第四話

 彼らは人のかたちをしてはいるが、決して人にあらず。


『天帝』の提示した契約は、残酷なまでに彼らの愛を拒絶した。


「もう泣かずともよい。今宵の星はそなたのように美しく輝いている。これ以上そなたが心を痛める必要はない」

「はい、夜宵王様……」


 夜空に輝く星々を形成するのは、月詠姫の涙の跡である。彼女の零す涙は美しいが、そのほとんどが悲しみの色に染まったものなのだ。これ以上、彼女の悲しむ表情かおは見たくない。夜宵王は心の内でその言の葉を秘める。

 たとえこの想いを伝えたとしても、月詠姫は下界に生きる民のために心を削り、泪石を宵闇へと落とすだろう。月の満ち欠けとは、故に月詠姫の心の満ち欠けと同義であった。


 それが、月詠姫の〝世界の歯車〟としての役割だった。


 月詠姫は膜先に留まる夜宵王の掌に、縋るように近付く。決して触れることが叶わずとも、今はその偽物の温もりを感じていたかった。


「……あ」


 ふと、月詠姫が何か大事なことを思い出したのか、そんな仕草をした。突然のことに驚いた夜宵王であったが、すぐに平静さを取り戻し「ん?」と優しく月詠姫に問う。月詠姫は少しだけ不安そうな瞳を夜宵王へと向けた。


「あの、今年も織姫様と彦星様はちゃんとお会いになられましたか?」

「ああ、無事に出会えたようだ」

「良かった。……わたくしは彼らのために天の川への道をしるすことしか、お手伝いができませんから……」


 尻すぼみに自信を失っていく彼女の声が愛おしく思えて、夜宵王は思わず「ふっ」と笑った。


「そんなことは無い。日々、美しく輝き、世界に光を与えてくれる」

「それは夜宵王様がいてこそですわ。わたくしだけでは、民を照らすことなどできませんもの」

照胤しょういんが言っていた……月詠はその美しい心を民の目に映すことができる。自分では、民の目を焼いてしまうから、そなたのことが羨ましいそうだ」

「ふふ。照胤王がそのような」


 照胤王とは、夜宵王が〝夜〟であり、月詠姫が〝月〟であるように、かの者もまた〝日〟の化身であった。彼は夜宵王の弟であり、そして月詠姫のよき理解者でもあった。

 心なしか月詠姫の頬に淡い桃色が差し始める。先程よりも幾分か顔色が良くなったことに、夜宵王は安堵した。


「私も同じ気持ちだ、月詠」

「……嬉しゅうございます、夜宵王様」

「私は、民の世界を深淵の闇へと誘うことしかできぬ」

「そんなことはありませんわ」

「……そうだな。そなたの姿を、一等美しく民に自慢することができる」


 夜宵王の言葉に、月詠姫は少し照れくさそうに視線を逸らした。

 二人の会話はまるで夫婦めおとのように仲睦まじいものだったが、彼らは決して〝夫婦〟という関係ではない。


 夫婦にはなれない。


 想うことはできても、恋人にはなれない。なりたいと強く思っても、なれないのだと悲しくも双方は理解している。


 彼らは『そういう』存在であった。


「今宵は三日月であったな。もう少し、あと少し頑張ろう。さすれば、この手を触れることができよう」

「……はい、夜宵王様……」


 そう夜宵王が告げると、一筋の涙を月詠姫は頬に伝わせた。その涙の美しさは、一等星の如く輝いていた。

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