後編

 デリヘルの仕事は、二度と思い出したくないようなことばかりだし、私の営業用のSNSには気味が悪いほどのハートの絵文字が整列している毎日だった。それだけではなかった。「お店には内緒」と言って別料金をさらに貰い、ヤる男とはヤっていた。余りにも本番行為を求める男が多かったからだ。もし男からの要求を断ってトラブルに巻き込まれることを考えると、そのほうが自分の身を守る選択肢として賢明だった。自分から本番行為を求めたこともある。本来、男の行動も、私の判断も、それから、その行為自体も全てがトラブルであるはずだが、当然のように、店にクレームが入ることもなかった。店も私の違法行為には目をつぶっていたのかもしれない。


 どれもデリヘルをする前から覚悟していたとはいえ、なかなか身にこたえた。大抵の男は容姿だけを褒める。意外なことに私の性格自体を好きでいてくれて、尊重してくれる男もいた。しかし、ただそれだけだった。



 やはり、私のような女がいるからだろうか。旅行や出張などを理由に遊びにくる人もいるが、一部の客は、すすきののために、わざわざ札幌にやって来る。あまりにも汚いと評判の良くないラブホテルはドラマのような心霊現象も起こると噂されている。だから、そこへは出勤しないというのが相場で私もそうしていた。それでも、ビジネスホテルであってもラブホテルであっても私には同じ出勤する場所に見えていた。


 札幌に嫌いな場所はなかった。しかし、いつの間にか、ホテル街近くの中島公園さえも嫌になっていた。誰だって職場の近くには近寄りたくないものだ。小中学生の頃に、思い描いていた大学生活とはまるでちがうものになっていた。


 今、振り返ってみると、けして互いに語り合いたくはないが、きっと私と同じ大学で同じ学年で同じすすきので働く女もいたのだろう。客に優しくされたか、たぶらかされて、恋愛関係になった女がいる可能性もある。その客は既婚者で女の身体が目当てだけかもしれないが、女がコンプレックスをも抱かれたのであれば、説教できるような立場も気持ちも私にはない。


 その当時、私は彼氏をつくろうとは思わなかった。



 その事件が起きたのは、デリヘルをはじめてから一年と半年が過ぎた冬のことである。


 年末のすすきのは忙しい。クリスマスシーズンがなぜ忙しいかは割愛する。どんな人間も互いに了解を得た上であれば、恋人から無理矢理犯されたい。そんな季節だから。と、だけ触れておく。私の出勤先はそんな恋をしていない男から呼ばれるビジネスホテルばかりだ。しかしクリスマス以外にも、一年の締めくくりに。という暦の神様にでも怒られそうな理由で、たくさんの男たちが群がってくる。それから、年明けにも仕事がはじまるまで暇だからという、あまりにも、おめでたい理由で性欲の捌け口を向ける男もいる。

 だから十一月末から一月中旬までは、お金と時間、それから自分のこと。その三つを天秤に掛ける必要がある。去年の冬は、あまりにも時間を費やしてしまったので、今年は出勤の数を減らした。



 その日は、いつも通りネットに自撮りと文章を掲載して、いつも通りホテルへと向かった。

 そのホテルはもう馴染みの勤務先になっていて、この場所の空気や匂いも知っていた。違うのは客の顔だけであろう。

 しかし、ホテル入口の自動ドアが開いた瞬間から、何かがおかしかった。このホテルが急に嫌になった。いや、おかしいのはホテルではなく、私かもしれない。景色も温度も聞こえる音も、私のことを惑わせた。この場所から立ち去る理由は本当は何もないはずだが、突然の体調不良とでも嘘をつけば良いと私が自分自身に何度もそう言い聞かせていた。しかし、客はもう何分も待っている。待っている時間は男にとってストレスにしかならない。私が客だとしても、その気持ちはよくわかる。商品の配送が遅れることはよくない。私は客が待っている部屋へ必死に向かった。エレベーターの中ではしゃがみこんでしまうほどだった。


 待っていた客は平然としていた。いわゆる、はじめましての客だったが、何を話して、何をすべきかは、おおよその検討がついた。いつも通りの定型文のような会話をする。私の頭の中は、この部屋に満ちた嫌な気配に支配されていたが、男との会話には何も支障が起きなかった。「知っているはずの、このホテルの何が嫌なんだろう」そればかりを考えていた。


 答えは会話を済ませた後、すぐにわかった。もともと、ラブホテルでは心霊現象のラップ音がよくある。それは、このホテルでも全く同じことだ。しかし、いつもより少し激しい。音自体も大きければ、音の間隔も短い。この呑気な男はそれに気がついていないのだろうか。頭の中の不安を消し去るために男に尋ねたかった。しかし、男の夢物語に今日のヒロインである私が、そんな台詞を言うわけにはいかない。すでに男は私の頭のことなんか何も知らない様子で、服の上から私の身体を触っている。


 しかし、私が男にシャワーを浴びようと言った瞬間だった。


 消えていたはずのテレビが強い光を放つ。多少の心霊現象に慣れている私もさすがに驚いた。男も驚き慌てふためいており、テレビのリモコンを探していた。男の姿はあまりにも情けなく、滑稽に見えたその景色は今でも覚えている。もちろん私も慌てている。一緒になってリモコンを探していると、勝手にテレビは黒い鏡へと変化した。つまり電気は消えたのだ。


 男が料金はもう要らないから、このホテルを今すぐ二人で出ようと勝手なことを言った。私は店に電話をして迎えに来てもらわなくてはいけないことを伝えると、男は自分の持ち物をまとめていた。

 しかし、男の言うことが正しかった。部屋の電気が一斉に消えた。さらに同時に火災警報が鳴ったのである。


 ドアを開けてすぐに外へ出た。その時のことはあまり覚えていない。

 とにかく無事に脱出した。


 たちまち、ホテルの外観は炎で見えなくなっていった。この十二月の寒空の下、裸のままの男女も、片方だけが服を着ている組み合わせもいる。全てが色とりどりで、チグハグだった。その光景が面白く、さっきまで命の危機が迫っていたはずなのに、私は吹き出し、笑ってしまった。


 その瞬間だった。


 火は猛り、すすきのの夜空に一輪の薔薇が咲いた。燃え盛る炎が、私の心を焼き尽くした。

 その「火」を私はゆっくりと撮影した。きっと私は周囲から見たら異様だったと思う。でも、私には不思議な余裕があった。

 それから、すぐに店に電話をして私は火事があったことと、同時にこの職を辞めることを報告した。理由は火事が怖かったからと言ったが、店側は理由を聞き流していた。

 後に知ったことだが、暖房器具が原因で火事になったらしい。どう考えても心霊現象だったテレビの一件は何もなかったことになっている。

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