第8話 令嬢は黙って単勝勝負 その2

「8番。どうして?」


 エトワールは、麗しい瞳をキリッと光らせて新聞を片手に見せる。


「事前想定6番人気というちょうどいい人気。この新聞によれば調教の調子も悪くはないようですわ。さらに同距離で5着、3着に入った経験あり。前走12着は…馬のことですし、気分が乗らないこともあったのでしょう」

「なるほど。いつも通り根拠がふわふわしていますね」

「そういうオルカはどうなのかしら」

「私は1番です」


 オルカはそう言って新聞でパドックを指す。


「競馬はブラッドスポーツです、お嬢様。この馬、一つ上の兄は昨年『ペガシード』したライリーヴァル。ペガサスになるくらい競争意欲に満ち溢れた一族、弟もその意欲を継いでいると見ました。その上の兄は民立競馬の重賞にコンスタントに出走できていますし実力は折り紙つき。

 さらに父のナハトシェイダー、これは10ハロンの王者と言われた馬です。ライリーヴァルもペガサスになるまでは10ハロンで活躍していましたし、まさに適距離。ここまで10ハロン戦を試さなかったのは……気性でしょうね、前走も8ハロンで引っかかってボロ負けですし。いや何考えてさらに延長してきたんですかね」

「最後の方自分でも疑ってるではありませんか」

「呪文かよ」


 つまらなそうに呟いたグレイスに、


「そうだ、お前の出番だ」


 オルカは頭を掴んで前を向かせた。


「何すんだよ!」

「いいか、天才馬丁のお前の目で……8番か1番、またはそれ以外の馬。『次のレースで一番走りそうな馬を見極めろ』」

「はああ…?!」


 グレイスは呆れた顔をしたが、


「なるほど、私たちの予想にグレイスの評価をいただくということになりますのね!」

「い、い、いただくなんて滅相もない!!クソオルカのことはともかく……お嬢様のお選びの馬はしっかり拝見いたします」


 途端に真剣な顔となって、パドックを回る馬たちをじっと見つめ出した。

 長い沈黙が流れた。

 やがてグレイスは顔を赤らめて俯いたり、もう一度顔を上げて目を細めたりした。そうして何度かもごもごした後についに、口にする。


「……お嬢様、馬というものは単純なものではございません。今歩いている馬に、やる気があるのかないのか、そんなことはまず、その馬と毎日暮らしてみなければわかりません。私もお屋敷の馬のことなら一頭残らず、目を見れば一瞬でわかりますが……」

「結論を言え早く」

「黙れクソ執事」

「つまり……」


 言いかけたエトワールの言葉を申し訳なさそうに、グレイスは引き取った。


「……お嬢様のお選びになった馬には、現時点で一切のやる気というものがございません」

「……」

「あの馬の目、観客のことをよく見ております。今からレースということをよくわかった上で、あのやる気のなさなんです。だから、もう走る気自体をなくしてるみたいです。

 もちろんお嬢様の見込んだ馬というのに何なんだそのやる気のなさはお嬢様のお声を聞いただけで勇気百倍になるべきところ何という失敬な馬かとグレイスは思いますが」

「そんな…」

「申し訳ありません、お嬢様」

「いいえ、グレイスが悪いわけでは…」


 エトワールはそう言って小さな赤毛の頭を撫でつつ、なんとも言えない気持ちで俯いた。


「俺の馬はどうだ?」

「1番だっけ?何見て選んだんだよ。歩き方も体型も性格もどう見ても短距離向けだよ、10ハロン、って…2000メートールだっけ?そんなに全力疾走したら飽きちゃうよ。レースなんかさせられて可哀想に」

「それはお前の理屈じゃどの馬もそうだろうが」


 グレイスは、ふん、とそっぽを向いてそれ以上答えなかった。


「ではグレイス。あなたなら、どの馬が一番良いと思うの」

「ええと、お嬢様、その…」


 口ごもったグレイスは、やがてひときわ小柄な鹿毛の馬をそっと指差した。


「あの子です」

「7番か」


 新聞をちらりと見たオルカがすぐに、少し高い声を出した。つまり常に飄々としたこの執事的には、「素っ頓狂な声」だ。


「事前想定、単勝258倍。最低人気だが?」

 

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没落令嬢、馬券でお家再興を目指します @mrorion

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