第3話 馬券で皆を養ってみせますわ
リュネット公爵家の屋敷に朝の陽射しが差し込んでいる。かつて壮麗だったその建物は、今や隠しきれない綻びをいくつも晒していた。
そんな屋敷で一番光の入る、公爵の執務室でのこと。
「リュネット家の面汚しめ!」
ドン、と激しい音が響いた。ノワジェット・ド・リュネット伯爵がエトワールの前で力一杯テーブルを叩いたのだ。
厳しく歪められた顔は、しかしすぐに力が抜けた。
「と、まあ表向きはここまでにして」
「誰への表向きでございますか」
「馬と博打好きはヘイリーお祖父様の代からの家風だからなあ。致し方ない。むしろお前のことは、これまで豆券でよく我慢したと思っている」
「領民の苦しみを思えばこそですわ」
「うむ、良い心がけだ。易々とハニートラップにかかったフィリップよりはかなりマシだ」
「比較の対象が下の下でございますわね」
「しかし、だ」
そこで公爵ノワジェットは、本当に顔を歪めた。
「流石に私も、お前をこのままにはしておけない。お前は今や傷物、そこらへ嫁に行くのに多大な持参金を要する身。それを払ってやることが、私にはもうできないのだ」
「それでは…」
「いずれ修道院に入るか、田舎へ隠棲するか。お前に残された道はそれだけだ」
「……」
「私も人の親だ。それも相当甘い方のな。すぐにとは言わない。しかし覚悟はしておきなさい」
「はい……」
美しい朝の光の中、父と娘の間に沈黙が落ちる。
エトワールは考えていた。リュネット家の領地は西の果て。潮風が強く、広大だがほとんど開けていない土地だ。王都育ちの彼女のみならず、公爵家の一族はここ百年、その地で暮らしたことはない。
当然、その地に競馬場などない。レース結果をその日のうちに知ることさえできない。
ましてや修道院ときたら…彼女は生涯、「競馬」と口にすることすら禁じられてしまうだろう。
「お父様、お金があれば良いのですか?持参金がそれなりにあれば、私は適当な男と結婚して、王都に残れるのでしょうか」
落ち着こうとしたのに、エトワールの唇から零れた声は震えていた。
「18にもなって幼子のようなことを聞くな。多少の金では足りない。いや、当座の資金繰りのためには、多少の金でも良いのだが」
「20億リーブルではいかがです?」
「20億?!まあ、それだけあればお前の持参金にもお釣りはくるだろう。それから領民の産業復興資金も…」
言いかけて、公爵は首を振る。
「無い金の話をしてどうする」
「お父様…」
金があれば良い。
でも働いたことのない没落令嬢に、金を生み出す手段などない。令嬢には金と誇りがあるから全ての価値があるのであって、それが無くなれば、自分で働くことすらできないただの人以下なのだ。
「大丈夫ですわ、お父様。私にはまだ誇りがありますわ。公爵家の血を継ぎ、遠い地の領民の暮らしを思う令嬢の誇りが」
エトワールは震える声を張って背を伸ばす。
「そして私には、お金を稼ぐ手段も一つだけありますのよ。20億リーブル、稼いでみせましょう」
「エトワール、まさかお前……」
恐れ慄いたような父の眼前で、令嬢の瞳に光が宿る。
「領民も、お父様も、私自身も。私が馬券で皆を養ってみせますわ!」
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