1-7 小井塚咲那
上城北高校の教室棟は、一階から一年生、二階が二年生、三階が三年生とざっくりと分けられている。
まだ生徒が残っている中、咲那は相談者である秋月を探していた。本人の顔は先ほど仕入れたツイッター上の写真で把握済みである。
だが、探せども秋月はみつからなかった。何度も画像の顔を見る。写真は荒いが確かにかなり整った顔立ちだった。色白で細身。堀の深い二重瞼だが、どこか中性的な印象を受ける。中学生の頃の写真のためか、歌って踊れるジュニアアイドルでもセンターを張ってそうな容姿だった。
たしかにこれはモテるだろう。そして、これだけ特殊な顔立ちならば隠そうとしても隠しきれないはずだ。だというのに、見つからない。かといって、上級生に「秋月先輩はいますか?」と尋ねるのも億劫だった。
(もう帰ったのかもしれない)
そう結論づけた。図書室で勉強でもして帰ろうと思い、教室棟から別棟へと移動する。特殊教室や教務室のある別棟は放課後になるとひと気が無い。誰もいない廊下を歩いていたら、不意に背後から「どしたの?」と声をかけられた。振り返れば、そこには朝司が立っていた。咲那は朝司をにらむ。
「いきなり話しかけないでください。驚いたじゃないですか」
「それは悪かったよ。でも、君を見かけたからついね」
「それと人前で話しかけないでください。私、恋愛の神様と話してるのを見られたくないので。悪目立ちしたくないんです」
「それは悪かったよ。ごめん」
朝司は苦笑まじりに肩をすくめる。
「それでどうしてこんな場所に?」
「図書室ですよ。相談者の秋月さんを探してたんですけど、見つからないので勉強でもして帰ろうかと」
「秋月なら校舎裏に行くのを見たよ」
「本当ですか?」
「ああ、なんか彼女と一緒に歩いてったね」
「校舎裏ってこの棟の裏でいいんですよね?」
「そうだけど、あまり邪魔しないほうが――」
朝司の言葉を聞き切る前に咲那は駆けだした。そのまま小走りで廊下を駆け、階段を降りていく。中履きのまま昇降口から飛び出したところで朝司に「盗み聞きはよくないんじゃない?」と言われた。
「盗み聞きじゃなくて盗み見ですかね? 相談者の表情を見たいんです。可能なら話しかけて確かめたかったんですけど……」
「顔だけ見てどうするの?」
「私、表情に敏感なんです。顔の違和感とかわかっちゃうんですよね、昔から」
「ああ、そういうこともできるんだ……」
「……ポール・エクマンって心理学者がいるんですけど、知りませんよね?」
「うん。知らない」
笑顔で言われた。
「アメリカの心理学者で表情分析の第一人者です。感情と表情の関係性を研究した人で、この人の理論を応用すると嘘が見抜けたりします」
「マジで? すごいじゃん」
「別にすごくないですよ、気持ち悪がられるだけです。それが嫌で、どうして人の嘘とかわかっちゃうのか調べたんです。そしたらポール・エクマンの本に出会って、そこに書かれてることをほぼ直感的にやってたんだってわかったんです」
自分は異質な存在だと思っていたが、論理的に表情分析の方法が技術として書かれていた。やる気になれば誰にでもできる力なら、それは異常ではない。それを確認できて、安心したのだ。とはいえ、咲那の場合は後天的に手に入れた能力ではなく先天的なモノだった。専門用語では『シャットアイ』とも呼ぶらしい。
「ですから、相談者の人と直接会って話せば、嘘つきかどうかは見抜けるかなと思ったんですよ」
「すごいじゃん。めっちゃ異能力じゃん」
「呪いみたいなものですよ」
「……今、ちょっとかっこつけたよね?」
「……いいじゃないですか、別に。言ってみたかったんですよ!」
そんな会話をしているうちに校舎裏が近くなっていた。角を曲がれば、様々な視線から死角となるスペースとなる。告白スポットだったり、少し不良っぽい男子生徒が溜まっていたりするらしい。念のため、足音が鳴らないように近づいていったら、男女の話し声が聞こえてきた。咲那は壁に張り付きながら、声の聞こえる方を覗き込んだ。
そこには写真で見た相談者である秋月とクラスメートの九重が向かい合って立っていた。咲那の位置からは、秋月の顔は見えるが、九重の後頭部しか見えない。
「だから、どう言ったら信じてもらえるんだよ?」
懇願するような秋月の表情には、いくつかの色がオーラのように漂っている。メインは哀しみの色であり、同時に微かな怒りもある。複合的な表情に嘘は見受けられない。
「先輩を信じてないわけじゃないよ。でもさ、嘘でも、こういうのが目に入ると辛いよ」
「じゃあ、俺はこんな嫌がらせのせいで真奈美にフラれないといけないの?」
会話は断片的だが、どうやらツイッターの中傷アカウントは九重の目にも入っているらしい。不意に背後で朝司が「修羅場だね」と他人事のように言った。なるほど、これが修羅場というやつか、と思いながらも秋月の表情を確認する。
「本当に私以外の誰ともつきあってないの? 二股も浮気もしてないの?」
「だから、してないって。本当だよ。信じてくれよ」
悲しみに怒りの色。嘘をつく者に浮かぶ作ったような違和感は無い。どうやら、本当に浮気や二股はしていないようだった。
それだけわかればいい。
これ以上の盗み聞きは、ただの野次馬でしかない。咲那は無言のまま踵を返し、その場を離れていく。朝司も遅れて咲那についてきた。
「なにかわかったの?」
「嘘はついてないと思ったので」
「アレだけでわかったの?」
信じられないような顔をしていた。説明する義理も無いが、信頼を失うわけにもいかない。咲那は昇降口についたところで辺りを見回す。遠くから管楽器の演奏や、金属バットが硬球を叩く音が聞こえてくる。既に部活動が始まっているらしい。実際、辺りに人の気配は無い。
「先ほども言いましたけど、私は表情から感情を見抜けます。まあ、例外的に見抜きにくい人もいますが……」
「それは聞いたけど、具体的にどういうことなのさ?」
「ただの観察ですよ。ポール・エクマンが言うには、人種、文化、性別にかかわらず共通する表情による感情表現は六つになります。幸福、悲しみ、驚き、恐怖、怒り、憎悪。この六つの表情は全人類共通の形で現れます。ボディランゲージやノンバーバルコミュニケーションは文化や性別によって変化したりするのですが、六つに分類された表情だけは共通なんです。要するに、本能に根付いている機能とも言えますので、簡単に誤魔化せません」
「なるほどね……」
「とはいえ、人は嘘をつきますし、騙されます。表情制御の技法は大きく分けて三つです」
言いながら咲那は指を三本立てた。
「修飾、調節、偽装の三つ。修飾は本来の感情から生じる表情に更に別の感情的表出を足すことです。驚きながら怒るとか、驚きながら怖れるなどですね。二つ目の調節は感情表現の強弱の調節です。大げさに怒ったり、怒りを押し殺すなどが調節となります。最後の偽装は本来感じている感情とは別の表情を浮かべることです。別の感情を擬態したり、本来の感情を隠蔽することも偽装に含まれます」
「なんか、割とみんな普通にやってることじゃない?」
「はい。ですから、みんな微妙に嘘つきなんですよ」
「でも、そんなのわからないだろ、普通は」
「それがわかるから困ってるんです。私の場合、感情がオーラのような色として顔の上に浮かんで見えるんです。その色と表情がチグハグだったりすると、嘘をついてるってわかっちゃうんですよ」
共感覚というモノがある。音を視覚で感じたり、数字に色を見たりすることだ。咲那のシャットアイも、この共感覚に起因した脳の生み出す幻覚なのだろう。そのせいで、普通の人なら感じないことを咲那は感じとってしまう。だから、人と話すのが得意ではない。ただ話すだけならいいが、裏側が見えてしまうと自分も辛いし、相手も離れていく。
「勘違いってことは無いの?」
朝司の問いかけに咲那はため息をついた。
「だったらいいんですけどね……」
「じゃあ、俺も嘘をついたら見抜かれるってことか……」
「先輩はちょっと例外的に見えにくいです。だから、こうして気を遣わず話せるんですよ」
「なるほどね。だったら俺としては助かるな」
「私に嘘をつくってことですか?」
「優しい嘘は必要だろ?」
あっけらかんと言いつつも「そっか」と何か考え込むように言葉を続ける。
「そういう嘘まで見抜いちゃうってなると、たしかにいろいろ大変だね。相手が自分に気を使ってるとかまで、わかっちゃうってことか」
「嘘の内容までわかりませんけどね。だから厄介なんです。優しい嘘も悪意のある嘘もどっちも同じ嘘なので、私にとっては警戒の対象になります」
「それはたしかにしんどいなぁ……」
「まあ、論理的に方法論がわかったおかげで多少のコントロールは効きますけど」
「そうなの?」
「簡単です。顔とか見なければいいだけです。他には声とかボディランゲージとか会話の内容とか、その他もろもろ勝手に脳みそが動いて判断しちゃうこともあるんですけど、その辺も理屈で把握してます。私の脳みそは頼んでもいないのに、そういう動きをしちゃう系なんですよね。ほんと呪いみたいなものなんですよ」
だから、人を好きになどなれないのだ。
自分も含めて人間というものは、どうしようもない。
そのどうしようもなさを取り繕いながら生きているのだが、その粉飾を咲那は嫌でも暴いてしまう。そうなれば、目の前にいる人間は、どれだけ顔が整っていようが、どれだけ偉業を成していようが、総じてどうしようもない個人でしかない。
「まあ、そのおかげで相談者さんが嘘をついてないのはわかりましたよ。あの人、本当に浮気や二股はしてないみたいです」
「まあ、君の力が本当だったとしても、それを彼女に言ったところでなあ……」
「私は自分の力のこと、絶対に言いませんからね。岩永さんも誰かに言ったりしたらダメですからね!」
「言えるわけないだろ。それに、俺としても、できれば恋愛の神様のご加護みたいな感じでハッピーエンドに持って行きたいし」
「どういうことですか?」
「要するに、自然な流れ? 可能な限り作為が無い運命とかそういう感じ? 宗教的な奇跡みたいなモノにしたいかな」
「岩永さん、なにを目指してるんですか? 本当の神様にでもなるつもりですか? 嫌ですよ、新興宗教の関係者になるとか」
「ま、俺のことはいいよ。とにかく、君が説明しても信じてもらえるかわからないし、君は自分の能力を知られたくない。それはわかった。で、じゃあ、どうする? 秋月は嘘をついてないかもしれない。でも、彼女さんは信じちゃくれない」
咲那は少し考えてから、スカートのポケットからスマートフォンを取り出した。
「二人の喧嘩の原因の元を断つべきかと思います」
言いながらツイッターアプリを開き、秋月を中傷するアカウントを朝司に見せた。朝司の眉間にシワが寄る。怒りと嫌悪感だった。
「……さすがにこれはひどいだろ?」
「はい。完全なる誹謗中傷です。そのうえ、このアカウントは、けっこう有名らしいです。私のクラスメートも知ってましたし、九重さんも把握済みです。喧嘩の理由はここに書かれている嘘八百ですね」
朝司が「そっか!」と何か思いついたかのように目を大きく見開いた。
「この誹謗中傷アカウントでさ、今までのことは全部嘘でしたって謝罪させたらいいんじゃない? それなら、彼女さんも信じてくれるんじゃないかな?」
「そうですね。この中傷アカウントを潰し、謝罪に持っていければ、今回の問題は自然と解決するはずです」
朝司は「よし、やろう」とサムズアップし、すぐさま「で、どうやる?」と丸投げしてきた。
「少しは考えてくださいよ」
「いや、ほら、考えるのは苦手でさ。それに、小説家の先生なら、こういう時、アイデアとかも出てくるんじゃない?」
咲那はため息をつきながらも「小説家の先生」というフレーズに胸の辺りがムズムズした。自分をそういう風に扱ってくれる人は少ない。そもそも友達もいないし、両親にはネットのアルバイトだと言って誤魔化している。咲那が作家をしているのを知っているのは、担当編集者と朝司だけだった。
よって、小説家扱いされるのは、少しばかり承認欲求が満たされてしまう。
「しかたがないので作戦を考えてきます。岩永さんも明日の放課後までにいろいろ考えてきてください」
「うん、考えてみるけど、出てこなかったらごめん」
「それ、最初からやる気ないですよね?」
「さすがだね。見抜かれたか……」
「これくらい誰でも見抜けますよ」
呆れながらも担当編集以外で長い会話をしたのは久しぶりだなと思う咲那だった。
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