1-12 岩永朝司

 岩永朝司が放課後、いつものように自分の席に座りながら窓の外を眺めていたら「決着をつけにきました」という声が聞こえてきた。振り返れば、咲那が立っていた。


「決着?」

「はい。今日、ここで全ての決着をつけます。今から九重さんが来ます」

「どういうこと?」

「実は九重さんには秘密があるんです。で、匿名で、その秘密を理由にここに呼び出しました。私は恋愛の神様に相談しに来た生徒という体裁を取ります」

「また詐欺師みたいなことをしようとしてるの?」

「私はやめてもいいんですよ? 強引にでもハッピーエンドにしたいのは岩永さんのほうでしょう?」

「そりゃまあ、そうだね。ああ、悪かった。君の言うとおりにする」

「岩永さんはそこで黙って座っててください。いつもの恋愛の神様らしく」

「はいよ」


 とうなずき、言われたとおり黙っていることにする。咲那がスマートフォンをいろいろ弄っていたら、廊下から足音が聞こえてくる。ガラガラと音を立て、教室の扉が開いた。

 やってきたのは九重真奈美だった。

 九重は挑むような咎めるような視線を咲那へと向けてくる。


「小井塚さんが手紙を書いたの?」

「手紙……? なんのことですか?」


 咲那はすっとぼけていた。


「私は、その……こちらの恋愛の神様にいろいろな相談を……九重さんは違うんですか?」

「私は……人に呼ばれて……あなたじゃないなら、別にいいんだけど……」


 困惑したように視線をそらし、腕を組んで立っていた。


「あの、もしよろしければ私の相談……というか、私の友人からの相談を聞いてもらえますか?」

「私に?」

「いや、えっと……この恋愛の神様も胡散臭いですし」


 朝司は「こっちだって好きでやってないんだけど?」と声をあげたが、咲那には全力で聞き流された。


「そっちがいいなら別にいいけど……少しだけなら」


 咲那は「ありがとうございます」とペコリとお辞儀をしてから始める。


「実は私の友人に、その……自分の容姿にコンプレックスのある子がいるんです」


 友達なんていないくせにツラツラとよくもまあ嘘を並べられるものだと朝司は思った。


「小学生の頃から、容姿を理由に主に男子にイジメられておりまして、まあ、さすがに高校生になると表立って悪口を言われることは無くなりましたが、その当時のことがトラウマになっていると言いますか……」


 咲那が話を進めていくうちに九重の表情が曇っていく。


「あ、実は私もその友人と同様、小学生の頃にガッツリいじめられておりまして……ほんと、男子って嫌ですよね……」

「それは大変だったね……」

「まあ、私は全力で二次元とかあっちの世界に行くことにしたのですが、友人はまだ三次元に未練があるらしく……でも、容姿にコンプレックスがあるせいで、恋もできないそうで。なにか、友人を元気づけられる方法とか無いですかね?」

「……本人が変わるしかないんじゃないかな」


 ポツリと九重が答えた。


「その友達のことは知らないけどさ、私も、小さい頃はけっこうイジメられたよ」

「九重さんがですか? ありえませんよ」

「昔は太ってたんだ。あと眉毛とかめっちゃ太かったしさ。それでブスだとかデブだとか、言われまくったよ」

「そうだったんですね……じゃあ、痩せてそんな素敵な姿に?」

「……うん。あとはメイクかな? いろいろ研究した」

「メチャクチャナチュラルメイクだと思いますが? やっぱり下地がいいかと思います」

「そんなこと無いよ。だから、小井塚さんの友達もさ、とりあえずがんばってみたら――」

「でも、彼女はダイエットとかしてますし、メイクもすごくがんばってます。私から見ても、顔が悪いとは思わないんですけど、部分的にコンプレックスが強いらしくて」

「どこ?」

「目ですね。ザ・日本人という具合の一重瞼なんです。アイプチとかでがんばってるんですけど、なかなかうまくいかないみたいで……」

「……じゃあ、整形とかしたらいいんじゃないかな? 割と安くできるよ?」

「そういうのは怖いと言ってました」

「メス入れないやつもあるし、コンプレックス抱えて前に進めないなら、整形はガチでアリだよ」

「そういうものでしょうか? さすがに根拠なく勧めることは難しいですね……」


 ふと九重が何か言い淀む。そしてため息まじりに口を開いた。


「私も少しだけ弄ってるからさ……」

「え?」


 思わず朝司も咲那に合わせて「え?」と声をあげてしまった。


「さっきも言ったでしょ? 小学生の頃、けっこうガチでイジメられててさ。男子にブスとかデブとか言われてて……で、不登校になったの」


 咲那は「それは、とても辛かったのではありませんか?」と真剣な表情で九重を見ていた。


「うん、マジで辛くてさ……でも、一人だけ優しい子がいてさ、その子がいるとイジメられないんだよ。一回、その子に言われたことあるんだ。『別にお前はブスじゃない』って。でもさ、鏡見て思うんだよね。いや、ブスだろって」


 苦笑を浮かべながら九重が続ける。


「で、父親の都合で秋田に引っ越すことになってさ。イジメから解放されたんだけど、心のほうはもうズタボロなんだよ。引っ越したから社会復帰できるってわけでもなくて……中学三年間、ほぼ引きこもり。勉強だけはしてたけど」

「イジメって辛いですよね……終わったところで記憶は残るから、ずっと苦しみます」

「……うん。私の場合はイジメのせいで容姿にコンプレックスができちゃってさ。小井塚さんの友達と同じ。私、小井塚さんみたいなパッチリ二重にめっちゃ憧れてたよ」

「いえ、私のは父からの遺伝で私の力ではなく……」

「パッチリ二重の遺伝子持ってるとか、いいお父さんじゃん。私なんて両親とも、ガチの一重だよ」

「まあ、たしかに父は二重ですけど、他所に女がいますよ?」


 朝司は思わず「え?」と声をあげ、すぐさま黙った。


「小井塚さんの家もそうなんだ? うちも父親の浮気が理由で離婚した」

「私の家は別れてはいませんけどね。母も気づいているんだか気づいてないんだか……ま、知ったこっちゃないとスルーしてます。それさえ無ければ、割と理想的な家族ではあるので」


 苦笑を浮かべながら「まあ、反抗期の振りして全力で父親とは口きいてませんけど」と付け足した。九重は「だよねー」と軽いノリで笑っていた。


「うちはお母さん、めっちゃキレて、いろいろあって離婚した。その時、両親が好き勝手するなら私だって好き勝手してやる! って整形してさ。お母さんと一緒にこっちに戻ってきた」

「やっぱり出身が秋田じゃなかったんですね?」

「うん、私、もともと千葉出身なんだ。お母さんの実家が東京でさ、今はそこで暮らしてる」


 呆れたように肩をすくめながら九重は空いている席に座った。


「あれ? でも、そんな話したことあるっけ?」

「いえ、九重さんが方言使ってるのを聞いたこと無いので、もしかしたら関東出身の人なのではないかな? と思ったんです」

「そう。小学校卒業するまで千葉。中学三年間引きこもりの時は秋田。で、舞い戻ってきたって感じ」


 ヘラヘラ笑いながら続ける。


「てか、こっち戻ってきた時、めっちゃウケたよ。誰も私のことブス扱いしなくてさ、超驚いた。なんか、美人の見てる景色ってこんなかーってすっごく驚いた」

「……それは悲しいですね」


 咲那の言葉に九重は一瞬驚いた振りをしてから「うん、そうだね」と悲しげな苦笑を浮かべた。


「嬉しさより悲しさのほうが先に来たかな、その後は怒り? 本当はさ、整形って嘘じゃん? 本物の自分じゃないでしょ? そういうことに罪悪感みたいなのあったんだけど、ブスとかデブとか言ってた連中が、手のひら返してくるなら騙してもいっかなって思っちゃったよね……そしたら、もうあとは無敵状態。男子はみんな優しいし、女子もかわいい子から声かけてくるし、ほんと、嘘みたいに世界が変わったよ」

「だから、私の友人も整形をしたほうがいいと?」


 九重はしばらく考えこんでから「わっかんない」と苦笑を浮かべた。


「ほら、小学生の時、一人だけ私に優しくしてくれた人がいたって言ったじゃん。それが今の彼氏」

「秋月拓志さんが?」

「フルネーム知ってるのって珍しいね。まあ、先輩、有名人だからね……」


 呆れたようにため息をついていた。


「でも、今は落ち着いたと聞いてます。九重さん一筋だと」

「うん、そうなんだと思う。でもさ、先輩は……昔っから変わんないんだよね。たぶんさ、前の私の顔でも優しかったと思う。そういう人なんだよ」

「好きなんですね」

「うん。大好き。でもさ、私のほうがもう一緒にいるのがしんどい。耐えられないんだよ。他の人だったら、開き直っていられたけどさ、先輩は無理。だって、私は先輩と違って嘘つきだから――」


 瞬間、勢いよく教室の扉が開いた。


「お前、あの真奈美だったのか!?」


 叫びながら入ってきたのは、秋月拓志その人だった


「どうして……?」

「いや、どうしたもこうしたも、お前、あのイジメられてた中谷真奈美か? 小学生の頃、集団登校で俺が班長で!」


 九重は半泣きになりながら目を見開き、秋月を見た。すぐさま、覚悟を決めたかのように口をへの字に結ぶ。


「うん。先輩の近所に住んでた中谷真奈美。ぜんぜん気づかないんだもん」

「いや、だってそりゃあ、気づけないよ。だって、ぜんぜん違うし……」

「だからさ、終わりにしようって言ってるの。先輩が見てきた私は嘘で――」

「待って。それで別れたいって言ってたってことでいい? 整形がどうとかで」

「やっぱり聞いてたんだ」

「いや、聞こえたから……盗み聞きしたのは謝るけど……てか、それはとりあえず置いておいてくれ。整形したことを気にして別れたいって言ってるの?」


 九重は涙をこぼしながら「うん」とうなずいた。


「じゃあ、俺のことが嫌いだとか、俺のことを信じてないとか、そういうことじゃないってこと?」

「うん」


 秋月は「なるほど」と相槌を打ってから椅子に座る九重の前で中腰になって跪いた。


「俺が真奈美を好きになった理由、言ってなかったっけ?」

「聞いてないけど……」

「顔じゃなくて、お前の振る舞いを見てたんだよ。少し前にさ、お前、駅で具合悪そうなお婆ちゃんに声かけてただろ? でさ、なんかすっごく優しく対応してたじゃん。それ見て好きになったんだよ。いい子だなって」

「先輩も声かけてくれたよね? それで一緒に救急車来るまで待って……」

「俺はさ、たしかに真奈美に会うまでいい加減に恋愛してたと思う。今までつきあってきた子たちには悪いけど、本当に好きじゃなかったんだ。だから、告白されたら、その場の勢いとかノリでとりあえずつきあってさ……」


 咲那がポツリと「それはそれで最低ですよね」とこぼした。


「いや、わかってるよ。最低だったよ。でも、断わって泣かれたりするのも面倒だったし、もういっそ開き直って、俺は不特定多数とつきあうけどそれでもいい? って尋ねたら、それでもオッケーだって子までいて。いや、だから、昔の俺はバカだったんだ!」


 言いながら「とにかく!」とジッと九重を見つめた。


「顔だけで言えば、そりゃあ美人な子ともつきあったよ。でも、そういうことじゃなくて、俺が好きになったのは、マナの根っこの部分なんだよ。見た目とか正直どうでもいい。てか、俺がつきあってきた彼女の写真とかどっかで見ればわかるぞ。顔で選んでないって!」

「なにそれ」


 不意にプッと九重が涙を浮かべながら噴き出した。


「昔の彼女の話なんて、普通、今の彼女にしないよ」

「それは謝る! でも、本当のことなんだよ! 俺が好きなのは真奈美の顔じゃない! 優しくて思いやりがあって! そういうところ! 俺は真奈美のそういうところが好きになったんだよ! だから、整形とか見た目とか気にしないって! 俺は小学生の時も真奈美のことをブスだって思ったこと一回も無いし!!」


 九重は「そうだね、先輩は昔からそうだもんね……」と苦笑を浮かべた。


「真奈美が整形してようとしてなかろうと、そんなの関係なく、俺はお前のことを好きになったよ。それは、誓って言える」


 秋月は真剣な表情で九重を見つめた。


「だから、別れるなんて言わないでください。なんでもするから……」


 九重はその両目に涙を浮かべながら「ごめんなさい」と言った。瞬間、秋月が泣きそうな顔になる。


「――もう別れるなんて言わないから、もう一度、私とつきあってください」


 秋月は言葉で答えずに、九重の唇を奪って答えた。咲那は固まり、朝司は朝司で「おお」と声をあげる。二人のキスに気おされたのか、咲那はロボットのようにギクシャクした動きで、教室から出ていこうとする。


 だが、キスをやめた秋月が咲那へと視線を向けてくる。


「誰だか知らんがありがとう。君のおかげで仲直りできた」

「あ、はい」


 振り返らずに咲那はコクリとうなずく。その流れのまま秋月は朝司のほうへも視線を向けてきた。


「岩永、お前に相談して良かった……ありがとうな」


 秋月の泣きそうな顔を見ながら、朝司は苦笑を浮かべる。


「別に俺はただお前の話を聞いてただけだよ」


 そう言って立ち上がると、どう動くべきかテンパっていた咲那の肩を叩く。


「邪魔者はさっさと消えよう」


 言われるがままに咲那も教室を出ていく。しばらく誰もいない廊下を一緒に歩いてから、スイッチが入ったかのように咲那が「キスした!」と声をあげた。


「そうだねぇ、してたなぁ。リア充ってすごいなぁ」


 朝司が苦笑を浮かべながら答えれば。咲那は「生でキスするシーン、はじめて見ました」とうろたえていた。


「でも、君の書く小説にだってキスシーンくらいあるんじゃないの?」

「ありますけども! クライマックスですよ!! 男子の読むちょっとエッチなラブコメとは違うんです!」

「まあまあ、落ち着いて。叫んでたら、二人に声が聞こえるよ」


 咲那は顔を真っ赤にしたまま口をつぐむ。歩きながら朝司は気になっていたことを咲那に尋ねた。


「もしかしてだけど、秋月が来たのも君の狙いどおりだったの?」

「まあ、一応……相談者が岩永さんの場所に来る日はなんとなくわかってたので」

「どういうこと?」

「秋月拓志が相談に来るのは、九重さんと一緒に帰らない日です。それが私にはわかりました」

「毎週、金曜日とか? いや、でも、前は違った気が……」

「九重さんのグループにはリーダーの岩城さんという方がいるんです。で、岩城さんはアルバイトをしてるのですが、彼女が休みの日はグループメンバーで遊ぶことがほぼルーチンみたいになっています」

「ふ~ん、友達同士でもそういう縛りとかあるんだ?」

「縛りは特に無さそうですけど、元イジメられっ子は、基本、人を信用しないので顔色うかがって遊んじゃうんじゃないですか? 最近つきあい悪いよね? とか言われたら、九重さんみたいなタイプはとてもビビるでしょうし……」


 女子の人間関係も難しいなと思った。


「それで、その日は九重さんも友達を優先するらしくてですね。今日は岩城さんのバイトが休みの日なんです。実際、相談者の人が岩永さんのところに来た日を照らし合わせましたら、いろいろ日取りが重なったので、まあ、来る確率は高いんじゃないかな? とは思ってましたよ」

「もし、秋月が整形の件、受け入れなかったらどうするつもりだったの?」

「ほぼ受け入れると思ってました。実際、相談者が言ってましたけど、あの人、恋人を顔で選んでないんですよ。これまでの彼女さんたちの写真を悪口アカウントの方に見せてもらいました。多種多様な女性とおつきあいなされてましたね。なんか、女性なら誰でもいいみたいな感じで軽く引きました」

「それはそれですごいな……」


 だが、モテる理由もわかった。顔はテレビに出ていてもおかしくない美男子だが、女性であれば容姿年齢を問わず二つ返事でつきあう男。性別を逆転して考えれば、そりゃモテると思った。


「なんかそういうこと知れば知るほど好きになれませんけど……まあ、今後は九重さん一筋で行くというなら、いいんじゃないでしょうか?」

「君は秋月に対して厳しいね」

「元彼女さんたちがかわいそうですからね」

「それ思うんだけどさ、相手も秋月の顔だけで選んでたんじゃない?」

「どういうことですか?」

「だって、あいつ、告白された時に本当に不特定多数とつきあうって伝えてたよ。それでもOKだって言う相手が本気で秋月のこと好きだったのかな?」

「それは、まあ……たしかに、あの顔だけが好きだったのかもしれませんね……」

「あいつは、その辺、たしかにだらしなかったけどさ、それ以外はいい奴だったよ」

「まあ、多少は認めないこともありません。彼の告白に嘘はありませんでしたしね……たぶん、小学生の頃、九重さんの容姿も本気で受け入れてたんだと思います」


「お互いに顔以外の何かを見るタイプだったんだろうね。お似合いの二人だ」

「まあ、恋愛の神様がそう言うなら、そういうことにしておきましょう」


 咲那は呆れたようにため息をついた。


「今回の相談は、これにてハッピーエンドで締めていいですか?」

「いいんじゃないかな?」

「なら、次はもっとピュアピュアで胸がキュンキュンする相談内容を教えてくださいよ! なんか、今回の相談で小説書ける気しないんですが?」


 朝司は「そうだな~」と腕を組んでみる。


「とりあえず、次はもう少し楽な相談だといいね」

「楽ってなんですか? またこういうことやらせるつもりですか!? しませんよ! しませんからね!!」


 その言葉に応えず、朝司は逃げるように歩調を速めた。


「次もまたよろしくね、小井塚さん」

「私は小説のネタが欲しいだけなんですよ!!」


 批難の声をあげながら追いかけてくる。そのまま朝司は玄関まで小走りで向かった。


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