1-8 岩永朝司

 淡い橙色が青空の境界と混ざり合って薄紫色になり、夜の始まりを匂わせている。放課後の教室は影が濃い。朝司はいつものように窓側最後尾の席に座りながら、頬杖をついていた。

 不意に廊下のほうから駆け足が聞こえてくる。視線だけで来訪者を見れば、最近、見慣れた顔の咲那が教室に入ってくるところだった。


「すみません、遅くなりました」


 息を整えながら朝司の元へと近づいてくる。


「なにか用事でもあったの?」

「いえ、昨日の件でいろいろ調べてたんですよ」

「いいアイデアは浮かんだ? ちなみに俺は浮かばなかったよ」

「考えてはくれたんですか?」


 咲那は、ムッとしたように眉根を寄せながら視線を向けてくる。咲那に嘘は通じないらしいが、堂々と「忙しかったんだ」と嘘をついた。


「……そういうことにしときましょう」

「ほんとだって」

「別に疑ってませんよ。仮に嘘だとしても、岩永さんの表情は見えづらいので」


 そういうものなのか、と軽く受け流した。


「で、君はいろいろ調べたらしいけど、何を調べてたの?」

「人に好かれる方法を心理学で調べてました」

「どういうこと?」

「この人に好かれる必要があるんです」


 と言いながら咲那はスマートフォンのディスプレイを朝司に見せてきた。件のネットストーカーのアカウントが映っている。


「えっと、ごめん。つまり、どういうこと? どうして、秋月アンチと仲良くなる必要があるのさ?」

「確認ですけど、この人が自発的に反省して謝罪すると思いますか?」

「いや、しないと思う」


 秋月に対する恨みや執着心が強いし、被害者が増えないようにしたいなどとプロフィール欄に記載されている。本人は正しいことをしていると思っているはずだから、むしろタチが悪い。


「この手の人は本人のお気持ちと社会正義を強引に混ぜ合わせているので、先ず反省はしません。ついでに説得も厄介です。どこまで本気かわかりませんが、自分が正義だと思っているので」

「それで、どうして好かれる必要が?」

「先ず、このアンチの人にすり寄ります。適当にアカウントを作って、同じ秋月拓志の被害者だとか、情報提供者の振りをしてDMを送るんです。そのために、このネットストーカーに好かれる必要があります」

「それで仲良くなったらどうするのさ?」

「気を許した相手には、個人情報もこぼしやすくなると思うんですよね。で、どこの学校に通ってるかくらいまで、それとなく引っ張ってきます。そして、本人を特定します」

「それで?」

「そしたら、今度は別のアカウントを用意します。個人を特定したので、これ以上の誹謗中傷をするなら正体を明かすぞ、と脅すんです。写真の一つでも用意して送ってしまえば、相手はビビるんじゃないでしょうか? そのうえで、おそらく最初の友達アカウントに相談してくると思うので、やんわりと謝罪をうながし、こういう誹謗中傷を辞めるように誘導するんですよ」


 説明し終えたあと、咲那はため息まじりに肩をすくめる。


「顔の見えないSNS上でなら、誰もがどんな人間にだってなれますからね。向こうがそれを使うなら、こちらも利用するまでですよ」

「すごいな、まるでプロの詐欺師だ」

「引かないでください。そりゃあ、合法的にやるなら相談者が弁護士に依頼するのが一番です。でも、お金もかかりますし、大事になればネットストーカーさんも困るでしょう?」

「ネットストーカーのことも心配してるんだ?」

「当然です。だって、どう考えても秋月拓志の被害者じゃないですか。やってることは正しくないと思いますが、こういうことをさせたのは相談者です。ハッピーエンドを目指すなら、誰かが不幸になるのはダメだと思います」

「まあ、たしかに言われてみればそうだね」

「ま、本当に手段を選ばないんなら、曝露系インフルエンサーにこのアカウントをタレこめば一発ですね。個人情報を流しまくってるし、完全に違法なラインの誹謗中傷なので。一度火がつけば、すぐさま炎上です。それに付随して秋月拓志の悪行も全国デビューすると思いますが……」

「おっかないことを考えるなよ」

「私はやりませんよ。ただネットには悪意を持った人だっています。もし、このアカウントがそういう人に見つかれば、私が言ったような最悪の未来だってありうるってことです。早めにやめさせるのが、みんなのタメだと思います」


 そう言ってから「だから、少しくらい詐欺師っぽいことをしても、いいじゃないですか」と口を尖らせていた。どうやら気にしているらしい。


「言い方が悪かったね、詐欺師みたいって言ったのは謝るよ。こんな方法を思いつくなんてさすがだなって思っただけなんだ」

「書けなくなっても一応プロデビューしてますからね。プロット作りみたいなモノですよ」


 機嫌を持ち直したのか、まんざらでも無さそう微笑んでいた。


「というわけで、私は今日からしばらくネットストーカーの友達になるためがんばります」

「俺にできることがあれば、なんでも言って」

「はい。あまり期待してませんけど」

「少しくらいは役に立つさ」


 そう言って朝司は椅子から立ち上がった。


「どうしたんですか?」

「別に。君との約束も果たしたから、今日は家に帰るんだよ」

「一緒には帰りませんよ」

「ああ、わかってるよ。俺と一緒にいると目立つからだろ? それじゃあ、またね」


 言いながら朝司は教室を出て行った。


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