青年にしばらくしがみつかれた後、旧い悪魔は小屋へと招かれた。勧められるまま席につくと、青年は小屋じゅうからかき集めた食料をテーブルの上に並べだす——毒々しい赤キノコの酢漬け、アマガエルの燻製に緑色のチーズ、そして茶色く濁った芋酒と、並の人間ならば触れることすら憚るであろう奇怪な品々が、瞬く間に小さなテーブルを埋め尽くした。

「こんなものしかないですけど」と、申し訳なさそうに、それでいて喜ばしげに口にする青年は、間抜けな犬のような人懐こい笑みを浮かべている。

 おかしな子だと、旧い悪魔は嗤った。

「もてなしは結構。お気持ちだけで十分ですよ」

 笑顔で食事を摂るよう勧める青年を手で制する。青年は萎れた花のようにしゅんとしたが、「食事は不要なのです。あなたがお食べなさい」と付け加えると、笑顔になってキノコの酢漬けをつまみ、芋酒に口をつけた。

「私の地上での名はセイヴィヤといいます。貴方の名を聞かせてください、子よ」

 柔らかく訊ねると、それまで笑顔だった青年の表情が曇り、青灰色の瞳が失意に揺れる。

「お父……セイヴィヤ様は、僕の名を知らないのですか? 僕の祈りは聞いていらっしゃらなかったのですか?」

「祈りを聞いたからこそ、ここへ来たではありませんか」

 青年の言葉に、セイヴィヤは間を置かず答えた。

「貴方のことはよく知っています。しかし、こうして会うのは初めてなのですから、たとえ知った相手であっても自己紹介をするのが礼儀では?」

 諭すような調子で、もっともらしく続ける。仮に青年が突然現れた神父の素性を訝しんだとしても、話術でうまく欺くつもりでいたが、その必要は無かった。

「ご……ごめんなさい、セイヴィヤ様。僕、と、トビアスって言います」

 トビアスはテーブルに顔を擦り付けん勢いで頭を下げ、詫びた。

「顔をお上げなさい。分かれば良いのです……トビアス」

 セイヴィヤが言うと、トビアスは勢いよく顔を上げた。溢れるような満面の笑みを浮かべ、体を震わせている。

「震えていますね。どうしたのです?」

「いえ。名前を呼んでもらえたのが嬉しくて……」

 訊ねられ、トビアスは喜びに打ち震えながら答えた。

 

 師の死後に訪れた孤独な生活は、トビアスの想像を遥かに超えていた。

 墓地の世話から遺体の防腐処理、埋葬に至るまで、墓守の務めを淡々とこなしていたが、『墓守の見習い』から『村の墓守』になることは、以前にも増して疎まれ、忌避されることを意味していた。歓迎こそされなかったものの、人として最低限度の扱いは受けられていたのが、墓守の任を正式に担うや、村の誰もトビアスに話しかけるどころか、近付くことすら無くなったのだ。悲しいかな、セイヴィヤがその名を口にするまで、トビアスは六年もの間、誰からも名前を呼ばれなかった。そのことをつゆとも知らぬセイヴィヤは「大袈裟ですね」と苦笑したが、トビアスはなおも体を震わせながら首を横に振る。

「そんなことありません。僕、この村で墓守をしてからずっと、ずうっと独りぼっちだったんです。だから名前を呼ばれるだけでも……すごく嬉しいんです!」

 そう言って喜びに身をよじる若き墓守に、セイヴィヤは視線を這わせた。灰がかった短い金髪はところどころ不揃いで、ろくに手入れされていないのが窺える。青灰色の瞳の奥底には不安と孤独が宿っており、そもそものぼやけた色合いと、目の下に染み付いた濃い隈のせいで、どこか病的な、冴えない印象が強い。身に付けているシャツは時代遅れの古着で、綿のズボンには汗染みが目立ち、紐孔の壊れかけた革長靴は泥にまみれていて、総じて不潔な、典型的忌み者の風体だと認めざるを得なかった。墓守であることを抜きにしても、こんな風体の者とわざわざ関わる物好きは居ないだろう。愛情に飢えた子犬のような振る舞いも、思えば当然なのだ。

「セイヴィヤ様はいつまでここに? 僕、話したいことが山ほどあって……!」

 テーブルに身を乗り出して目を輝かせながら、トビアスが訊ねる。

 しばらくの間、この変わり者の青年をそばに置いておくのも悪くない。どうせ消えたくなるほど退屈なのだ。創造主を騙り、自身を祈りの答えだと信じて疑わない哀れな若者に付き合うのも一興だろうと、セイヴィヤは考えた。

「私はこの地をすぐに発ちます」

 席を立ってそう告げると、トビアスが色を失う。一喜一憂する様子が可笑しいので、しばらく勿体ぶってから、言葉を続けた。

「そこで、貴方も連れて行こうかと思っているのですが——」

「僕、行きます! 行きますとも!」

 セイヴィヤが言い終える前に、トビアスが答えた。その顔は希望に輝いている。

「結構。では日の出と共に出発することにしましょう」

「今すぐじゃ駄目ですか?」

 

 結局、トビアスたっての希望で、ふたりは夜明けを待たずに出発した。去り際、トビアスは十一年暮らしたあばら家に火を付けて焼き払おうとしたが、木材が湿っていたのでうまく燃えず、壁に醜い焦げ跡が残っただけだった。墓守の住居跡は呪われた場所として、村の者たちの間で今も語り継がれている。

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