勿忘の姫

第十四話

 新月の時が好きだ、と月詠姫は心中独りごちる。


 彼女の心は疲れ果て、今にも儚く消えてしまうかもしれないというのに、と触れ合える唯一の時間を噛み締められる絶好の機会だから、と理由を付け加えて、今宵も天蓋宮の寝台から無事に帳の降りた夜を眺める。


 心身ともに憔悴しているというのに〝夜〟に触れられることに喜びが込み上げるのは、少々気狂いな気もするが、夜宵王と触れ合えるこの日を彼女は何よりも待ち侘びていたのだ。この想いは何よりも強かった。


 照胤王と別れてから今まで、深く眠ってしまっていたらしい。起き上がり、ゆっくりと寝台から白く細い足を伸ばす。透過しているように色素の薄い足が縁側の床にぺたりと付けば、ひんやりとした感触が月詠姫の目を覚まさせた。

 さわさわと庭の勿忘草たちが歌っている。月詠姫は歌うに近付くと、その一つに触れ優しく口づけた。


 少しでも記憶を残したいと思い、始めた『花写はなうつし』。


 いつしかそれは美しい勿忘草の花海を作り出した。ここに咲く勿忘草たちは、歴代の〝月〟の姫の記憶を封印し、護っている。つまり、この花に触れればおのずと過去の記憶を覗き見ることができる。

 本能だった。勿忘草に触れることも、口づけて記憶を呼び起こすことも。

 何もかもを失った〝月詠姫〟は、本能でまず始めにこの勿忘草を触れる。そこで知るのだ。


 嗚呼、自分は〝月〟である、と。


 己について知ると同時に、どうして全てを失ったのかを知る。「月蝕」について分かっていることは限られていたが、自分という存在が失われる儀式であるということだけは、嫌というほど今代の月詠姫の脳裏に刻み込まれていた。


「月蝕」が行われる周期が決まっているように思える。


 というのも、三年という時間を掛けて形成される彼女の心に並行し、あるきっかけが訪れるとその沙汰がしらされているようだ。どの勿忘草の記憶を辿ろうとも、決まってそれは三年という月日の周期だった。その周期には、月詠姫自身、心当たりがあった。



 ――夜宵王に、想いを自覚するまでの、時間。それが「月蝕」が執行されるきっかけだ。



 始まりの〝月〟の姫は〝夜〟の王に恋をしてしまった。逢瀬を重ねるごとにその想いは大きくなっていった。それを面白くないと思った天帝が下した制裁こそ「月蝕」の起源だった。


 全てを忘れさせ、世界の歯車としての自覚を無理矢理持たせることでこの恋慕の巡りを収束させようとしたのだと思う。だが、代替わりによって生まれ変わった次代の〝月〟の姫は、再び〝夜〟の王を愛してしまった。


 そこからは負の連鎖だ。


 何度代替わりをしても〝月〟の姫は繰り返す。その記憶の継承をしないために起こる負の連鎖は、次第に〝夜〟の王の心を蝕み、壊していった。

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