第89話 完治の朝

白目を剥いている受付嬢の目に黒目が戻ってきたのでは、アスタロートの背中一面が塗り薬でドロドロになった頃だった。


「やっと、ちゃんと見えたようだね。」


「えぇ。少し見えていなかったみたい。こうして改めて見て思うのだけれど、アスタロートさんの傷の治りは早いですね。」


「そうかも知れないな。もう、肩の痛みもほとんど無いし、明日からは来なくていいよ。」


「念のためもう少し様子を見たいのだけれど・・・、いや、この傷の治りからして大丈夫よね。同居人も出来たようだし、いいわよ。私はこれで帰るわね。」


少し言いよどんだが、最後の一滴まで脳みそをすすっていることに夢中なノーズルンの方をチラリと見てから意見を代える受付嬢。


本当は明日くらいもう一度様子を見ておきたかったが、ノーズルンと顔を合わせるのが嫌だったためもういいことにした受付嬢だが、アスタロートもノーズルンもその真意には気づかなかった。


「本当に、いいのか!」


いつも、念入りに傷薬を塗られていたアスタロートはやっと解放されることに嬉しく、つい念押ししてしまう。


傷もほとんど治り塗り薬を塗られてもほとんど痛まないが、初日は傷もひどく痛みも強かったため、薬を塗られることに良い印象がないのだ。


アスタロートは、やっと薬塗りから解放されることに笑顔になるが、受付嬢はノーズルンが視界に入らないように俯きながら返事をする。


「えぇ。もういいわよ。後、これ余った薬よ。数日だったけれども、効き目の良かった薬だけ置いていくわ。何かあったときに使いなさい。」


そう言うと、カタツムリの殻の薬入れを巣の中に数個置く。


ジュルッブチュジュジュジュジュ。


ノーズルンも最後の一滴を啜っているのか、大きな音を立てている。


その音を聞いた受付嬢はそそくさとはしごを降りていった。


「ノーズルン、もう少し音を立てずに食べられないの?」


流石に最後のあからさまな様子を見て、アスタロートも受付嬢がノーズルンを避けていることに気づき、注意するがポイントがすでにずれている。


アスタロートはノーズルンが啜る大きな音が気になって注意したが、受付嬢は単純にノーズルンの食事光景が生理的に受け付けなかっただけだ。


アスタロートは初めて見たとき気絶してしまったのに、たった数回の食事光景で見慣れてしまったのだ。


「なかなか、難しいですね。脳みそを吸い出すにはどうしてもこれくらいの音が出てしまうのです。何か気に触りましたか?」


「いや、さっきの受付嬢が少し気にしていたようだから・・・。」


「えぇ。そうなんですか。私の小さい友人は、いつも喜んでくれるのですが・・・。」


えっ。誰だよ。その友人。


おそらく、私とはわかり合えない人種だろう。


ノーズルンの食事を見ても不快には思わなくなってきたが、楽しいとは思えないアスタロートは、その小さな友人とは仲良くなれるような気がしなかった。


「あっ。噂をすれば来ましたね。」


ノーズルンが下を覗き込むようにして見ている。


アスタロートもそれに続いて下を覗くと、茶色と黒の縞模様のぬるっとした皮膚の子供が木の根元に向かって走っている。


ゲッ。ツチノッコンだ。


アスタロートは、ツチノッコンのことが嫌いでは無いが、話が通じず一度思い込むと認識を改められない相手で苦手なのだ。


この町に来た当初も、ツチノッコンのせいでアスタロートがモコモッコ羊の亜人であることが広がってしまい、未だに一部の町人にはそう信じられている。


小さな手で木の幹を登ろうとしているが、右手に何やら荷物を持っているためか上手く登れないでいる。


「おーい。アスタロートやーい。」


一度、登ることに失敗し尻餅をついたツチノッコンは登ることを諦めて、アスタロートを呼び出すことにしたようだ。


仕方ないので、アスタロートが巣から飛び降りツチノッコンの側まで行くと、続いてノーズルンも飛び降りてきた。


「おはよう。ツチノッコン。」


相手は、まだ子供だから苦手意識はあるが、大人としてきちんと対応するアスタロート。


「あぁ!ズズズのねぇちゃんだ。」


ツチノッコンは、アスタロートの挨拶を無視してノーズルンの方へ駆け寄っていき腰に抱きついていく。


おい、俺のことは無視かよ。


ってか、ノーズルンめっちゃ懐かれてるじゃん。


「久しぶりですね。ツチノッコンさん。今日はどうしたんですか?」


ノーズルンが、ツチノッコンの頭を撫でながら聞くと、ノーズルンの腰から離れて近づいてくる。


「あぁ、そうだった。はい、これお見舞い。町のみんなが、アスタロートが特記戦力と戦ってまた負傷したって言ってたから・・・。」


ツチノッコンは、パンパンに膨らんだ腰ベルト付きの鞄を渡してきた。


どうやら、お見舞いの品らしい。


ツチノッコンもかわいらしいところがあるじゃないか。


「ありがとう。ツチノッコン、もう傷は大丈夫なんだ。」


「本当に大丈夫なの?左羽根の付け根は、黒い羽根もむしり取られているようだけど・・・。」


ツチノッコンは、言葉は正しく今回は本当に左翼の付け根の羽根が剥げている。


振り返って確認してみると、うっすらと黒い小さな羽根が生えている。


アスタロートは、ツチノッコンがアスタロートのことをモコモッコ羊の亜人でないことを認識してくれたようで少し嬉しくなる。


「まぁね。でも、すぐ生えてくるよ。」


腰ベルト付きの鞄を受け取ると膨らんでいるのに異常に軽い。


アスタロートがその鞄の軽さに驚き鞄を凝視していると開けるよう催促してくる。


「早く開けてよ。」


「あぁ。ありがとうな。」


鞄を開けるとそこには白い綿がたくさん入っていた。


「・・・これって、もしかして・・・。」


「そうだよ。おねぇさんは、モコモッコ羊とカラスとケンタウロスの亜人って聞いたからね。モコモッコ羊の毛を持ってきたんだ。それを体に付ければ、毛が生えてくるまで、ごまかせるよ。まぁ、本当はカラスの羽根も用意したかったんだけどね。鞄の中に、特性の接着液が入ってるからそれで体にくっつけるといいよ。」


「ツチノッコン。確かに私はモコモッコ羊とカラスとケンタウロスの亜人かも知れないけど、モコモッコ羊の部分は角だけで、毛は元々生えていないんだよ。」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る