顔を背ける。

「じゃあ、セイヴィヤ様は……?」

 微かに唇を震わせながら、トビアスはセイヴィヤに視線を戻した。答える代わりに、セイヴィヤは自らの身体を夜に散らす。黒い霧と化し、トビアスと焚き火を包み込むようにして、自らの闇に閉じ込めた。

「これが私。人間も、天使も、悪魔さえもその由来を識らぬ、旧き者。最も暗く、最も深い闇から生まれた者——旧い悪魔です」

 夜風のように静かな、しかし嵐のように恐ろしい声で、初めて正体を明かす。殆どの人間が恐怖で凍り付くか、逃げ出すだろう。天使でさえ戦慄くのだ。それをトビアスは座ったまま、目をぱちぱちさせて見ている。控えめな態度によらず、意外と肝が据わっているようだ——勇士を名乗る強者が、この姿を見せた途端に怖じて死んだことを思えば、驚くべきことだった。すぐさま恐れないとしたら、この青年はどう反応するだろう。好奇心がくすぐられる。騙されていたことに失望するか、怒りか、憎悪か——トビアスが表したのは、そのどれでも無かった。

 トビアスの口から出たのは、歓声だった。

「うわあぁ……! 今のどうやって? すごい……! 姿を変えられるんですか?」

 目を見開き、驚愕と興奮で飛び跳ねながら、トビアスが手を叩く。

「ふむ……怖がらないのですか? 普通は恐ろしくて仕方がないと思いますが」

 訊ねると、トビアスは満面の笑みで首を横に振った。

「全然……だって、すごいじゃないですか」

 この世のあらゆるものが恐れ慄くであろう姿、超自然的性質をすごいの一言で片付けてしまうとは。果たしてこの青年は豪胆なのか、愚かなのか。

「ふむ……私が創造主でないことについては?」

「そりゃ、びっくりはしたけれど……でも、救いを求めた時に応えてくれたのが創造主ではなく、セイヴィヤ様だったってだけで、あまり気にすることじゃないかなって」

「随分と簡単に言うのですね。貴方の創造主への信仰心は何処へ? 悪魔と関わることをが許すとでも?」

 苦笑気味に訊ねると、トビアスは一片の曇りもない笑顔で答えた。

「どれだけ祈っても返事をしてくれない創造主様より、僕はセイヴィヤ様が好きです」

 教会の者に聞かれれば磔刑ものの答えだ。あまりに可笑しかったので、セイヴィヤは高笑いをした。

「貴方はつくづく面白い子ですね。気に入りましたよ」

 闇から手を伸ばし、トビアスの頭を撫でてやる。

「これからは私を神として崇めなさい。そうすれば、私は貴方を我が子として扱いましょう……」

 トビアスは両の手を合わせ、頭を垂れた。

「はい……お父さま」

 言い終えた刹那、青年の魂に堕落のしるしが刻まれる。人には視えない、赤黒い焔の輪を頭上に戴くトビアスは、満ち足りた笑みを浮かべていた。

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