Ⅴ
御者席で手綱を握りながら、祓魔師ペイトンは幌馬車を御そうと悪戦苦闘していた。往路で無理をさせたので、馬車を引く二頭の馬はどちらも疲労困憊しており、苛ついていて息が合わず、少しでも気を抜くと道を外れようとする。本当ならば馬をよく休ませてから出発するのが理想だが、エマニュエルがそれを許さなかった——見目麗しい祓魔師の長は、しばしば配慮を欠いた決定を下すことがある。
疲れているのはペイトンも同じだった。ひどく揺れる馬車で辺境の村に駆けつけ、息つく間もなく任務の為に丸一日かけて歩いた後、ようやく休めると思ったら悪魔の群れに襲われて、友だったゴドフリーを埋葬することになったのだ。心身とも限界に近かったが、御者だったゴドフリーが亡くなったため、代わりを務めることになってしまった——異議を唱えようとしたが、エマニュエルが物憂げな目を向けてきたので、お人好しのペイトンはついに黙っていた。
手綱と格闘しながらしばらく進むうち、足下の砂利道が徐々にきちんと舗装のされた街道へと姿を変える。森と山一辺倒だった景色も、徐々に畑や宿など、人の営みが感じられるものが見られるようになった——聖都に近付いている証だ。
馬たちの機嫌も幾らかましになったので、手綱を持つ手を緩め、息をついた。
ちらりと、背後の幌に目をやる。祈りも、話し声も聞こえてこない。きっとエマニュエルも、生還したもうひとりの同志も、深い眠りについているのだろう。無意識に、ペイトンは舌打ちをしていた。視線を前方に戻すと、先の方を二人組の男が歩いているのが見える——ひどく汚らしい格好の若者と、年上の神父だ。余程機嫌が良いのだろうか、若者は神父にぴったりとくっつき、半ばスキップするようにして歩いている。白髪の神父の方は背筋をぴんと伸ばし、軍人顔負けの歩調で進んでいた。
「創造主様の祝福がありますように」
ふたりに追いついたところで声を掛ける。神父は足をぴたりと止めてペイトンを見ると、丁寧に目礼を返した。
「ペイトンさま、どなたかそこに居るのですか?」
幌の中からエマニュエルが訊ねる。
「エマニュエル様。神父様をお見掛けしたので、ご挨拶を致しました」
答えると、エマニュエルは軽やかに馬車を降りてペイトンを一瞥し、「御者の任、ありがとうございます。神父様とお話ししたいので、少し休憩してください」と告げた。ペイトンは神父とエマニュエルにそれぞれ一礼してから御者席を降り、幌の中で身体を伸ばした。
「畜生。こき使いやがって……」囁くように悪態を吐く。ほんの少しだけだと、そのまま目を閉じる。睡魔はすぐにやってきた。
「祓魔師のエマニュエルと申します。旅の途中で同じ創造主さまのしもべに会えて嬉しいです」
エマニュエルがにこやかに挨拶すると、神父は「セイヴィヤです。お見知り置きを」と、にこやかに応えた。
「祓魔師様、御務めから聖都に戻られるところですかな?」
セイヴィヤの問いに、エマニュエルが頷く。
「えぇ。そちらは? 巡礼ですか?」
セイヴィヤと青年を見比べる。青年はエマニュエルと目が合うと、自分より拳ひとつ分背の低いセイヴィヤの背後に隠れた。
「はい。敬虔な若者とともに、聖都に向かう途中です」
同行者の振る舞いに苦笑しながら、セイヴィヤがエマニュエルに柔らかな笑顔を見せる。
「無礼をお許しください。この子は昔から人見知りでして……」
「どうぞお気になさらずに……セイヴィヤさまは、どちらの教区から旅を?」
「ユンバーにある小さな村から」
「なんという村ですか? もしかしたら知っている場所かもしれません」
「いえ、ご存知ないかと。恥ずかしながら、本当に小さい村ですので」
セイヴィヤが答えたのを最後に、会話が途絶えた。
神父の琥珀色の瞳を、じっと見つめる。普通の人間ならば、天使の神々しいまでの美貌になんらかの反応を示すものだが、眼前に立つ威厳ある佇まいの神父は目の色ひとつ変えない。きわめて礼儀正しく、どこか言葉が曖昧なのも、不自然に感じる——まるで悪魔のようだ。否、悪魔だろうと確信していた。だとすれば、何故、闇の気配を感じないのだろう。オーガストや下級の悪魔が発する、隠しようのない闇の気配が、この男からは一切してこない。不気味なのは、この男から、人間の魂が発する気配すらしないことだ。
なにも感じない。まるで——。
「——どうかされましたか?」
威厳ある声に呼ばれ、はっと我に返る。賢しい琥珀色が、静かに向けられていた。
「いえ……ごめんなさい。務めを終えて疲れているのだと思います……」
そう言って誤魔化すと、セイヴィヤは「くれぐれもご自愛ください」と一礼し、背後の青年に「トビアス。今夜はこのあたりで休みましょうか」と告げる。立ち去るべきだと察し、エマニュエルはいびきをかいているペイトンを起こして、出発するよう命じた。馬車が動き出し、神父と青年の姿が遠ざかる。
きっと、久しぶりにオーガストと会ったせいだ——。
奥底から湧き上がる不吉な予感を払い除けるよう、エマニュエルは何度も自分に言い聞かせた。
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