3. 冷笑う一人歩き

 あれから3時間が経っていた。

動画のコメント欄に、突如投稿された文章。


『犯人は桐谷日向』


無機質で、無駄が無く。

ただ淡々とした文字の並び。


「……」


――当の本人は、吐き気さえ覚えていた。

それでも必死に思考を巡らす。


(少なくとも……同姓同名の、別人のことを言っているとは思えない)


日向が事件のであることに変わりはない。事件に関する動画にこのコメントがされているということは、つまり――


「……僕を知ってる誰かが、コメントを残した?」


――桐谷日向。

その名前を知っている人間が、まず、どれほど居るだろうか?


考えているうちに……ふと。

最悪な推論が、脳裏をよぎった。


(まさか――いや、何考えてるんだ僕は……)


日向の近くで話している二人。


一人は、共通の趣味で知り合った大切な後輩――三野明彦。

もう一人は、ちょっと不思議な女の子――白川詩織。


「……」


そしてもう一人。

仕事終わり、ここに来るという連絡を寄越した――高校からの友人、雨宮琴夏。


もちろんそれだけではない。


(最近は事件のことがあってか、来てないけれど……常連のお客さんだってそこそこ居た)


けれど。いずれにせよ。

……誰であろうと。


(――僕を貶めることに、どんなメリットがあるって言うんだ?)


もちろん日向は、知り合いの誰かがそんなことをするとは思いたくもなかった。

それに……誰かから恨みを買うようなことをした覚えもない。


自分を貶めることで、得する人間。

一体誰なのか。


(――犯人?)


「……先輩?」


「え……」


日向が視線を上げると、心配そうに顔を見つめる二人の姿があった。


「日向さん……大丈夫?」


「あ、ああ……まあ」


そう言いつつ、拭った額は――汗まみれだった。


「……すみません。俺が、あんなもの見せたばかりに」


「いや……その事なんだけど」


「……?」


「僕なりに考えてみたんだ。あのコメントもそうだし、事件のことも……」


もしもこの推論が間違っていなかったら、事態は思ったよりも深刻――日向の中でそんな焦りが芽生える。


――その時だった。

ガシャン、と店のドアが開け放たれて。


「……あ、みんな……詩織ちゃんも」


その陰から、琴夏がちょこんと顔を出した。


「ああ、丁度良かった……そこ座ってて」


「うん……」






「……じゃあ、集まったことだし」


全員の顔を見回す。


「えっと、琴夏は今回の事件のこと……」


「もちろん知ってる。……朝のニュースで見た」


琴夏は緊張感のある面持ちで答えた。

日向も、表情を引き締めて話し始める。


「……事件について話しておきたいことがあるんだ。耳を傾けてくれると嬉しい」


その言葉に、全員が静かに頷いた。


「まず、最初――田邊先生殺害の事件について。遺体の腹部に複数の刺し傷が見られたことから、他殺で間違いないとされてる」


「でも犯人は未だ不明……っすね」


「うん。そして今回の事件……警察の新しい情報によれば、田邊先生の時と犯行の手口が同じ――つまり」


「……同一犯の可能性が高い?」


「ああ。それから――」


自分のスマホを取り出し、一つの動画を再生する。


「詩織ちゃんには、さっき言ったと思うけど」


「うん」


「ここの、ブルーシートで覆われている部分……田邊先生の遺体が遺棄された場所と全く同じなんだ」


「ああ、言われてみれば確かに……」


明彦は前のめりになって、その動画を見つめた。


「でもそれが……どうかしたんすか?」


「えっと……ここからは僕の予想だけれど」


冷や汗が一滴、机に垂れる。


「――今回の事件と田邊先生の事件が、同一犯による犯行であるということを……が匂わせてるんじゃないかって」


「え……」


琴夏の表情が凍り付いた。


「……どういうこと?」


「その……つまり」


日向の考えた可能性は二つ。


「一つは、犯人が愉快犯の類で――野次馬やネットの反応を見て楽しむ為に行っているという可能性」


「……確かにその可能性は捨てきれないっすけど。でも証拠が少なすぎる気が」


「ああ。……だからもう一つ」


言うのも恐ろしい、といった様子で日向は口を開いた。


「――僕のことを貶めるつもりで、挑発してるのかもしれない」


「……」


明彦は、眉間に皺を寄せて項垂れた。


「ちょっと待って。"僕"って……日向のこと?」


「……うん。そうだよ」


「どういう意味?」


「それは……」


日向の中には、確信めいたものがあった。

先ほどの動画のコメント欄を開く。


「え、なにこれ――」


「……初めて見た?」


「う、うん……」


琴夏の視線の先、そこに書かれている文章。

『犯人は桐谷日向』


全く同じ文面で大量にコメントされている。


「……アカウントを調べてみたけれど、個人情報らしきものは見当たらなかった」


「じゃあ、誰なのかさっぱり分かんないってこと?」


「うん。でも――これは犯人なんじゃないか、って思う」


「え――」


「……アカウントの登録日。ほら」


琴夏の前にスマホを差し出す。


「7月19日――」


「……今日は何日?」


「21日――」


「……な? まるで図ったようなタイミングだろ?」


「……うん」


そして――日向にとって更に最悪なことがあった。


「……先輩が犯人って書かれてるコメント、SNSで話題になってるっすね」


「……ああ」


ネット記事にもされていて、SNS上ではさまざまな憶測を呼んでいる。


「……名前だけが、一人歩きしてる」


「……」


「今のこの状況も……もしかしたら犯人が望んだものかもしれない」


只事ではない雰囲気が漂っている。

現実でも、ネットの世界でも。


「犯人が一体何を企んでいるのか、僕には分からない……でも」


それでも今やれることは一つ。


「事件を追い続けるしかない……」


「……俺たちだけじゃ無茶じゃないっすか?警察とかに相談したほうが――」


「いや。……逆に危ない、と思う」


「え?」


「犯人は僕のこと……もしかしたら、みんなのことも知ってるかもしれない人間だ」


そこから考えられることは……


「もし、警察に相談したことが犯人にバレたら……逆上して、何か仕掛けて来る可能性だって無きにしも非ずだろ?」


「……そ、それは。まあ」


「……とにかく今は犯人の出方を窺うしかない。情報があまりにも少なすぎる」


日向が言うには、こちらから何か手を講じることは危険という話だった。


「そもそも……犯人が単独犯か複数犯かも、まだ分からないよね」


「ああ。もちろん」


詩織の言う通り、日向たちには犯人の正体すら掴めていない。

寧ろ犯人に一方的に情報を握られている状態だ。


「……」


ここまで、マシンガンのように喋り続けて来た日向にも……流石に限界が来たらしく。

ぐったりと椅子にへたり込む。


そんな様子を見兼ねてか、琴夏は表情を緩め。


「……暗い話ばっかじゃ疲れたでしょ。ほらほら、ちょっとここらでブレイクタイムー」


そう言って気丈に振る舞う彼女。

つられて、みんなも笑顔を浮かべた。






――事件から、目を背けて。

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