5(end). 東雲の空の色は
「ハアッ、ハアッ……!」
息が切れそうになっても、足を止めない。
(くそ、くそっ……! そんなバカな……)
桐谷日向は走り続ける。
――それが真実なのかどうか、確かめる為に。
「っ……」
一心不乱に駆けて、走り続けて――
ついに、それを目の当たりにした。
「あ、あ――」
吉祥寺駅から10分ほど。
大通りを逸れた所にある、アパートの一室。
そこに、果たして――警察官が出入りをしていた。
「す、すいませんっ……ちょっと通して下さい」
――突然、後ろから聞き覚えのある声。
野次馬を掻き分けて日向の方に向かって来る。
「日向さん……っ」
「あ、詩織ちゃん……」
髪はボサボサで、顔色も悪い。
「……ねえ……本当に?」
「……」
日向も信じたくはなかった。
嘘だと思っている。
でも――
「詩織ちゃん、とにかく家に帰ってくれ。犯人は――思ってるよりも近くに居たから」
「……!」
日向が言うと、詩織は血相を変えて。
「日向さん……言ってる意味分かってるの?」
「……ああ」
「本当に信じてるの? ねぇっ……」
「……」
頬を伝う一筋の涙。
日向は初めて、彼女の感情の吐露を目の当たりにした。
「あ――日向先輩っ」
「ああ……遅くなってごめん」
現場近くで待ち合わせをしていた明彦が、顔を見せた。
「……しょうがないっすよ。突然だったし」
「……」
思わず言葉に詰まる。
「その……俺が、第一発見者でした。昨日の晩から連絡がつかなくて、それで様子見に来たら……」
「……うん」
二人して、部屋を見やる。
そこには――"雨宮"の表札。
「あれ……あそこにいるの、詩織ちゃんすか?」
「あ、うん……」
道端に座り込み、うずくまっている彼女。
時折……泣き声が聞こえて来ていた。
「……全然帰る気配が無さそうだよ」
「……」
警察の捜査は未だ続いている。
「……店まで行きません? ここじゃ、落ち着かないですし」
「あ、ああ……」
明彦の提案で、喫茶店まで行くことにした。
もちろん詩織も連れて。
昼下がりの吉祥寺。
いつもなら瀟酒な雰囲気を味わえる街並みも、今日ばかりは殺伐としている。
それもそのはず――"吉祥寺の作家殺し"事件に、新たな展開が見られたからだ。
「……これが分かりやすいか」
日向はスマホで動画を再生した。
『……吉祥寺のみならず日本全体を震撼させている、通称"吉祥寺の作家殺し"事件。今朝、衝撃の展開がありました』
画面に、一つのアパートが映し出される。
『今朝になって行方不明となった、東京都国分寺市在住の雨宮琴夏さん、22歳。知人の男性がアパートを訪れたことで発覚しました。そして――』
場面が切り替わり、琴夏の写真が大きく映し出された。
写真の中の彼女は――笑っていて。
「……」
思わず、息が漏れる。
『――部屋の中で見つかったのは、自身が"吉祥寺の作家殺し"事件の犯人であることを仄めかすような、犯行声明の文章。事件関係者しか知り得ない情報が混じっていたことから、事件との関係を深く指摘されています』
そう。
琴夏の部屋で見つかった、一つの犯行声明。
どんな文章かまでは分からないが……事件との繋がりを考えるには十分なくらい、克明に書かれていたそうだ。
『出版社に勤務していたという雨宮さん。警察は身元の捜査を進めるとともに、田邊一郎さん、塩口昭介さんとの関係性についても調査中とのことです』
「……」
動画は僅か1分ほど。
それでも、日向にとっては恐ろしく長く感じられた。
二人を見やる。
「……」
「……」
俯きがちで表情は窺えない。
重苦しい沈黙が、辺りを満たしていて。
「……取り敢えずは、警察に任せるしかないっすよね」
その沈黙を破ったのは明彦だった。
「うん……」
詩織も項垂れたまま、相槌を打つ。
「……これは、この動画に無い情報なんすけど」
「……?」
「部屋の中でもう一つ、見たんすよ。証拠というか」
「え……」
空気が張り詰める。
「……詩織先輩のパソコンの画面に。例のアカウントが、映ってたんです」
「例の……って、もしかして?」
「そうっす。先輩のこと、犯人だって言ってたアレ」
そして、信じ難い言葉が飛び出した。
「――ログインしてたんです。そのアカウントで」
「え――」
難しい話じゃないのに。
思わず、理解を拒んでしまう。
「つまり……あのアカウントを管理していたのは、琴夏だった?」
「……」
明彦は頷かなかった。
認めたくない――顔に、そんな感情が滲み出ている。
「……まだ分からないっすよ。もしかしたら、誰か別の人間――それこそ真犯人が、琴夏先輩の家に押し入って……」
「……」
可能性としては、あり得た。
でも――
「どうして――琴夏じゃなきゃダメなんだ?」
「えっ……」
「罪をなすり付けられるとしたら、それは……僕だろ……」
もちろん、真犯人がいるという前提の話だが。
琴夏に濡れ衣を着せる意味が――分からない。
「それは――」
「どうして、だよ……僕を犯人とか言ってた癖に、どうしてここに来て……」
日向は混乱していた。
どんな理由を考えようとも、辻褄が合わない。
琴夏が犯人なのか?
それとも――別の誰かが仕組んだのか?
不明瞭な状態のまま。
いつしか、事件の話は立ち消え。
そして、一か月が経った。
「……」
パソコンと向き合って、僕は黙々と文字を打ち込む。
ふと――
画面の右下に表示されている年月日を見た。
2023年8月24日。
平日だからか、お客さんは訪れる気配がない。
でもその方が都合が良かった。
僕は淡々と、キーボードに指を落として――
「こんにちは」
「うわっ――」
いきなり声を掛けられ、思わず飛び上がる。
見れば――ひとりの少女。
「あ、詩織ちゃん……」
「その様子だと……元気そうだね、日向さん」
一か月ぶりに見たその姿は、前よりも少し明るくなっている気がした。
だいぶ落ち着きを取り戻したのだろう。
「それ……何してるの?」
「ああ、これか……」
僕がパソコンの画面を彼女の方に向けると、不思議そうな顔になって。
「これ……小説サイト?」
画面には、『東雲通りの文学喫茶』というタイトル。
「うん。書くことにしたんだ」
「書く、って……」
「……事件のありのままを、伝えるためにね」
この事件について、ネットでは今でも様々な憶測が飛び交っていた。
もちろんそこに――僕が犯人なんじゃないか、という謂れのない意見もあったりする。
だから、当事者の立場として。
自分ができることをやるまでだった。
「それと、もう一つ……」
「……?」
「亡くなった田邊先生や、塩口先生への……弔いの意味もある」
「……」
二人とも素晴らしいミステリー作家だった。
本当に、惜しまれる出来事だった。
だからこそ――こんな人が居たんだということを、少しでも残しておきたいという気持ちがある。
「……塩口先生のご遺族には、許可を取れたんだけど。残念ながら田邊先生の方は……連絡を取る手段がなくてね」
そのために、この小説では田邊先生ご本人とのやり取りを扱っていない。
もしご遺族の方がこれを読んでいたら――申し訳ない気持ちもありますが、どうか僕の勝手を、ご容赦ください。
少しでも、形に残したいと考えた末の結果でした。
「……いいと思う」
「え……?」
「多分、嬉しいと思うよ。その人の家族も」
「そ、そうかな……」
……。
「……そうだ。君に、物語のあらすじだけ訊きたくて」
「ん……どういうこと?」
「君が店にやって来たところから、物語を書こうと思ってるんだ」
「あ、なるほど……導入部分ってこと?」
「うん。君がここに来る時に感じたこと……」
そうして彼女が口にした思い。
それを丁寧に、あらすじの文章に落とし込んで行く。
文章を書き終えて、僕は意外な気持ちで満たされていた。
「……こんな風に思ってくれてたとは」
「うん。素直な気持ちだよ」
「人が少なかったから、ここに入ったんじゃなかったのか?」
「それと、これは……半分半分だね」
「おい、半分も占めてるのか!」
僕が不機嫌そうにすると、彼女は悪戯げに笑い。
――そんなこんなで、僕は小説を書き上げた。
真実を綴ったこの小説が、どうか。
たくさんの人に、見てもらえますように。
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