1-11 小井塚咲那

 小井塚咲那にとって昼休みは憂鬱な時間だった。

 本を読むにしては周囲がうるさい。だからと言って雑談に興じる相手もいない。真の孤独というものは絶対的なものではなく相対的なものだ。最初から宇宙に一人なら、寂しいとは思わないだろう。だが、多くの自分以外は誰かとコミュニケーションをとっている状況で一人なのは、孤独をつきつけてくる。


 普段は「だからなんだ? 私はホモサピエンスとは関わらない」と心に楔を打ち込んでいるのだが、時々、不意に「うわ、なんかきつい」と思うことがある。だから、普段はひと気の無い場所で、独り昼食を済ませるのだが、ここ数日ほど九重観察のために自分の席で昼食を摂っていた。


(なんで、あんなにキラキラしてるんだろう……?)


 心の底から目の前の現実を楽しんでいる雰囲気がある。朝起きた瞬間「今日もいいことあるといいな」みたいなメンタルを持ってそうだ。咲那は朝起きる度「学校行きたくない」と思うというのに。

 と、それら全ては咲那の勝手な妄想ではあるが、連中の笑顔に嘘は無い。空気を読んで笑っていることもあるようだが、基本は楽しそうだ。ついでにやや傲慢なところも見え隠れするが、誰しも自分を特別だと思うのはしかたがない。

 絶賛ぼっちの咲那自身だって、自分はプロの小説家で周りとは違うと思っている。


(その点、九重さんって、どうにも違和感があるんだよな……)


 笑ってはいる。おそらく嘘は無いと思う。だが、嘘の笑顔が多い気がする。ただ、それは特段珍しいことではなかった。誰だって周りに合わせて振る舞うものだ。


(それ以外にもなんか違和感があるんだよな……なんだろう? 嘘をついてるってわけじゃないんだけど……)


 今も九重は友人の女子たち二人と雑談を交わしていた。遠くから見ても九重は飛びぬけて美人だと思う。

 だが、なにかが引っかかる。しかし、その何かがわからない。ほんの微かに現れる表情のことを微表情と呼ぶのだが、さすがの咲那でも微表情は近くで観察しなければ、判別できなかった。さすがに盗み見のような見方では、難しい。


「小井塚さん、九重さんのこと気になるの?」


 不意に声をかけられ「ふぇっ!」と変な声が出てしまう。驚きながら振り返れば、そこには田代美玖が立っていた。秋月に関する件を調査する際、何かと話しかけることがあった。結果、なぜか田代のほうから咲那に話しかけるようになったのだ。


「いや、その……綺麗だなと……」


 田代から視線をそらしながら答える。


「まあ、九重さん、美人だからねぇ……さすが秋田美人だよ」

「え? あの……秋田出身なんですか?」

「お父さんが転勤族なんだってさ。それで、中学は秋田のほうだって言ってたよ」

「そうなんですね」


 相槌を打ちながら黙ってしまったら「どうしたの?」と尋ねられた。


「いえ、その……九重さんが方言使ってるの聞いたこと無いので。一般的に東北のほうって方言がきついイメージがあるので」

「あ、言われてみれば、たしかに……がんばって標準語覚えたんじゃない?」


(なるほど、たしかに知らないことは多い……)


 本人に直接尋ねるべきかどうか考えつつも、今はどうやって田代との会話を切り上げるべきかに思考のリソースを割かれてしまう。

 不意に九重がスマートフォンを取り出し、ディスプレイを確認した瞬間、その表情が曇った。最初は幸福、その後、悲しみと恐怖が混ざっていた。細かい表情までは距離が遠くて読めなかったが、幸福と忌避感の混ざりあった何かを見たのだろう。

 そこから類推するに、おそらく秋月からの連絡があったと思われる。


 九重は作り笑いを浮かべて、友人たちに何か話しかけているのが見えた。その後、すぐに立ち上がって教室を出ていく。仮に秋月からの連絡だとするならば、会いに行くつもりなのかもしれない。


「あ、すみません、田代さん、ちょっと用事がありまして……その、えっと、失礼します」

「あ、うん、いきなり話しかけてごめんね」

「いえ、その、嫌とかではなく……その、すみません……」


 しどろもどろになりながら逃げるように咲那も教室を出ていった。

 田代は悪い人ではないし、自分のような陰キャにも話しかけてくれる程度にコミュ力が高い。だが、やはり人類全般との会話は苦手だ。意識せずに勝手に相手の心情を読み取ろうと頭が働いてしまう。


(岩永さんみたいによくわからない人だけだったらいいのに……)


 そんなことを考えながら咲那は九重の後を追った。

 昼休みの廊下は人でごった返しており、尾行している咲那の気配を消すのに役立つ。尾行の基本は探偵モノの小説で読んだことがあったので、その技術を信じることにした。


 尾行というものは一定の距離を保つよりも、アトランダムな距離感を意識したほうがいいらしい。また、絶対に尾行対象者に視線を向けてはいけない。もし、仮に対象者が立ち止まったら、こちらは立ち止まらずに通り過ぎていく。そのうえで、対象者の視線に入らないような位置でやり過ごすなどなど。


 実際、そんな意識などせずとも、九重は咲那の尾行に気づかずに歩いていく。そのまま以前、秋月と喧嘩していた校舎裏へと歩いていった。咲那は昇降口の前で、どうするべきかと立ち止まる。


「君も来たんだ?」


 その声に視線を向ければ、朝司が腕を組みながら立っていた。


「……いきなり話しかけないでくださいよ。目立つって言ったじゃないですか」

「人はいないから安心して。さ、二人を追いかけようか」

「プライバシーを侵害するようで、どうにも乗り気になれないんですけどね……」

「人の心は読めちゃうのに?」

「……心が読めるわけじゃありません。感情が読めるだけです。それくらい、みんなやってますよ。笑ってれば、幸せなんだろうなって誰でもわかるでしょ? 私の場合、その精度が人より高いってだけの話です」


 隠したいことを暴いたところで、いいことなんて無い。


「これも全てハッピーエンドのためだよ」

「岩永さんって強引ですよね……」

「チャンスは活かさないともったいないだろ?」


 言いながら歩きはじめる朝司の後を追っていった。そのまま校舎裏へと足音を殺しながら近づいていくと、二人の会話が聞こえてきた。


「真奈美、もう無理ってどういうこと?」


 秋月の言葉に九重は応えない。壁に張り付きながら覗きこめば、今日は九重の表情が見えた。影になって秋月の顔が見えないのが残念だが。


「……ごめんなさい。私が全部悪いだけだから」

「いや、意味わかんないって。あのツイッターだって全部嘘だって言ってたじゃん。俺、ほんと、真奈美だけだよ? どうしたら信じてくれるの?」

「……私の問題だから」


 九重の表情から読み取れる感情は、罪悪感と悲しみだ。その表情に嘘は無いと思うが、十メートル近く離れているので、正確な表情までは読めない。


「なにかわかった?」


 背後で朝司が何か言っているが無視して観察を続ける。不意に「ごめん。全部私が悪いの」と九重が泣きながら、こちらへと走ってきた。咲那と朝司は驚きながら壁に張り付くも、九重は二人の姿など目に入らないかのように通り過ぎていく。


 その瞬間、咲那はハッキリと九重の泣き顔を見た。

 嘘の無い泣き顔だった。

 一瞬だが、近くで見てもわかるくらい見事な悲しみの色である。


 だと言うのに違和感があったのだ。そして、違和感の正体が両目の上瞼にあるということがわかった。そこだけ動きが不自然なのだ。


 遅れて秋月がやってくる。消沈とした秋月は咲那たちに気づき、不快感を隠さずに「なに見てたんだよ?」と威圧してきた。咲那は「いえ、その……」と口ごもり、朝司は「すまん」と頭を下げる。


 秋月は舌打ちを鳴らし、そのまま立ち去っていった。咲那が惚けたように立ち去る秋月を見ていたら、朝司が「大丈夫?」と声をかけてきた。


「……そちらは大丈夫なんですか? 友達なんですよね?」

「まあ、君の言うとおり、プライベートなことに踏み込むべきじゃなかったかもね……」

「まさか、今さらやめるとか言いませんよね?」

「……あれ? 乗り気なの? あんまりやりたくなさそうだったけど……」

「なんとなくですが、九重さんの秘密がわかってきました」

「マジで?」

「まだ確証は持てないので、少し調べさせてください」

「……間に合うかな?」


 二人の破局に、ということだろう。それは、かなり厳しい気がする。


「……ハッピーエンドの確率は半々と言ったところだと思います」


 そう答えながら、どう動くべきか頭の中で思案する咲那だった。


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