多治見の話
多治見は安田に時間があるかを確認し、別室に誘い、安田を待たせて離室した。
再び戻った多治見はビデオカメラと三脚を持参しており、それを安田の正面に据え置いた。
「これからこの取材は録画します。いいですね」
安田の返事を待たず、多治見は録画を開始した。安田は夜勤明けで疲れていたし、正直かなり眠かったが、卒論の指導教諭の意向を無碍にすることはできなかった。
「2023年、6月15日、水曜日。時刻は午前10時31分。場所は釜谷大学鹿溜キャンパス6号館、6206号室。取材を始めます。私は多治見哲也教授。自己紹介をどうぞ」
「アッ、安田ソウイチロウ、釜石大学鹿溜ッ……人間科学部心理学専修3年です」
「あなたは、昨夜どういったアルバイトをなさっていましたか?」
「えと、警備です。ショッピングモールの警備。ノインモール鹿溜店の夜間警備です」
「勤務は、何時から何時まででしたか?」
「22時入りの翌朝6時退勤です」
「昨日の勤務で起きた出来事を、時系列順に話してください。思い出せる範囲で詳細に。時間は掛かって構いません」
安田は一度深呼吸をした。
「昨日はいつも通り、時間の15分前には店の自転車置き場に着きました。従業員用入口から入り、検温と手の消毒をして、従グチ警備の塩田さんから入館証を借りて、出入り名簿に記名して入館時刻を書きました──」
***
「──で、入館証を返却し、出入り名簿に退店時間を書いて、手荷物検査を受け、退店しました」
「この迷子の件を、どう思いましたか。単純に感想で構いません」
ようやく終わりそうだという安堵とこの取材は一体なんなんだという訝しむ気持ちを噛み殺して、安田は考えた。
「そうですね……先生は、ショッピングモールは使われますか」
「もちろん」
「では、夜の無人になったショッピングモールに入ったことは?」
「ありません」
「そこが昼間とは別世界なのは想像できると思いますが、別世界の、別の種類が違うですよね。アメリカとジンバブエの違い、とかではない。器は同じなのに、大量の中身がそっくり無い。喧騒に包まれた大きな建物から、喧騒が一切消える。言葉で喧騒、と言えば一言なんですが、それって……人間の意思とか、思いとか、魂とかのごった煮じゃないですか」
「そうですね」
「それがあったり、なかったりを毎日繰り返す空間。それは多分学校とか、駅とか、遊園地とかもそうなんですけど。そういう場所って、昔から怪談や都市伝説の舞台になりがちじゃないですか。これは僕自身が、無人のショッピングモールを経験して肌で感じたことなんですが、そういう場所って……なんていうか、落差……負圧みたいなものが発生するんじゃないかと思うんですよ」
「フアツ……マイナスの圧力。吸い込む力、みたいなことですね?」
安田は頷いた。
「空気があった容器から空気を抜く。負圧が生じて容器が歪んだり、何か外のものを吸い込んだりする。昨日僕が会ったゴヘエ君は、そういった吸い込まれた何か……なんじゃないかと」
「……なるほど」
「多治見先生。この取材はなんなんですか?」
「それはもう少しあとで。最後の質問です。あなたは江戸時代に書かれた渡猿小説という書物、或いはそれを解説した書籍や番組、動画を観たことがありますか?」
「トエンショウセツ……? いいえ。ないと思います」
「──ありがとうございます。以上で取材は終了です。お疲れ様でした」
多治見はビデオカメラの録画を停止した。
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