1-6 小井塚咲那
放課後の廊下は活気が人の形をして行きかっている。授業から解放され、雑談に興じる生徒や、部活へ向かう者、そそくさと家路につく者。多種多様な人々がモザイクのように混然一致としながら存在していた。普段の咲那なら、忍者のように気配を消して家路につくか、勉強したり読書をするため図書室に向かっていただろう。
だが今日の咲那は田代の背中を追って歩いていた。話しかけろ、話しかけろ、と内心で己を鼓舞するのだが、踏ん切りがつかない。陸上部の部室にまで行かれたらアウトだ。それこそ話しかけるタイミングを逸してしまう。
不意に目の前に後頭部。ぶつかりそうになり、思わず「おわっ!」と声をあげてしまった。田代も驚いて振り返りながら「え? 大丈夫?」と声をかけてくる。
「あ、大丈夫です。ちょっとよそ見してて……」
「こっちもいきなり立ち止まったからさ。ごめんね」
苦笑を浮かべる田代に咲那は思わず諂うような笑みで返した。なぜそこまで卑屈にならなければならないのか自分でもわからない。わからないのだが、目立たず騒がず空気になるのが、咲那の処世術である。不快な思いをさせてはいけない。
田代は咲那を見ると、一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、すぐさま作り笑いを浮かべて「じゃあ」と言って立ち去ろうとする。咄嗟に「ちょっといいですか?」と声をかけた。田代は驚きながら「なに?」と尋ねてくる。
「えっと、その……同じクラスの小井塚です」
「うん。知ってるけど……」
「実は……その……ちょっとだけお尋ねしたいことがございまして……」
へへっと笑いながら視線をそらした。
「なに?」
「えっと、その、実は私の他校の友人……知人がですね。どうしても調べてきてほしいと言ってきて困っているんです」
と前置きしてから続ける。
「秋月拓志って人がいるじゃないですか」
「秋月先輩? うん、いるね」
「その人がどんな人なのか調べてきてほしいと頼まれて……ただ、その、私は詳しくなくてですね……」
田代は目を開きながらジッと咲那を見てくる。不可解、心配、そんな表情をしていた。咲那はがんばって微笑んでみたが、頬の辺りがピクピクと動いてしまう。
「そんなに詳しくないけど、あまりいい噂聞かないよ……」
「らしいですね。具体的にどんな人だったかとか、暴力振るう人なのかとか」
「そういうのは聞かなかったかな? 基本、優しい人だったよ。まあ、う~ん、いろいろ問題のある人ではあるっぽいけど」
「ですよね」
「昔は告白されると誰でも二つ返事でつきあってたみたいだけど、今はそうじゃないみたいだよ。先輩が告白されて、断わってるの、見たことあるし」
「そうなんですか?」
「だから、小井塚さんの知り合いも無理じゃないかな? 今、彼女いるみたいだし」
チラリと田代の足元を見る。右足のつま先が部室のほうへと向いていた。田代は人当たりのいい笑顔を浮かべてはいるが、早く話を切り上げて、部活に行きたいらしい。どうせ話しかけたのだから、もう少し詳しい情報がほしかった。
「ですよね……あの、その……他に詳しい人とか知りませんか?」
「詳しい人って言うか……ツイッターで先輩に粘着してるアカがあるよ。私も友達に教えてもらって、そこで知ったくらいだし」
「それ、教えてもらえませんか?」
「別にいいけど……たしか、アカウント名が『秋月拓志死ね』とかだったと思う。検索かければ出てくるんじゃないかな?」
「ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げたが、田代はジッと咲那を見ていた。
「えっと、なにか?」
「ううん……まあ、いいんだけど……小井塚さん、大丈夫?」
「え? なにがですか?」
心配や不安の色が田代の顔に浮かんでいる。田代は取り繕うように「大丈夫ならいいんだよ」と苦笑を浮かべ、足早に立ち去っていった。咲那も咲那でホッと一息つく。
(リア充に話しかけるのは気疲れする……)
そんなことを思いながらもスマートフォンを取り出し、ツイッターのアプリを開く。恋塚咲夜という作家用アカウントを使って『秋月拓志死ね』で検索をかけたら、すぐさまアカウントが見つかった。
つぶやきの内容は秋月拓志への誹謗中傷の羅列だ。女子と一緒にいる写真画像が貼られたり、過去の悪事が毎日のようにつぶやかれている。
(これはさすがに……)
中学の頃に教育実習生とつきあっただとか、何人もの女性に中絶を強要したとか、ひどい話のオンパレードだった。書かれていることが事実なら、秋月のことをフォローできない。少なくとも九重とは別れるべきだろう。
(まあ、全部が本当ってわけじゃなさそうだけど……)
添付された写真の中には学ラン姿の秋月と顔の隠された女子が、腕を組んでいるモノがあった。記載内容的に、あたかも今つきあっているような文面だったが、それはおかしい。
上城北高校の男子は学ランではなくブレザーだ。
となれば、これは中学の頃の写真ということになるだろう。事実誤認を誘導するような書かれ方をしている辺り、全てをうのみにしてはいけない気がした。
(しかたがない……直接確かめてみるしかないかな……)
気乗りはしないが、三年生の教室に向かって歩きはじめた。
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