第7話 令嬢は黙って単勝勝負 その1
王都郊外、オウィニア競馬場。
王都中心地からほど近い便利な立地と在籍する馬の豊富さ、そして来場者の身分別に整備された清潔な設備のおかげで、貴賤老若を問わずに人気の民立競馬場だ。
特にその中でも『上級貴賓室』は、民立競馬場の中でも一番の観覧席として名高い。王侯貴族の中でも、特に侯爵以上の身分を持つ貴族のために準備された設備とサービス。競馬場を一望できる広大なスイートルームに、近隣の高名なレストランから調達されるコース料理と最上のドリンクメニュー、そばには専属のレースガイド、そして手元には出走各馬の牧場からの、今年生まれた有望な仔馬を売り込むパンフレットの束。貴族は静かにレースの狂騒を眼下に、ゆったりと流れる時間の中、美しい馬の走りを楽しむことができる。
その『上級貴賓室』の入り口、には目もくれず。
エトワール一行の馬車は、周囲の客と争うように一般客の馬車置き場へと突っ込んでいった。
「貴賓室は舐めているのよ、パドックが間近で見られないなんて」
「パドックを間近で見てもこれまで的中率が低かったことは留意すべきです」
今日の出走馬をまとめた
その最前列に一行は張り付いていた。楕円形の柵の内側を、その目の前を十頭の馬が、曳き手に引かれて何度も周回していく。
パドック。レースにこれから出走する馬が、その馬体や歩き方を事前に披露する場所だ。観客はその様子を見て、ある者は馬券の予想を立て、ある者は純粋に応援の念を送る。とはいえオウィニア競馬場の観客では、前者の方が圧倒的に多かったのだが。
「昼日中から人が多すぎるんだよ。それに何でこんなに馬をぐるぐる回すんだ」
小柄なグレイスは競馬場に入ってからというもの、人波に圧し潰されてばかりですっかり嫌気がさした顔だった。
「これでも少ない方だ。さて、お嬢様」
オルカは声をひそめつつ、エトワールに声を掛ける。
「本日、我々が買える馬券は『単勝』のみとしたいと思います」
「どうして?!高配当なら三連単でございましょう?!せめて三連複か…」
「その考えが我々の回収率を下げてきた。一度お嬢様は初心に戻り、的中率の向上を目指した方がよろしい。考えてみれば、『確実に来る馬』つまり軸馬が絞れなければ、三連単の回収率も上げられるはずがないのです」
「……」
単勝。レースで立った一頭の勝ち馬を当てるシンプルな馬券。
偉大なる競馬の祖が現れる前から存在していた原初のギャンブル。
「私、単勝勝負は苦手でしてよ」
エトワールの目にはいつも、どの馬にも勝つ可能性があるように見えた。それで買い目を広げすぎ、慌てて人気馬の買い目を削り、的中しないことがほとんどだった。年に数回、中穴馬券を引っ掛けるので何とか回収率を50%近く保っているのだ。
「苦手、とは、馬券でご自身と民を救おうという御覚悟のほどが知れますね」
顔をこわばらせた主人に、執事は悪魔のように囁く。
「この新聞はお渡ししますので、よろしければ今この場で一頭お決めください。私も決めましょう」
「……オルカと勝負ということかしら?わかったわ」
「ぼくはなんで連れてこられたんだよ」
「お前は黙って馬を見ていることだ」
ゴミゴミと賑やかな周囲をよそに、緊張感のある沈黙に包まれた三人。しばらくあとに、先に口を開いたのはエトワールだった。
「決めましたわ。8番」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます