第十五話

 だが、それでも〝夜〟の王は彼女に会うことを止めなかった。

 止めることが、できなかった。

 始まりの〝月〟を愛しているから。夜毎よごと、会うことを止めるという選択肢を、彼は持ち得なかったのである。


「……なんて深い愛なのかしら……」


 少し、羨ましいと「彼女」に嫉妬する自分がいる。なんて醜い感情なのかしら。月詠姫は勿忘草から静かに口を離した。

 この行為は過去の自分がどれだけ彼に愛されていたのかを、言ってしまえばできるものだった。少しの罪悪感は在れど、過去の自分が幸せそうにしているのを見てしまえば、自分はどれだけ過去の自分よりも愛されているのかと不安になる。何も憶えていないことが、これほどまでに苦しいことだと思わず、月詠姫は育ち切らない心でひしひしと感じていた。


 この「見る」行為を止めてしまえばいいと思うこともあるのだが、止められないのは過去への執着、憧れの想いが強いからだ。


(過去の自分に嫉妬するなんてどうかしている……)


 月詠姫は勿忘草の庭を後にしようと天蓋宮へ振り向いた、瞬間、思いもよらない人物が目の前に現れたことで彼女は動揺した。



「――――……天帝」



 縁側で、天帝は笑いながら月詠姫を見、月の使者から手厚いおもてなしを受けていた。天帝の持つ湯呑からは蒸気が立ち込めており、そこから天蓋宮へ足を踏み入れてからそう時間が経っていないことが窺えた。


(先程の行為を、見られていたかもしれない……?)


 そうだとしたら、まずいのではないか。過去の記憶を持ってしまったことが天帝に知られてしまったなら、どう処罰されるのか。

 しかしあの天帝のことである。きっと知っていても、知らぬ振りをして、挙動不審に陥った自分を見て楽しもうとすることだろう。どちらにしても悪趣味だと月詠姫は思った。


 月の使者がその場を下がっていく。その愛らしい姿が見えなくなると、天帝は空気を読んだように、おもむろに口を開いた。


「やあ、我が〝月〟よ。暫く見ないうちにやつれたか?」


 天帝の声に、心配の色は無い。分かっていたことだ。

 天帝の世界とは、常に彼の興味で作られている。そして天帝の思考の世界には、月詠姫という「部品」は存在しない。彼女はそれを自覚していたので特に何も思わなかった。


「お久しゅうございます天帝。如何されました? 月は、今宵は隠れております故、月見の茶会を催すには少し物足りないのではございませぬか?」

「なんの理由も無しに、我がここへ訪れては悪いか?」

「……いえ……。そういう、わけでは」


 分かり易く俯いた月詠姫を見て愉悦感を得たのか、天帝は意地の悪そうな顔をして、それに、と言葉を続けた。


「新月でないとお前は、心を開いてくれないではないか。話をしようにも、会えなければ意味が無いであろう?」

「そのような煩わしい手を使わずとも、天帝であれば容易にこの庭へ訪れることが可能でしょう? 貴方様ほどの力をもってすれば……いいえ、我らの創造主たる貴方様なら、」

「こればかりは、お前に拒絶されてしまっては這入はいれる場所にも這入れぬのだよ」


 グハハッ、と腹の底から嗤う天帝に月詠姫は訝しい表情を見せる。読めない神であると以前より思ってはいたが、ここまでとは思っていなかった。


 が生まれて、まだ一年にも満たない。天帝という存在をその短期間で知るのは俄然、無理難題な話だ。


(分からない)


 月詠姫は素直にそう思った。

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